国の原動力を育む キルギス

日本の半分ほどの面積に約600万人が暮らすキルギス。
「顔つきが日本人とそっくり」といわれ、中央アジアの中でも特に親日国として知られている。
そこには、人材育成やさまざまな交流を通じた日本との知られざる絆があった。

首都ビシュケクにある「キルギス共和国日本人材開発センター(KRJC)」のスタッフたち。コルバエフ所長(後列右から5人目)は、「今後は地方展開にも力を入れ、ビシュケク以外の地方都市でも出張セミナーを開催したいと思います」と意気込む(写真:竹田武史)

国交樹立から25周年 市場経済への移行に寄り添う

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キルギス ビシュケク

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天山山脈の麓で出会った女性。日本での研修に参加した親戚からもらったという赤い服を、うれしそうに見せてくれた(写真:竹田武史)

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KRJCの図書室には、日本に関する文献や日本の漫画がたくさん並んでいる(写真:竹田武史)

ホテルから車に乗り込み、ビルが立ち並ぶ細い通りを抜けると、これまで日本では見たことがないほどの雄壮な景色が広がっていた。真っ白に雪化粧した姿で一際存在感を放っていたのは、キルギスと中国の国境地帯に位置する天山山脈。標高は4000メートル級、キルギスの首都ビシュケクのどこからでも見渡せるそのスケールの大きさに、しばし圧倒された。

1月下旬、私は初めてキルギスを訪れた。日本人にとってはあまりなじみがない国かもしれないが、実は留学や研修などでキルギスから来日する人が多いと聞き、その実態を探るため現地に飛んだのだ。移動中、天山山脈の麓でたくさんの牛や馬に囲まれ牧畜を営む家族を見掛け、思わず車を止めた。話を聞くと、冬は自宅の牧場で家畜を飼育し、夏になると山の奥地へと遊牧に出掛けるという。日本から取材に来たことを告げると、牛の乳搾りをしていた女性がこんな言葉を口にした。「私が着ているこの服は、以前日本で道路に関する研修を受けた親戚からのお土産なのよ」。偶然話を聞いた遊牧民の家族にも、思いがけない日本とのつながりがあった——そのことに驚きと喜びを感じた。

1991年のソ連崩壊後に独立し、今年、日本との国交樹立25周年を迎えたキルギス。両国の友好のシンボルともいえるのが、95年にビシュケクに設立された「キルギス共和国日本人材開発センター(KRJC)」だ。市場経済に移行した国々におけるビジネス人材の育成と、日本との人脈形成の拠点として構想された日本センターは、JICAの支援により現在アジア9カ国に設置されている。

「冷戦終結後、ソ連時代に建てられた企業や工場は相次いで営業を停止しました。そんな中、キルギス独自のビジネスを発展させていくためにも人材育成は不可欠なのです」。こう話すのは、KRJC のカナット・コルバエフ所長だ。KRJCでは講義や研修を通じて、マーケティング、財務管理、生産品質管理などビジネスに必要な知識やノウハウを学ぶ「ビジネスコース」を開講している。日本人専門家も講師を務めており、日本での研修に参加する機会も用意されている。

キルギスは、中央アジア諸国の中でいち早く市場経済化を推進してきた。しかし、依然として国内総生産(GDP)の大半が、金の輸出、出稼ぎ労働者からの送金、農業から成り立っており、輸出競争力の強化やビジネス振興が課題となっている。そこで昨年4月、KRJCは新しいプロジェクトをスタートさせた。

「主眼を置いているのが、経済の多角化に向けた人材育成です。ビジネスコースの内容を改定し、まずは農畜産物加工業の育成を支援するため、食品衛生の日本人専門家を新しく講師陣に加えました」とKRJCの業務調整を担当する浜田恵美子専門家は説明する。昨年は、食品衛生管理の国際標準である「HACCP」に関する特別セミナーを開催した。専門家がHACCPの定義や必要性などを説明した後、実際に参加者の企業を訪れ、衛生管理対策についてアドバイスした。

ビジネス人材の育成と日本との交流の拠点に

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ビシュケク市内でカフェを経営するバイマトフさん。「KRJCで効果的なビジネスプランの立て方を学びました」(写真:竹田武史)

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JICAキルギス事務所の現地スタッフ3人は、KRJC日本語コースの受講生と修了生だ(写真:竹田武史)

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祭りでの演奏に向けて練習に励む和太鼓クラブのメンバー(写真:竹田武史)

これまでに1万人以上の修了生を輩出しているビジネスコース。2012年に受講したヌルザト・フセイノフさんは、ロシアやトルコから木材を輸入し、ビシュケク市内で家具製造会社を経営している。日本人専門家から学んだことが、実際の業務の改善に役立っているという。「例えば、これまで工場内の設備や機材はバラバラに置かれていましたが、教わったノウハウを生かして作業の手順に沿って配置し直したことで、作業効率が格段に上がりました」

一方、健康的な食事をコンセプトにしたカフェのオーナーを務めるカドルジャン・バイマトフさんは、「知人と開業しようと考えていたときに、経営ノウハウがなかったのでビジネスコースを受講することに決めました。特に人的資源の考え方は、経営者として非常に役に立っています」と話す。店のメニューには、野菜をふんだんに使ったスープやサラダ、果物のスムージーなどが並んでおり、「かつて私自身が太っていたころ、健康改善のために、食事や運動に気を遣っていました。そのときにキルギスではスポーツジムに通う人が多く、健康への関心が高いことに気付きました。それが、このカフェを思い付いたきっかけです」とバイマトフさん。修了生たちによって、趣向を凝らした数々のビジネスが生まれていることを感じた。

