“メイク・イン・インディア”に点火せよ インド

急成長を遂げるインド。
国際通貨基金(IMF)や世界銀行なども 「インドの経済成長見通しは世界の主要国でトップクラス」と口をそろえ、市場規模の面では、2022年には人口で世界一になるとも言われている。
近年はモディ首相の号令の下、新たな世界の工場を目指して法制度を改革し、海外からの投融資を積極的に呼び込んでいるが、そのために欠かせないのは、製造業を支える中小企業の底力だ。

P・K・エンタープライズ社の工場には、梱包材の加工に使われるさまざまな設備が並んでいる。設備の更新により、生産性と省エネ性能が向上し、成長につながった

新・ものづくり大国へ 中小零細企業の力を底上げ

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インド ニューデリー

2011年に直木賞を受賞した池井戸潤の小説『下町ロケット』は、大手メーカーの下請け工場・佃製作所の、ものづくりを通した挑戦を描いた作品だ。物語の軸となるのは佃社長以下、技術者たちのものづくりに掛ける情熱だが、その背景として描かれる中小企業の財務事情と、倒産の危機に直面して資金調達に奔走する経理部長以下、バックオフィスの若手社員たちの奮闘も見逃せない。中小零細企業にとって、資金繰りは死活問題なのだ。

小説の中では、佃製作所が町工場としてはずば抜けて高水準の設備を整えていたことが、新たな取引先の信頼を勝ち取る一つのきっかけになっている。では、現実はどうか。新しい設備を導入するメリットは分かっているのだが、そのために必要な“まとまったお金”をぽんと出せる中小零細企業は決して多くない。

今、新たな世界の工場を目指し、ものづくり立国に力を入れているインドでも、事情は同じだ。「たいていの中小零細企業は、一度購入した設備を、耐用年数を超えても使い続ける傾向にあります」。JICAインド事務所の古川直人さんは、そう話す。「設備の老朽化は生産性の低下、エネルギーの過剰消費などにつながり、高成長を続けるインド産業の足かせになりかねません」

同国のナレンドラ・モディ首相は、外国資本を誘致し、製造業の発展を通してインド経済のさらなる飛躍を目指す “メイク・イン・インディア”政策を推進している。中小零細企業の設備更新は、こうした産業育成の側面からも避けては通れない。そんな中、日本が協力して進めているのが、中小企業でも利用しやすい法人向け政策ローンだ。

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SIDBIのミタル副頭取は、まだ金融機関と取引のない中小零細企業に金融サービスを届けることの重要性を指摘した

「インドの中小零細企業の85%は金融機関との取引がなく、従って融資を受けることができない状況にあります」とローンの貸付を行う政府系金融機関、インド中小企業開発銀行(SIDBI)のマノジ・ミタル副頭取は語る。「本プロジェクトは、そうした企業にも、金融市場を通じた資金調達の門戸を開く意義があるのです」

といっても、ただ単に資金を貸し付けるのではない。「中小零細企業・省エネ支援事業」という名が示すとおり、このローンは、JICAが提供した低金利の優遇借款資金を原資に、企業が省エネルギー設備を導入することを条件に借り入れを受けられるというもので、インドの国策として進む省エネルギー対策に呼応するプロジェクトだ。人口増加と近代化が並行して進むインドでは、エネルギー需要が急激に高まっている。2001年には省エネルギー法が制定され、12年からは家庭や大企業だけでなく中小企業でも省エネを推進することになった。古川さんは、「本プロジェクトでは、SIDBIがJICAの協力の下、あらかじめ一定基準の省エネ性能が確認された設備をリスト化し、それらの導入に対して融資を行っています。中小零細企業のニーズに応えるだけでなく、インド政府の方針とも合致しています」と語る。

JICAの委託を受けて技術支援を手掛けるプライスウォーターハウスクーパース社のマニシュ・ソニさんは、リストの存在が手続きの簡略化につながっていると指摘する。「どこの国でも、中小零細企業はたいていが家族経営ですから、複雑な審査手続きのために大量の書類を作るだけで負担になるのです。リスト化により書類が簡略化されれば、手続きの負担は軽減されます。その分、利用のハードルが低くなるということです」

