JICA STAFF 高橋 スリマラ 中南米部 南米課

祖国ブラジルの発展を支えたい

故郷の町で貧困や格差の問題を目の当たりにし、国際協力への道を志すようになった高橋スリマラさん。ブラジルで、国際協力事業や公共政策に携わってきたこれまでの仕事から一転。日本でJICA職員として働きながら、さらなるステップアップを図っている。

故郷で持った問題意識が原点に

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2017年にJICAが実施したエネルギー分野の研修に同行した高橋さん。チリのエネルギー関係者が参加し、千葉県の工場を視察した

私はブラジル・サンパウロ州の人口40万人ほどの町で、日系2世の父とブラジル人の母との間に生まれました。そこには日系人が多く住んでおり、近年では医者や弁護士、政治家などさまざまな分野で活躍する人材を輩出しています。

小学2年生のときに父の仕事の関係で大阪に引っ越しました。中学時代は2年間ブラジルに帰国しましたが、日本での生活を経験したことで、それまで意識したことがなかった故郷の町に存在する格差を強く感じたことを覚えています。物乞いをする人がいたり、私と同世代の子どもが学校に行かずに仕事をしていたり、中でも一番ショックだったのが、近所の家を訪ねて回り、食べ物を少しずつ分けてもらいながら食いつないでいる人が何人もいたことです。そのとき、ブラジルの貧困問題を解決したいという漠然とした思いが芽生えました。

高校卒業後はブラジルに戻り、大学で国際関係学を学びました。JICAブラジル事務所でのインターンシップにも参加し、日本語を生かして事業やセミナーの準備を手伝いました。専門家による指導や日本での研修を通じて、ブラジルの人たちが刺激を受けている姿を目の当たりにし、一国だけでは課題解決が難しいことでも、国際協力を通じてなら実現への道を探れることを実感しました。そこで、当時まだJICAと統合する前の国際協力銀行(JBIC)リオデジャネイロ駐在事務所に就職したのです。

印象に残っているのは、ブラジル東北部の貧困地帯に上水道施設を整備する円借款事業に携わったことです。調査のために初めて現地を訪れたのですが、ほとんどの家庭に水道が行き渡っておらず、雨水や川の水を飲んでいることに驚きました。その後、浄水場や送水管などが整備され、地元の人たちが「まさか水道水を飲める日が来るなんて信じられない」と喜んでいると聞いたとき、非常にやりがいのある仕事だと感じました。

15年ぶりの日本で新たな挑戦

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サンパウロ州政府公務員時代の高橋さん(左から2人目)。州の国際室が主催するイベントでモデレーターを務めた

JBICでの仕事を通じて公共政策に関心を持つようになった私は、ブラジル側の職員として事業を推進したいと思い、2009年から8年間、サンパウロ州の公務員として働きました。水や環境分野の事業をはじめ、海外融資の資金調達の担当など幅広い業務に携わりましたが、昨年7月にJICA中南米部に転職した背景には、ここ数年のブラジルの政治混乱によって、事業が思い通りに進まず悩んでいたことがあります。計画の立て方や事業の進め方などを改善できるように、よりステップアップしたい-社会人10年目という節目を迎え、もう一度海外で挑戦してみたいという思いが沸き上がり、友人を通じて知ったJICA中南米部の採用枠に応募したのです。

現在は、アルゼンチンの担当とブラジルの担当補佐を務め、両国の政治・経済の情勢や、重点課題、案件の状況などをしっかりと把握し、JICA内外の関係者に説明できるように準備をしています。特にアルゼンチンについてはまだ知識が浅いため、できるだけ現地のニュースを確認するように努めています。

日本での生活は15年ぶりなので、日本語では苦労する面もあります。特にメールや資料で読み手に伝わりやすい文面を作成するのは簡単ではありませんが、いつも同僚や先輩たちが親切にサポートしてくれます。その分、ブラジル大使館とのやり取りなど、中南米の人たちの考え方や仕事のやり方を熟知している私だからこそできる部分で貢献したいと考えています。

日本で多くのことを学び、いずれはブラジルの発展のために貢献したいという気持ちは今も変わりません。初心を忘れず、これからも目標に向かってまい進し続けます。

プロフィール

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高橋 スリマラさん

高橋 スリマラ(たかはし すりまら)
JICA中南米部 南米課

ブラジル・サンパウロ州生まれ。小学校から高校までの約9年間を日本で過ごす。2007年に、国際協力銀行(JBIC)リオデジャネイロ駐在事務所に現地職員として就職。その後、JICAブラジル事務所現地職員、サンパウロ州政府公務員などを経て、2017年7月より現職。