安全な社会への再出発 ブラジル

都市部の人口集中に伴い、山の斜面など土砂災害の危険性がある場所にまでも大勢の人が家を建てているブラジル。
そんな住環境も影響し、2011年の災害では大きな被害を出した。
今、同国政府はこれまで重点が置かれていなかった減災・防災対策に力を入れ、住民の安全な暮らしを確保するための一大プロジェクトに取り組んでいる。

多くの機関が協働 定期的な会議で意思統一

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今年7月から1カ月間、日本で行われた防災研修に参加したブラジルの研修員たち。奈良県内の砂防堰堤(えんてい)の建設現場を視察した

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リオデジャネイロ

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2011年に起きた土砂災害の現場(ノバフリブルゴ市)

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土砂災害の現場を視察する武士専門家(ペトロポリス市)

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連邦政府の4省庁が集まり毎週開催している連絡調整会議

2011年1月、ブラジル・リオデジャネイロ州で、大規模な土砂災害が発生した。死者は800人を超え、行方不明者は約400人、約2万人が家を失うというブラジル史上最大の災害となった。

「突然、豪雨が襲ってきて、午前4時ごろに最も雨が激しくなりました。まだ辺りは真っ暗でした」。こう振り返るのは、当時、大きな被害を受けたノバフリブルゴ市で消防隊長を務めていたジョアンオ・モリさんだ。同市の大部分は山地や丘陵地であり、降りしきる雨に耐えかね山の斜面は崩壊。多くの市民が土砂に巻き込まれてしまった。「当時は土砂災害の予報や警報のシステムはなく、こんな大災害が起きるなんて誰も予想できなかったのです」

この災害を機に、ブラジル政府は災害リスク管理の体制を強化する方針を打ち出した。同年12月には、降雨予測と観測の強化を目的として、科学技術革新省に「国家自然災害モニタリング・警報センター(CEMADEN)」を設立。2012年には、国家統合省に、災害リスク評価や災害対応を目的とした「全国災害リスク管理センター(CENAD)」を創設した。しかし、体制が整備されたとはいえ、防災インフラが整備されていない、災害リスクを考慮した都市計画が策定されていない、そもそも危険箇所を示すリスクマップが無いなど、課題は山積していた。そこで、同国政府から日本に協力の要請があり、2013年から4年間の防災プロジェクトが始まったのだ。

「このプロジェクトは、複数の技術協力プロジェクトが同時に動いているともいえるほど壮大な取り組みです」。プロジェクト開始から2年間チーフアドバイザーを務めた、国土交通省の武士俊也専門家はこう語る。プロジェクトの特徴の一つは、扱う分野が、1)リスクマッピング、2)都市計画、3)予防・復旧、4)予警報−と多岐にわたること。それぞれの分野でマニュアルを作成し、それを基にパイロット事業を行うのだ。もう一つは、連邦の4省庁(都市省、国家統合省、科学技術革新省、鉱山エネルギー省)に加え、パイロット事業の対象地区である2つの州政府と、3つの市政府という多くの機関が関わっていることだ。

「連邦国家のブラジルでは、連邦、州、市の政府が同じような権限を持っているので、それぞれが独自に予警報を発令するなど構造的な複雑さを感じました。そこで、機関間、分野間の連携強化には特に力を注ぎました」と武士専門家は話す。取り組みの一つとして、各分野の連邦機関の担当職員を集めた連絡調整会議を週に1回開催した。会議を進める上で、武士専門家は日本式を押し付けるのではなく、ブラジル式と日本式の長短を考えた上で現地に適した手法を取り入れられるように心掛けたという。「日本で完成している手法をただ紹介するのではなく、同じような課題に対してどう取り組んできたのか、その経験や過程を伝えるようにしました」

また、会議ではこんな議論も。「当初は"JICAプロジェクト"と呼んでいたため、日本が援助してくれるというイメージをブラジルの職員に与えていたのです。そこで、会議のメンバーでプロジェクトの愛称を話し合い、"総合的な土砂災害管理"という意味のポルトガル語の頭文字を取って、"GIDES"と名付けました。そこから職員の間に、自分たちのプロジェクトだという意識が生まれたように感じます」と武士専門家は話す。

さらに、数カ月に1回の頻度で、連邦政府に加えて州・市政府の職員、学識経験者や研究者らを交えた技術会議を分野ごとに開催。連絡調整会議で連携を強めた連邦政府が、会議を主導する姿も見られるようになった。都市省都市開発局のマルセウ・サンタナさんは、「以前は4省庁が同じテーブルに着いて話し合う機会はなかったので、お互いの作業の進め方や技術的な手法などを把握していませんでした。各機関の役割を理解した上で対策を検討できるようになったことは、大きな進歩です」と話す。

災害大国の日本から 経験や取り組みを伝える

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奈良県庁で行われた講義後、村井浩副知事(中央)から激励の言葉を受けた研修員たち

ブラジルの職員が日本で防災に関する研修を受ける機会もあり、参加した職員のほとんどが「非常にためになった」と話す。今年7月から8月にかけて行われた研修には、連邦、州、市政府で予警報分野を担当する9人の職員が参加した。このうち、奈良県で行われた講義と実習に密着させてもらった。

一行はまず、2011年に大雨による大規模な土砂崩れを経験した奈良県の土砂災害対策について説明を受けた。「住民にはどのように避難を呼びかけているのか」という研修員からの質問に対しては、県が地方気象台と共同で土砂災害警戒情報を発表し、それに基づいて各市町村が住民への避難勧告や避難指示を出していることや、危険箇所にはサイレンを設置していることなどが紹介された。