ミタルさんは、こう付け加える。「あらかじめ融資対象設備のリストが準備されていれば、一つ一つの融資申し込みに必要な審査が減りますから、銀行にとってもコスト削減となり、金利を低く抑えることにつながります」

「当初は400種の設備をリストアップしていましたが、利用者のリクエストなどを受けて徐々に拡充され、9年目の今では800種の設備が掲載されています」とマニシュさんが説明してくれた。「対象分野も、手作業の機材から機械メーカーが使う精密加工設備まで幅広く、多くの産業をカバーしています」

JICAは原資を提供しているだけではない。SIDBIに対して、融資サイクルの管理方法など金融機関に必要な技術支援を行っており、SIDBIの融資能力の向上を通して中小零細企業の金融へのアクセス拡大を目指している。さらに、企業向けには省エネ研修やガイドの作成なども行っている。「インドの中小零細企業は、この先、国の発展を支えることはもちろん、雇用創出の面でもインド経済の中で大きな役割を担うことになります。これらの企業の資金調達を後押しするとともに、省エネ文化を普及させることは、インドのより安定した、持続可能な成長のための呼び水となります」。ミタルさんは、そう強く訴えた。

インドの佃製作所を目指せ 世界に挑む企業家たち

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カスヤGPPオートプロダクツ社が導入した設備の一つ(上)と加工された部品(下)。部品の加工と研磨までの一連のプロセスを自動で処理することができる

インド工業の現状を知るため、いくつかの工場を見学させてもらった。

首都ニューデリーから車で1時間ほど。ディーゼルエンジン部品を製作するカスヤGPPオートプロダクツ社の門をくぐると、色とりどりの花が植えられた中庭が広がっていた。その奥では、新たな工場社屋の建設が進んでいる。「当社の売り上げは年30%のペースで成長しています。長年、日本企業と取引し、カイゼンや5Sなど、日本の業務慣行を積極的に取り入れたおかげです」。同社のI・C・アガルワル社長は、そういって本社屋の入り口にある安全管理ボードや、数字が整然と並ぶ製造ラインのホワイトボードを見せてくれた。「各ラインは1日22時間・週6日稼動させていて、生産量はほぼ限界です。事業の拡大には、生産能力そのものの向上が必要なんです」と話すアガルワルさん。実際の生産ラインを歩くと、工員たちが黙々と、だが正確に作業を進めていた。175人の社員が3交代制で、日本を含む国内外のさまざまな自動車メーカーの部品を作っているのだという。

同社では、SIDBIからの融資をきっかけに、生産性の向上を目指していくつか新型の機材を導入している。全自動で部品の研磨や穴開けを行う設備は、いずれもこれまで複数の機械に分かれ、何人もの工員の手を掛けなければならなかった工程を、1台で正確にこなすことができるという。「この設備があれば、生産効率を上げられることはもちろん、より高い精度を求める企業からも受注を受けられるはずです。省エネ効果も得られており、コストカットにもつながります」と、アガルワルさんは強気を見せた。

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チーズの加工を行うデイリークラフト社の工場で。SIDBIのローンを活用し、さらに大型で安全性の高い機材を導入するという

そこからさらに車で100キロ近く走り、青々とした麦畑を抜けたところにあるのが、洋風チーズを生産するデイリークラフト社の工場だ。インド最大の宗教・ヒンズー教では牛を神聖視し、牛肉を食べないが、ミルクからチーズ、バター、ヨーグルトまで、乳製品は多くの人に愛されている。日本ではあまり縁のない水牛も数多く飼育されているインドは、世界有数の乳製品生産国なのだ。デイリークラフト社のビジャイ・ジュネジャ社長は、毎朝、デリーから車を飛ばし、ミルクの生産地となる農村に建てたこの工場に通っているという。確かに、道中では多くの牛の姿を見掛けた。

「当社は、インド各地の有名ホテルやレストランなどにチーズを納入しています。日本からも、水牛のモッツァレッラを輸入したいという打診がありましたよ。消費期限が短いものなので、工夫が必要だとお答えしましたが」と、ジュネジャさんは笑った。

