Voice 岡本行夫 外交評論家

下からの日本、上からの中国 −アフリカの現場で−

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ケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学で研究成果の説明を受ける筆者

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ウガンダのナカワ職業訓練校での授業風景

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ルワンダのウムチョムイーザ学園の子どもたち

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ルワンダのウムチョムイーザ学園の教育関係者と

真っ青な空と太陽と緑が萌える中で会ったアフリカの人たちは、みんな輝いていた。サハラ砂漠の南を訪れたことのない僕に、今年3月、JICAがウガンダ、ケニア、ルワンダを見せてくれた。

「北緯6度以南のアフリカは、豊かな自然の熱帯雨林で飢える心配がないから誰も働かない。6度の北側はサバンナ気候で雨が降るのは一時的。作物はその時期に植えなきゃならないから、人々は働く習性があるんだ」とアフリカの大権威である友人に聞かされていたが、僕が訪れた3つの国は違っていた(帰国後、大権威にそう言ったら、「6度理論」は高原に位置する国には適用されないんだと、慌てて訂正していたが)。

3つの国。なんと人々が生き生きとしているのだろう。最初に訪れたウガンダのナカワ職業訓練校(日本の支援によって建設)での印象は強烈だった。自分もあんなに熱心に勉強したか?課題に取り組んだか?なにしろ教室は簡素、照明は不十分、訓練機材は老朽化。それなのに、あの活気。アフリカ人の学生と先生と、そして日本人専門家の熱心さ。この人たちが国じゅうに技術と日本の援助の話を広めてくれる。

日本のアフリカ支援で最も効果的なのは技術協力、それも組織的、連続的にアフリカ人たちに技術を教える教育ではないかとつくづく思う。

JICAが支援するルワンダのウムチョムイーザ学園は素晴らしい。幼稚園児や低学年の児童たちは飛び跳ね、高学年の児童たちはすっかり大人顔。食い入るように黒板を見つめていた。僕は、むかし父親の赴任地のクアラルンプールのイギリス人学校に通った。オール白人とオール黒人の差を除けば、雰囲気も、子どもたちの輝きも、奇妙に似ていた。

アフリカは僕の最後のフロンティアだ。だから行ってみたかった。そして魅せられた。だけどデカすぎる。アメリカ、中国、ヨーロッパ、インドを全部入れても、まだ余る。「70歳を過ぎてアフリカにのめり込んで一体どうなるんだ」と理性が囁く。しかしあの膨大さ、茫漠さ、複雑さとエネルギーに引きつけられる。人口は2050年には25億人、地球上の人口の4分の1になるという。2100年はなんと世界の4割がアフリカ人になるという。世界は変わる。

もちろん経済は飛躍的には発展しない。どこの国でも最先端の技術に強い関心があるが、まずは基礎的な生活の底上げが大事だろう。贅沢なモノは要らない。ゆっくり発展していけばいい。ケニアでJICA専門家が言ったことが忘れられない。「一足飛びに高い技術を狙うよりも、その土地にあった小さな改良を積み重ねて新しい発展の芽を探すことが大事だ」と。例えばケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学では、希少資源である水を農作物栽培に効率よく使う技術とか、新種作物の交配などが進められていた。地道な成果が堅実にその地域での競争力を強め、人々のインセンティブとなっていく。

是非とも行きたかったルワンダ。1994年にフツ族が約90万人のツチ族を虐殺した国だ。なぜ虐殺が起こったのか?おぼろげながら理解したのは、原因は列強−ルワンダの場合はベルギー−が自分たちの統治に都合が良いように植民地の民族の間に支配者と被支配者のカテゴリーを作り出したことだ。なぜ和解できたのか?融和を可能にしたのは犠牲となったツチ族側の「許し」だ。この許しが各地方の末端のレベルから上にあがっていって国全体の許しの構造が作られた。アフリカの伝統社会では下が決めて上へ上がる。ところが外国がアフリカに持ち込んでいる意思決定の構造は、現代に至るも上から下だ。だからアフリカの知的エリートはいわゆる「ヒラメ状態」で上ばかり見ているといわれる。

アフリカには中国の怒涛(どとう)の経済援助が流れ込む。物量では日本はとてもかなわない。正面から対抗する必要はないが、中国の援助がどれほどアフリカ国民の生活に役立っているのか疑問にも思う。中国の援助はかっての列強と同じように、資源開発など中国の利益に結びつくプロジェクト上から落とし込んでいくものだ。アフリカの他の国でも見た。

日本は逆だ。青年海外協力隊員や専門家はアフリカの人々と一体となってチームを組んで一身をささげる。その献身に感動する。下から積み上げていく技術協力こそアフリカに合っている。トランプ政権が「アメリカファースト」でいくのなら、なおさら日本が国際公共財を担っていこう。日本の経済協力の現場でみたアフリカの若者たちの、雲の間から差し込む太陽の光のような目の輝きが忘れられない。

(注)「Voice」に書かれている見解はすべて筆者個人のものです

Profile

岡本行夫(おかもと・ゆきお)

1968年外務省入省。91年退官後、岡本アソシエイツ設立。橋本内閣、小泉内閣で2度にわたり首相補佐官を務める。立命館大学客員教授。東北大学特任教授。MIT国際研究センターシニアフェロー。NPO法人新現役ネット理事長。政府関係機関や企業への助言活動、講演活動の他、新聞、雑誌、テレビなどで幅広く活動している。2017年5月よりJICA「特別アドバイザー」。