その後、一行は実際に県内の災害対策現場を視察。土石流を防ぐために砂防堰堤(えんてい)を建設している老人ホーム周辺の現場では、サンタカタリーナ州職員のジャクソン・ラウリンドさんが、砂防堰堤を建設する場合と、老人ホームを移設する場合のコスト比較について質問した。「ブラジルでは、対策を決める際にはコスト面を重視します。ですが、"介護が必要な人たちも多く入居しているため、老人ホームの移設は現実的ではないと判断した"という説明を聞いて、社会的要因も配慮しながら対策を決める日本の考え方を学びました」とジャクソンさんは話す。

研修員の団長を務めたウェスレイ・フェリントさんは、「ブラジルではこれまで災害が起きてからの対応が重視されてきましたが、これからは日本のように事前準備や予防にも力を入れることが大切だと感じました。また、防災教育や、地域コミュニティーの強化といったソフト対策も学びました。財政的に厳しいブラジルでも取り入れていけそうです」と約1カ月間の研修を振り返っていた。

実践的なマニュアル作成 4分野の対策を強化

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専門家の指導の下、リスクマッピングの手法を学ぶ地質サービス局とブルメナウ市の職員

現在、各分野におけるマニュアルの作成はほぼ終了し、ノバフリブルゴ市、ペトロポリス市、ブルメナウ市の3つの市でパイロット事業が行われている。リスクマッピング分野の事業では、詳細な地形データが備わっていない地域もあるため、ドローンを使って局地的に地形図を作成することで不足データを補いながら、土砂災害のリスクマップ作りを進めていった。リスクマッピング分野を担当する鉱山エネルギー省地質サービス局のジョージ・ピメンテウさんは、「もともとあったブラジルのマッピング手法に日本の新しい手法を取り入れることで、がけ崩れ、地滑り、土石流、落石といった災害種別に危険箇所を示すことができるようになりました」と説明する。

都市計画分野の事業では、実際に市街地の範囲をどうするかなどを検討。その際、作成したリスクマップを活用しながら、土砂災害の危険性がある場所に住宅地が配置されないような計画にしていく。それでも、危険箇所に住宅地を配置せざるを得ない場合には、構造物などのハード対策によって安全性を確保しなければならないため、予防・復旧分野の事業とも並行しながら進めていった。予防・復旧分野を担当する国家統合省国家市民防衛局のパウル・ファウカオンさんは、「ブラジルでは"ファベーラ"と呼ばれるスラム街など、土砂災害のリスクが高い場所にも多くの人が住んでいます。こうした人たちを移転させることは範囲が広く難しいため、何らかの対策工事が必要なのです」と指摘。「これまで特に土石流の対策工事の経験はほとんどなかったため、日本の専門家から効率的な手法を学ぶことができたのは有益でした」

予警報分野の事業では、住民の避難活動がスムーズに行われるように、避難のタイミングや経路、場所などを検討しながら緊急対応計画の見直しを進めている。また、CEMADENが出した警報をCENADが各市政府に伝達し、住民に避難行動を促すという縦の連携も強化されつつある。奈良県庁から派遣され、パイロット事業を担当している成戸章典専門家は、「マニュアルに関係する課題は、連邦政府と市政府が共に議論する必要がありますが、国土が広いため会議を設定するのは容易ではありません。そのため、課題が出てきたら早い段階で関係者と共有し、事業スケジュールを基に、連邦政府が市政府を訪問するタイミングを計画的に決められるように努力しています」と話す。

メンバーの心に刻まれた 10年後の約束

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土石流の発生メカニズムについてプロジェクトメンバーと協議する山越専門家(右)と成戸専門家(中央)

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災害リスク管理について話し合う武士専門家とユーリ部長(撮影:渋谷敦志/2014年)

2015年から、武士専門家の後を引き継いでチーフアドバイザーを務めている山越隆雄専門家は、「これから重要になるのは、プロジェクトで作り上げたマニュアルを、ブラジルの職員が国の実情に沿う形で長期的に改善していけるような仕組みづくりです」と話す。

一方、2年間のチーフアドバイザーの任期を終えた武士専門家は、帰国する直前、ブラジルのある人物と約束を交わしていた。その人物とは、プロジェクトの開始当初からのメンバーである都市省都市開発局のユーリ・ジュスチーナ部長。全体のコーディネーター役として他のメンバーを引っ張ってきた、まさに"GIDESプロジェクトの顔"というべき存在だ。

ユーリ部長に当時の話を聞いた。「専門家の方々を私の自宅に招待したときのことです。訪問客にはいつも、我が家のノートに願い事を書いてもらっているのですが、武士専門家からはこんなメッセージが残されていました。"10年後、我々の取り組みがブラジルにとって喜ばれるものでありますように"」

ユーリ部長自身も、今年7月にプロジェクトの直接の担当を離れることになったが、武士専門家との約束を果たすべく、これからの減災・防災対策に対して人一倍熱い思いを抱いている。「ブラジルの今の経済状況を踏まえて、まずは対象地域の現状を把握した上で、効率的に投資を行っていく必要があります。また、GIDESプロジェクトは今年で終わりますが、これまでに学んだ知見を、リスクを抱えている全ての市に対して戦略的に普及させていくことが今後の目標です」

過去の大災害を乗り越え、今、新しい出発点に立とうとしているブラジル。プロジェクトを通じて苦楽を共にしたブラジルと日本の同志たちが、笑顔で再会する日が来るのが楽しみだ。

(編集部 中森雅人)