同社がSIDBIの融資で導入する新たな設備があれば、現在7台の機械と社員の手作業で行っている加工が1台で全てこなせるようになるという。「加工中は釜のふたが閉まるので衛生的で安全ですし、熱が逃げないので省エネになります。さらには加工用のレシピを本体に登録することもできるので、生産のノウハウを守ることもできます」。厳しい衛生基準をクリアした工場を案内しながら、ジュネジャさんはそう説明してくれた。

「当社の製品は最高の品質を追求していますし、添加物もできるだけ使いません。食べ物は体に入って血や肉になるものでしょう?自分の子どもや孫たちに自信を持って、安心して食べさせられるものでなければ、お客さんに売ることはできませんよ。省エネだって同じです。次世代のために、エネルギーの無駄遣いは避けなければなりません」。そう語るジュネジャさんは、情熱的な経営者であると同時に、心優しい父親の顔をしていた。

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P・K・エンタープライズ社で、海外メーカーの梱包用ボックスにラミネート加工をする工員たち。同社の箱を使った商品の多くが海外に輸出される

最後にもう一カ所、工場を訪問させてもらった。ダンボールや梱包剤の製造・加工を手掛けるP・K・エンタープライズ社だ。「この会社を始めて15年になりますが、当初は資本金も少なく、加工できる量にも限界がありました。徐々に工場を拡大し、SIDBIの融資などで10台近くの設備を更新したことで、1日1000枚の加工が限界だったものが、2〜3時間で1000枚を加工できるほどになりました。現在は、毎日7000から1万の梱包を作成していますが、電力の消費は減り、品質は向上しています」。社長のP・K・ジャインさんは、そう振り返る。

創業当初から同社で働き、顧客向けの試作品も手掛けるヘラ・シンさんは、「新しい機材のおかげで作業も楽になりましたし、この仕事に満足しています」と話す。同社では、地元企業はもちろん、日本や欧米などの企業からも梱包製作を受注している。同社の梱包を使った製品の多くが海外に輸出されるため、同社の製品も輸出されているとみなされ、原材料の輸入関税の免除などの優遇措置が受けられるという。輸出振興策のちょっとした恩恵だ。

「今後は融資を利用して会社を拡大するだけでなく、研修などでさらに技術力を高めたい」と語るジャインさん。次世代のものづくり大国に向けて、インドの壮大なカウントダウンが始まっている。

(編集部 近藤ゆふき)

中小零細企業を育てる中長期ローン

「バングラデシュは縫製業を中心に民間企業の活動が活発で、起業意識も高く、高い成長の可能性を秘めた国です。その一方で、洪水やヒ素汚染、地震のなど自然災害リスクを抱えています」と、JICA南アジア部の弓削泰彦さんは話す。「これから労働市場に参入してくる若い世代のためには、質の高い仕事の場が必要です。さらに、現在、経済活動を下支えしている国産天然ガスの生産が頭打ちになりつつあり、今後はエネルギーの輸入という新たな負担も視野に入れる必要があるため、産業の多様化や付加価値の高い産業の育成が求められています」

バングラデシュでも、中小零細企業の金融市場へのアクセスは、隣国インドと同様、簡単ではない。さらには産業が大企業と零細家内企業に二分化され、その間を埋める中小・中堅企業が育っていない。そこでJICAは2011年に「中小企業振興金融セクター事業」を開始し、銀行やノンバンク金融機関などを通して、中小零細企業向けに中長期の設備投資ローンを展開。2016年までの期間で、46の金融機関が計517件の融資を地元の中小零細企業に提供した。一部の金融機関は、この機会を生かして新たに中小零細企業向けのローンを開発しており、金融商品の多様化や金融サービス活用の道が開けた。融資と並行して経営者向けに能力強化研修も行い、150人以上の女性を含む約800人が受講している。

また、同国では2013年4月に首都ダッカの郊外で縫製工場の雑居ビルが崩壊し、1,134人が死亡、330人が行方不明となった。これを受けてJICAは、このプロジェクトの枠内で工場の安全性を調査し、必要に応じて耐震補強や工場の建て替え、移転を支援するパイロットプロジェクトにも着手。現在はその経験を生かした新規プロジェクト「都市建物安全化事業」が展開されている。