JICA STAFF 川守田 智 地球環境部 防災グループ 防災第一チーム

震災の経験を胸にフィリピンで治水対策を

数ある国際協力の分野の中でも、防災協力は、日本の知識と経験が結集した分野の一つだ。JICAに入って2年目の若手職員・川守田智さんは、日本と並ぶアジアの災害大国・フィリピンへの協力に毎日、汗を流している。

海外への関心から問題意識に

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フィリピン・ミンダナオ島の防災関係者と協議する川守田さん(左から2人目)

幼いころから自然が大好きだったこともあって、10代はもっぱらボーイスカウトの活動に熱心に取り組み、地元・岩手の大自然の中でキャンプ活動に明け暮れていました。仲間と盛岡から太平洋までゴムボートで北上川を川下りしたこともあります。外国人のボーイスカウトと海外でキャンプをする機会にも恵まれ、海外に視野を広げる契機になりました。

そんな私が、防災分野に関心を持つようになったきっかけは、学生時代に仙台で東日本大震災を経験したことです。地震発生直後の3日間、水も電気もない中で、友人たちと身を寄せる生活を強いられ、その後も大学のキャンパスが全壊したため仮設校舎での授業を余儀なくされました。ふるさと東北の痛ましい被害を見聞きするにつけて、自分に何ができるのか自問する日々が続きました。あるとき、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の防災イベントを聴講する機会があり、「低所得国に被害をもたらした災害は全体の9%でしかないが、低所得国の死者は全体の48%を占めており、災害は貧困層、脆弱(ぜいじゃく)層にとりわけ大きな影響を与える」という事実を知りました。かねてからの海外への漠然とした関心と相まって、この事実に強い問題意識を持ちました。

そこで大学・大学院では、海外をフィールドとしつつ、防災についても学べる水文(すいもん)学と河川工学を専攻しました。在学中にJICAのインターンシップでベトナムでの防災協力に携わる中で、現地の人たちと同じ目線で問題を解決していく仕事に魅力を感じて、「国際協力を仕事にしよう」と決意しました。

ミンダナオ島でのプロジェクトを計画

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洪水予警報システムを設置するため、レーダー設置場所の候補地を探す川守田さんら

大学院を修了し、2016年にJICAに就職してからは、一貫してフィリピンの防災協力に携わってきました。フィリピンは、日本と同様に、台風や地震、火山などさまざまな災害リスクを抱える一方、防災体制が脆弱で、多数の犠牲者を出すとともに、経済発展の阻害要因となってきました。これに対して、日本も多彩な防災協力を展開してきました。

フィリピン事務所でのOJTで訪れたレイテ島の都市オルモックが、特に印象に残っています。1991年に台風「セルマ」で8000人が死亡・行方不明となったこの都市で、日本は1996~2001年にかけて、堤防の建設など、河川の洪水対策工事を支援しました。以来、現地の台風の被害は激減しており、日本の協力が現地の防災に大きく貢献した代表例となっています。この協力が終了してからすでに年月が経過していますが、当時日本が建設した堤防は現在においてもしっかりと維持管理されており、開発途上国でしばしば見られる貧困層による河川敷の不法占拠もありませんでした。日本の防災の意識が現地にきちんと伝わっていることを肌で感じましたね。

OJTから帰国後は、地球環境部で本格的にフィリピンの防災プロジェクトに関わり始め、フィリピン気象庁の気象観測・予警報や洪水予警報の技術向上プロジェクトの監理を担当してきました。

現在は、新たなプロジェクトの立ち上げにも携わっています。フィリピン南部・ミンダナオ島北部の都市カガヤン・デ・オロは、2011年に台風「センドン」の被害に遭い、1250人もの方が亡くなりました。同じような被害を繰り返さないため、同市の川に水位計や雨量計などを設置して、洪水予警報システムを整備する支援を計画しています。また、ミンダナオ島南部のダバオ市でも、治水対策のマスタープランを策定する協力を検討中です。

JICAに入ってまだ2年目ですが、すでにこうした重大なプロジェクトを任されて、大きな責任とやりがいを感じているところです。今後は、他の分野の仕事にも積極的に挑戦していきたいとの思いがありますが、どのような分野であれ、防災の視点を忘れずに取り組んでいきたいと考えています。

プロフィール

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川守田 智さん

川守田 智(かわもりた さとし)
地球環境部 防災グループ 防災第一チーム

東北大学・大学院で水文学・河川工学を学んだ後、2016年にJICAに入構。地球環境部に配属され、フィリピンでの防災協力に取り組んでいる。アウトドア活動が趣味で、学生時代にはボーイスカウトの最高賞である「富士章」を獲得した。