ヒマラヤの安全は日本がつくる ネパール

世界最高峰エベレストを擁する山岳国ネパール。
陸路でのアクセスが困難な場所も多く、空路は重要な生命線だ。
しかし、立地の問題から、首都カトマンズを筆頭に離着陸が難しい空港も少なくない。
ネパールの空の旅を安全なものにするため、日本の技術者たちが奔走している。

写真:中村年孝(写真家)

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トリブバン国際空港から離陸するネパール国内航空会社の小型機。国際線はもちろん国内線や遊覧飛行など、同空港を利用する飛行機は多く、機種も多彩だ

山に囲まれた空港 安全はレーダーが支える

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カトマンズ

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バテダダ山の頂上に作られた真新しい航空路監視レーダー。カトマンズ周辺の山々を越え、国土の7割をカバーする

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白いドームの中では、巨大なレーダー装置が稼動している。左から、中窪専門家、阿部専門家、案内してくれたネパール民間航空局(CAAN)のラムさん、平野専門家

足下に見える急斜面の色が木々の緑から建造物のレンガ色に変わったときには、すでに着陸が近かった。窓から眺めると、すぐそばに民家が見える−。これまでにさまざまな国を旅し、多くの空港に降り立ってきたが、着陸時にここまで不安を感じたのは香港の啓徳空港以来かもしれない。空港に隣接するビル街の上をかすめて降りなければならない啓徳空港はかつて「世界一着陸が難しい空港」と呼ばれたが、沖合に新たな国際空港が完成した1998年、香港の空の玄関としての役割を終えた。

一方、ネパールの空の玄関・トリブバン国際空港は周囲を山に囲まれた狭いカトマンズ盆地にあり、移設のしようがない。着陸となると、どうやっても山すれすれを越えてから急降下というルートを取ることになる。

この降下プロセスを誤ったために発生したのが、1992年9月のパキスタン国際航空268便墜落事故だ。同機は本来、最後の山を越えてから降下すべきところを、一つ手前の山を越えた時点で降下を始めてしまったために、カトマンズ近郊のバテダダ山中腹に衝突し、乗員・乗客合わせて197人が亡くなった。

バテダダ山は標高約2800メートル。カトマンズ盆地の南方にあり、首都を取り巻く山々の中では最も高い。今、その頂上に、ある建造物が設置されている。まもなく本格運用が開始される、航空路監視レーダーだ。

「このレーダーが本格稼働すれば、ネパールの東側、国土の7割程度をカバーすることができます」と説明してくれたのは、平野棋市郎JICA専門家だ。説明を受ける間も、飛行機が幾度となく頭上を飛び去っていった。「このレーダーが集めた情報と、飛行計画情報を総合すれば、どこにどんな飛行機が飛んでいるかを把握できるようになります。その内容をここでまとめて、レーダーの下に付いているアンテナで空港の管制卓に送るんです」

パラボラアンテナは、確かに先ほど航空機が飛び去った方向を指している。雲が晴れると、肉眼でもトリブバン空港の滑走路が確認できた。

日本がネパールの航空安全に関する支援を始めた一つのきっかけは、前述のパキスタン航空墜落事故の直前、92年7月に発生したタイ航空311便墜落事故にある。雨期まっただ中の悪天候下で着陸をやり直すことになった同機は、空港の南に戻ろうとして誤って北に進路を取り、そのまま山肌に衝突したのだ。113人の犠牲者の中には、JICA関係者など日本人21人が含まれていた。

これらの事故が起きたころ、トリブバン空港にはレーダーの類が何もなく、離着陸は全て目視で行われていた。激しい雨や深い雲で視界が限られる中、機長が機体の現在位置をしっかり把握できなかったことが、事故につながったといわれている。二つの悲しい事故を受けて、ネパール政府は日本に支援を要請。日本は空港監視レーダーの提供と、研修などの技術支援を行った。

