私のなんとかしなきゃ! 山本 益博 料理評論家

食が育む心のきずな

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8月31日、帝国ホテル(東京都千代田区)で行われた「料理ボランティアの会」のチャリティーイベントにて

私は料理評論家として、いろんな料理人と面識を持ってきました。面白いもので、すし職人は独立独歩、洋菓子職人は仲が良いなど、それぞれ傾向があります。でも、違う分野の料理人とは、互いに縁がないものでした。

2004年に新潟中越地震が起きて、炊き出しのニュースが流れる中、銀座のすし屋「さわ田」を訪れたところ、店主の澤田幸治さんが「益博さん、新潟へ行って、すしを握りたいです。なんとかできませんか」と言ってくれたのです。被災地の方においしいものを食べて元気を出してほしいけれど、職人一人ではどうしていいか分からない、と。ならば私の出番だと、パティシエの稲村省三さん、ホテルメトロポリタンエドモントの中村勝宏総料理長に声を掛け、一流料理人が腕によりをかけた食事を提供することになりました。

被災から半年ほどたち、ニュースで取り上げられることも減ったある日、バスを一台仕立て、料理人の皆さんと彼らが徹夜で仕込んだ料理を載せて、新潟に向かったのです。

「さわ田」に加え、「すきやばし次郎」と「しみづ」という、今をときめく3店のすし職人が分担して作ったちらし寿司に、複数のホテルのシェフたちが仕込んだポトフ、デザートは8軒の店やホテルの職人たちがそれぞれ皮を焼き、現地でクリームを詰めるさくさくのシュークリーム。さらに、中村屋のカレー、麺屋武蔵のラーメン、サルヴァトーレのピザなどがそろいました。

被災地の体育館では、レストランのようにテーブルクロスを敷いた席を作り、温かい料理を囲んでもらう形にしました。すると、親子はもちろん、被災以来家にこもりがちだったおじいさん、おばあさんも、おいしいものを食べに集まってくれたのです。行きの車内では仕込みで疲れて眠っていた料理人たちも、帰りはすっかり宴会に。分野を超えた料理人の交流も生まれました。

現地に行ったのは都合3回。3度目は白衣の料理人100人が並ぶ中、「僕らは決して皆さんのことを忘れていませんから、おいしいものを食べて、元気になってください」とあいさつしたのですが、実のところ、私たちのほうが元気をいただいて帰ってきたと思います。東日本大震災でも、このときの経験を生かし、何度となく炊き出しをしたり、料理教室を開催したりしました。

食べ物を分かち合うことが出来るのは人間だけ。テーブルを囲んで料理を共有することは、コミュニケーションの機会でもあります。また、料理人も、お客さんが「おいしい」と言ってくれるからこそ、料理を作れるのです。人と人をつなぐ最大のコミュニケーションツールとして、さらには人が示せる最高の愛の形としての料理を通して、これからも、たくさんの人を元気にする活動を支えていければと思います。

PROFILE

早稲田大学卒業。料理評論執筆の傍ら、料理人とのコラボによるイベントを数多く企画。商品開発にも関わった。近年は、医療企業との健康長寿食プロジェクトや病院の介護食の料理・食事・サービスに関するアドバイザーなども務めている。フランス農事功労勲章シュヴァリエ(2001年)、オフィシエ(2014年)を受勲。写真は8月31日、帝国ホテル(東京都千代田区)で行われた「料理ボランティアの会」のチャリティーイベントにて。

なんとかしなきゃ!プロジェクト

「なんとかしなきゃ!プロジェクト」は、開発途上国の現状について知り、一人一人ができる国際協力を推進していく市民参加型プロジェクトです。ウェブサイトやFacebookの専用ページを通じて、さまざまな国際協力の情報を発信していきます。