特別レポート 池上 彰さん パナマの農業を救えば、パナマ運河も救われるわけ

中米随一の経済成長を誇り、金融・貿易センターとして重要な役割を担うパナマ。
しかし、環境保全への取り組みが立ち遅れ、そのことがパナマ経済にも大きな影響を与えている。
そんなパナマの現状改善に協力する日本の取り組みを、ジャーナリストの池上彰さんが取材した。

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パナマ運河は大西洋と太平洋をつなぐ、世界的にも重要な航路だ

段々畑が守るパナマの森 農家の収入向上も実現

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パナマシティ

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伝統的な焼き畑農業が、パナマ運河を危機に陥れた

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パナマの熱帯雨林のただ中にあるコリアンダー(パクチー)の畑

2016年10月、私は中米のパナマを訪れました。

パナマと聞いて、今どき最初に連想するのは、「パナマ文書」かもしれません。でも、パナマといえば、やはり「パナマ運河」です。

北米大陸と南米大陸の継ぎ目にあたるパナマの国土を縦断するように運河を通し、北極や南極を回らなくても、大型船が太平洋と大西洋を行き来できる。1914年、アメリカ合衆国の手によって開通したパナマ運河は、世界の物流の発展に大きく寄与してきました。

そのパナマ運河の運行に危機が訪れているというのです。私が取材に向かったのは、運河から2時間近く車に揺られて登った山の中腹の熱帯雨林に囲まれた村でした。

村人たちは、険しい山の斜面に「段々畑」を作っています。栽培しているのは、独特の香りで人気の高いコリアンダー。タイ語ではパクチーと呼ばれる野菜です。その脇には、バナナ、コーヒー、ライム、カカオ、ヤムイモ、キャッサバなど多彩な商品作物が植えられています。

段々畑方式の山間農業のノウハウをもたらしたのは日本でした。2000年から2005年にかけてJICAの技術協力で実施された「パナマ運河流域保全計画プロジェクト」では、活動の一環として、山間部の農家に段々畑をつくることを奨励したのです。

かつてパナマの山間地では、原始的な焼き畑農業が行われていました。熱帯雨林を切り出して、火をつける。灰になった木が天然肥料となり、農業を営む。数年で土地の滋養を使い尽くすと、再び林を伐採して火をつけて、という工程を繰り返す。1990年代、生物多様性の宝庫である熱帯雨林が減少し、その結果、国の基幹インフラであるパナマ運河の運行に支障を来すかもしれない事態が起きました。

なぜ、焼き畑農業がパナマ運河を止めかねないのでしょうか?

太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河の水は海水ではありません。淡水です。運河のある土地の標高は数十メートル。そこに巨大なダム湖を作り、海に面した部分に水のエレベーターを用意して、航行する船を持ち上げていました。

ダム湖=パナマ運河の水源は、運河の周囲の山々から流れ込む川の水。山を覆う熱帯雨林を農民が焼き畑農業で破壊すると、山は保水力を失い、裸地になった山肌から土砂が流れ落ち、運河に堆積します。結果、運河の水が減り、水深も浅くなり、船が航行できなくなる恐れが出てきたのです。

山間部の農民は貧しく、焼き畑をやめたら食べていけません。パナマ政府は、日本に協力を仰ぎ、山間河川とその川が流れ込む巨大なダム湖=パナマ運河を一つの巨大な流域とみなした総合的な治水対策を行うことで、熱帯雨林を保全し、運河の危機を食い止めるとともに、農民に安定的な収入をもたらす持続可能な農業を構築しようと考えました。それが「パナマ運河流域保全計画プロジェクト」です。

日本の専門家の指導の下、村ごとにグループで農園を運営するチーム作りを呼び掛け、決められた農地で計画的にパクチーなどを栽培し、天然肥料を作り、収穫した作物を洗浄し、サイズをそろえて出荷する体制を整えました。

「焼き畑をしないで済むし、収入は格段に上がったよ」と村長は語ります。

農民たちの生活が安定した上、住民には安全安心な食料が供給されました。熱帯雨林の伐採が止まったことで、山の保水力と生物多様性の維持や、表土流失の減少につながり、パナマ運河の危機は回避されようとしています。一つの策でいくつもの効果を挙げたわけです。

都市の下水処理が進めば パナマの漁業も活性化

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パナマの水産市場で見掛けた立派なイセエビ。パナマの漁業が盛んになれば、世界に海産物を供給できるようになる

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日本の協力で建設されたパナマ市の下水処理場が、パナマ湾の水質を改善する

他にもパナマにおける日本の国際協力の成果には、太平洋と大西洋の魚介類を1箇所に集められる地の利を生かして1995年に約8億円を投じてできた水産市場があります。太平洋からはマグロなど外洋の大型魚が、大西洋からはサンゴ礁にすむイセエビやカニなどが水揚げされます。近年は日本の協力で、キハダマグロの養殖に向けた調査も行われました。

しかし、この漁業も環境問題の影響を受けています。国の人口の4割が集中するパナマ市は、深刻な水質汚染に悩まされています。毎日33万・3の下水が垂れ流されていたため、市内の河川には生き物の姿が消え、2001年からパナマ湾の魚介類は食用禁止となりました。そんな中、2013年には日本の円借款により整備された下水処理場が稼働を始め、水質改善に取り組んでいます。ミレイ・エンダラ環境大臣は語ります。

「熱帯雨林の保全や水質改善といった環境対策が、パナマの農業や漁業といった食のビジネスを守り、さらにはパナマの基幹産業である運河ビジネスを守ります」

環境問題への対応は、目先の経済発展に比べると後手に回りがち。でも、パナマで私が目の当たりにしたのは、環境への配慮こそが、経済の発展にも、社会の発展にも、食の確保にも直接寄与する、という事実です。私たち日本人もパナマの取り組みに学ぶところ大である、と実感しました。

編集・写真:柳瀬 博一(日経ビジネス チーフ企画プロデューサー)