「レーダーシステムを入れた時、当時の職員たちには『これをきちんと使い続けて欲しい』と伝えたんです」と平野さんは振り返る。「新しい装置を入れるためにネパールに再びやってきた私に、当時、保守の訓練を受けた技術官が『平野さん、言われたとおり大切に使ってきましたよ』と声を掛けてくれた時は、心底うれしく思いました。今や日本では使われていない旧式のシステムですが、長い間、きちんと手入れして使い続けてくれたんですね」

しかし、それから20年以上が経過し、メンテナンスにも限界が近づいてきた。そこで、日本は2台目の空港監視レーダーと航空路監視レーダーの設置、それらを活用する新システム、さらにはメンテナンスを支える補給管理センターの整備を支援することになった。

空路を守るレーダーには二つの種類がある。一つ目は、安全な離着陸のために空港の管制官が正確な指示を出すことに使われる"空港監視レーダー"で、空港の周囲約9キロの範囲を見守る。二つ目は、出発地と目的地の間を飛行する各機の位置と飛行計画を把握し、適切な航路選びに利用される"航空路監視レーダー"で、バテダダ山に建設されているものがこれだ。

標識などない空路だが、実は道路と同様に一定の飛行ルートが存在する。特に空港への進入ルートは決められていて、各機は管制官の指示を受け、順番にこのルートに入ることになるが、このときに役立つのが航空路監視レーダーだ。「これまでは空港からの距離だけで着陸順を決めていたため、カトマンズ盆地の南側上空を旋回しながら何十分も着陸順を待つ飛行機も出ていたのです。これからは、それぞれの飛行機の位置を踏まえて着陸ルートへの入り方と順番を指示し、出来る限り待つことなく着陸させることが出来るようになります」。自身も国土交通省の管制官だった平野さんは、レーダーシステムのシミュレーション画面を使って説明してくれた。「同時に接近してくる各機をどうやってスムーズに着陸ルートに乗せるかも、管制官の腕の見せ所です」

山岳国に不可欠の空路 日本人トレッカーにも影響

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CAANのガウタム局長。長年、日本と共に航空安全プロジェクトを推進してきた

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もはや日本では使われていない旧式のレーダーシステム

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まもなく最新型のシステムに置き換えられるため、担当者は業務の合間に訓練を行っている

「ネパールは、他と比べて航空事故の多い国です。日本はネパールに世界水準の機材を整備し、それを運用できる技術者を育てることで、ネパールの航空安全に貢献しています」と話すのは、阿部利治JICA専門家だ。「ネパール側も、ただ受け身で支援されているだけではありません。バテダダ山でのレーダー施設建設に当たっては、獣道しかなかった山に山頂までの道路を整備するなど、支援を生かせるような環境づくりに積極的です」

かつて国土交通省でレーダー施設などの運用・管理を行う管制技術官だった阿部さんには、悔やみきれない思い出がある。かつて、JICAの技術協力でフィリピンに派遣されていたとき、同国南部で発生した飛行事故で、青年海外協力隊員だった日本人の若者が亡くなったのだ。「この世から航空事故をなくしたいと思い、帰国後は航空事故調査官になりました。今の仕事も、私にとってはあのときの敵討ちのようなものです」

国土の北側をヒマラヤ山脈が占めるネパールでは、国内移動をするにも道路は山道に継ぐ山道。「空路は、われわれにとって欠かせない交通手段なのです」と話すのは、ネパール民間航空局(CAAN)のサンジブ・ガウタム局長だ。「特に山岳地帯の北部では道路の使い勝手が悪く、医療機関への緊急搬送など生活に関わる部分でも空路が不可欠となっています。さらにはヒマラヤの山々を目的に訪れる多くの観光客も、空路でヒマラヤ入りすることになります。空の安全は、わが国にとって重要な課題なのです。日本の支援は、われわれが目指す安全な空の旅の実現に向けて、大きな力となっています」