KRJCでは、キルギスと日本の関係強化に向けた取り組みも行っている。その一つが「日本語コース」だ。初めて日本語に触れる人でも受講でき、3000人を超える修了生の中には、日本と関係がある仕事に就いている人も少なくない。JICAキルギス事務所にも、現地スタッフとして日本語コースの受講生と修了生が3人働いている。その一人であるスベトラーナ・アレレコバさんは、「日本人のスタッフと会話したりメールしたり、日本語は毎日使っています」と流暢な日本語で話してくれた。

もう一つの取り組みである「相互理解促進事業」では、茶道、習字、折り紙といった日本の文化を体験するクラブ活動や講習などを行っている。中でも、約15人が所属する和太鼓クラブは、今では隣国カザフスタンからも演奏依頼があるほど活動の幅が広がっている。リーダーを務めるグリーザ・アワゾワさんは、「太鼓を叩くと仕事の疲れも吹き飛びます。年齢を問わず、みんなで楽しく活動を行っています」と笑顔を見せる。

日本の経験を生かして国の発展を支える

「日本でどのようなことを学びたいと思っていますか?」——「質の高い運輸と交通の技術を学びたいです」。この日、KRJCではある面接が行われていた。開発途上国において将来のリーダー層として期待される若手行政官らを、日本の大学院に留学生として受け入れる「人材育成奨学計画(JDS)」の選考試験の真っ最中なのだ。このプログラムを通じて多くの人がキルギスから日本に留学しており、その数は2007年度からの10年間で約160人にのぼる。試験では実際に日本の受け入れ大学の担当者が面接官を務め、今年度は45人の候補生が面接に臨んだ。この中から最終的に15人が、8月に来日する予定だ。

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JDS修了生初の大臣となったアクメートフ法務大臣。「JDSはキルギスの発展に貢献しています」と日本への感謝の言葉を述べていた(写真:竹田武史)

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クルマノワ経済省事務次官は、「新潟県の心温かい方々に囲まれ、本当に素晴らしい経験ができました」とJDSの経験を振り返る(写真:竹田武史)

キルギスではJDS事業の実施機関である「国家人事局」の働き掛けなどによって、留学生の帰国後の活躍を後押ししている。最近ではJDS修了生たちが次々と政府の主要ポストに昇進しており、修了生初の大臣も誕生した。2007年から2年間、福岡県の九州大学大学院法学府で学び、昨年11月に36歳という若さで法務大臣に就任したウラン・アクメートフさんだ。

アクメートフ大臣へのインタビューの日、私は数人の法務省職員に囲まれ、少し緊張しながら彼の到着を待っていた。すると、入室するなり大臣が「こんにちは。よろしくお願いします」と日本語であいさつしてくれて、張り詰めていた場の雰囲気が一気に和んだ。

「私にとって日本は謎に包まれた国であり、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。空港に着いたらまず湿度が高いことに驚きましたし、交通機関が規則正しく動いていることや、歩道に障害者のための点字ブロックがあることなど、日本での生活は驚きの連続でした」と語るアクメートフ大臣。日本では、さまざまな視点から法律を捉え、課題や問題点を分析する力を身に付けたという。帰国後は、日本で得た知識や経験を業務の改善に生かし、他の職員にも積極的にJDSに参加するよう呼び掛けているそうだ。

アクメートフ大臣は、福岡で生まれた娘に“エリコ”と名付けるほど日本が好きになったと話す。「最初はエリカという名前を考えていましたが、日本では女性の名前の最後に“コ”を付けることが多いと聞き、エリコと名付けました。日本ではたくさんの思い出ができましたし、当時の同級生は今でも連絡を取り合う仲間です。JDSを通じて、日本とキルギスがお互いに“兄弟”のような存在になることを願っています」

経済省の事務次官を務めるアイダイ・クルマノワさんも、2007年から2年間、新潟県の国際大学に留学したJDS修了生だ。「日本の特徴は、問題を解決するために細かい分析や調査を行い、事業を効率的に進めていく点だと思います。私もできるだけそのノウハウを身に付けられるように心掛けました」。日本各地を旅したり、地域の道場で居合道(いあいどう)を教えたりと、勉学以外にもさまざまな経験を積んだというクルマノワ事務次官は、「JDSを将来にわたって継続していくためにも、キルギスと日本が協力しながら、帰国した修了生のフォローアップにもより一層力を入れていくことが重要だと思います」と話す。

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帰国研修員同窓会が2015年にイシククリ州で行った森林保全活動

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今年2月、キルギスの税務局職員を対象にした人材育成プロジェクトも新たに始まり、JICAと税務局との間で署名式が行われた

キルギスでは2009年に「帰国研修員同窓会」が設立され、JDS修了生や日本での研修に参加したKRJC修了生の他、多分野にわたるJICA研修プログラムの経験者など約1800人が所属している。会員それぞれが知恵を持ち寄り、郊外の幼稚園や学校の建設、スポーツを通じたチャリティー活動、帰国研修員によるセミナーの開催など、キルギスの発展のためにさまざまな活動を展開しているという。自身もJDSを通じて2011年から2年間留学したダニアール・バクチーエフ同窓会長は、「今、私たちが目標に掲げているのが、日本の技術を学べる“日本大学”をキルギスにつくることです。会員が持つ日本での経験を最大限に生かすこと、そしてキルギスと日本との友好関係を促進することが、同窓会の使命だと思っています」と語る。

日本の経営ノウハウを学んだり、日本での留学や研修を経験したりした人たちが、キルギスの明日を担うリーダーとして活躍している——日本人としてどこかうれしい気持ちになると同時に、こうした交流をきっかけに、日本の中でもキルギスを少しでも身近に感じる人が増えることを願う。

(編集部 中森雅人)