私のなんとかしなきゃ! 近藤 岳登 サッカー選手

挑戦を恐れず、情熱のままに

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愛知県で行われたサッカー教室にて

私は高校まで打ち込んできたサッカーの経験を生かして、大阪体育大学に入学しました。しかし、当時はサッカーよりも遊ぶことに夢中。練習には行かずに、結局大学も辞めてしまったのです。その後、地元のサーフショップで働きながら、サーフィンに明け暮れる日々を過ごしていました。そんな生活を2年ほど続けた後、"やっぱり自分が熱くなれるものはサッカーしかない"と改めて気付き、愛知県社会人リーグで再びサッカーを始めることにしました。ちょうどそのころ、私の人生の変える出来事が起きたのです。

きっかけは、新聞に掲載されていた青年海外協力隊に関する記事。それを見た母親から応募を勧められたのです。このとき、それまで知らなかった世界が開けたような気がしました。夢を持つことが難しい子どもたちに、サッカーを通じて生きる喜びを伝えられるかもしれない。単純にめちゃくちゃ楽しそうだと思い、迷わず応募しました。

ところが、結果は不合格。悔しくて思わず事務局に電話をした際に教員免許があると有利だと聞き、滋賀県の大学に入り直しました。大学ではスポーツ社会学を専攻し、スポーツが平和構築に与える影響などについて学びながら、サッカーを続けました。そこで「ヴィッセル神戸」から声が掛かり、26歳で入団することになったのです。もし協力隊のことを知らなければ、もう一度大学に入ることはなく、今頃はサッカー選手になっていなかったかもしれません。

今も国際協力の夢を諦めたわけではありません。むしろ、スポーツを通じた社会貢献への関心は高まりました。ヴィッセル神戸は、チームが発足して初めてとなる練習日に阪神・淡路大震災が発生した経験から、入団した選手はまず震災当時の話を聞き、復興への思いが込められた応援歌「神戸讃歌」を覚えることから始めるんです。私も震災のチャリティーマッチなどに参加する中で、スポーツが人々や社会に果たす役割の大きさをかみしめながら、練習や試合に臨むようになりました。

こうした思いもあり、吉本興業の地域活性化プロジェクト「ふるさとアスリート」として、各地でサッカー教室などに参加しています。さまざまな人や企業を巻き込んで活動を広げていけば、その地域だけでなく、日本全体、さらには世界にもつながると信じています。

いつか開発途上国に学校を建設し、勉強やスポーツを通じて子どもたちの選択肢を広げられる環境をつくりたいと思っています。知識や経験はありませんが、まずはいろんな場所でこの思いを口に出しながら、実現の方法を探っている最中です。"楽な道だけを選ばない""後悔のないように挑戦する"。協力隊を志したあの日から学んできたことは、今も私の胸の奥にあります。

PROFILE

1981年、愛知県生まれ。小学4年生でサッカーを始め、高校時代は2年連続で国体メンバーに選ばれるものの、大阪体育大学を1カ月で中退。2001年に再度サッカーへの情熱を抱き、愛知県社会人リーグ所属の東海理化SCに入団。03年にびわこ成蹊スポーツ大学に入学し、07年にヴィッセル神戸に入団。その後、水戸ホーリーホックへの移籍を経て、14年からFC大阪に所属。よしもとクリエイティブ・エージェンシーとマネジメント契約を結び、「ふるさとアスリート」としても活動中。青年海外協力隊に2度応募した経験を持つ。写真は愛知県で行われたサッカー教室にて。

なんとかしなきゃ!プロジェクト

「なんとかしなきゃ!プロジェクト」は、開発途上国の現状について知り、一人一人ができる国際協力を推進していく市民参加型プロジェクトです。ウェブサイトやFacebookの専用ページを通じて、さまざまな国際協力の情報を発信していきます。