阿部さんも、「トレッキング人気が高まってきた近年、ヒマラヤの山歩きを楽しむ日本人のシニア旅行者も増えてきました。ネパール全土の空路の安全は、日本人の安全にも直結するのです」と続ける。

日本は今後、トリブバン空港を皮切りに、ネパール国内の各空港に航空安全設備を導入していく予定だ。その中には、飛行機が滑走路に進入する際の誘導装置(ローカライザー)なども含まれている。飛行機事故の8割は離着陸時に発生するといわれているが、こうした航空安全設備の導入が進めば、ネパールの空は確実に安全なものになっていくはずだ。

メンテナンスの技術を高め 自国の力で安全を守る

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最初に作られた空港監視レーダー(右手前)と、今回新たに追加されたもの(左奥)

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次々と離着陸する航空機に指示を出す管制官たち。たった一本の滑走路しかない空港で、効率と安全を両立させなければならない

日本側は、こうした協力姿勢を指して「ネパールの空の安全は日本がつくる」と語っているという。しかし、安全はつくっただけで終わりではない。「次はネパールの人たちに、『自分たちが空の安全を守っているのだ』という意識を持ってもらいたいんです」と話すのは、国土交通省から派遣されている中窪将博JICA専門家だ。中窪さんは日本の航空管制技術を世界に展開する役割を担っており、過去にミャンマーへの航空管制システム導入に向けた取り組みを指導した経験がある。今回、レーダー機器の更新と追加整備に当たって中窪さんが指導しているのが、これらの機器の補給管理センターの導入だ。メンテナンスに必要な予備部品を準備・管理し、トラブルが起きた際にはいつでも整備できるような体制づくりを目指している。

「ネパールの人たちは温厚で真面目。仕事を任せればきちんとこなせるのですが、トップダウンのやり方が染み付いていて、一人ひとりが積極的にイニシアチブを取ろうとしないのが短所です。また、お互いに情報を共有することが少なく、組織の中で技術が継承されていくことが少ないのも課題ですね」と中窪さんは話す。「でも、私がデータを収集したりしているのを見て、『私たちがやりますよ』と自ら動き始めることが、何度もありました。現場を知る技術官のプライドを持って、積極的に課題解決に取り組んでもらえればと思います。もともと高い誇りを内に秘めた人たちですから、一度動き出せば転がるんです」

「7月から始まった補給管理システムの運用研修では、準備のために6人の若手職員を日本に派遣しました。戻ってきた後、彼らは積極的に研修教材作りに取り組むなど、率先して動いてくれています」と証言するのは阿部さんだ。

常に他国とつながっている航空業界では、国際標準への適応はゴールではなくスタート地点だ。「先進国は徐々に厳しくなる国際標準に段階的に対応してきましたが、開発途上国はすでに高くなったハードルを一気に越えなくてはなりません」と、阿部さんは指摘する。「現在、ネパールの航空会社はEUから国際的な安全水準に達していないとみなされ、空港への乗り入れを拒否されている状況です。それでもネパールの人たちの努力で、近いうちに国際水準に到達できると信じています」

年末の航空路監視レーダー本格稼動に向けて追い込みを続ける平野さんは、「将来的にもう一つ、国の西半分をカバーするレーダーが設置できれば、この国の空の安全はさらに高まります。でも、まずは新たに設置した装置をきちんと使いこなせるように、基本的な情報をしっかり伝えていくところからです」と話す。

一方、航空分野のプロジェクトをいくつも見てきた阿部さんは、「日本という国がさまざまな開発途上国を支援する中で、多くの専門家が現地に入っています。そうした人たちの中から、次世代の国際協力をけん引する人たちが出てきてほしいですね」と語った。

「皆さんも旅をするときには、空路を使うことがあると思います。その時は、ぜひ、さまざまなことに疑問や興味を持って旅をしてください」。雨期特有の雲交じりの空の下、中窪さんはそう話した。トリブバン空港の昨年の発着便数は延べ2万6563便。その安全は、日本とネパールの人の絆が守っている。

(編集部 近藤ゆふき)