特別レポート 読売巨人軍前監督 原辰徳さんらがペルーで熱血指導!−日本との固い絆

1899年、横浜港を出港した「佐倉丸」に乗り、日本から初めての南米移住者たちが目指した国、ペルー。ペルーの日系社会と日本をつなぐ架け橋となってきた「ペルー日系人協会」が、2017年に設立100周年を迎えた。これを記念して開かれた野球教室に、原辰徳さんら元プロ野球選手5人が特別講師として参加。さまざまな国際協力の現場を目の当たりにし、両国の固い絆に触れた。

写真提供:富田全宣(青年海外協力隊/職種:写真)

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ペルーの子どもたちへの打撃指導に当たる原さん

子どもたちの成長のために

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ペルー リマ

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原さんの問い掛けに元気よく「はい!」と答える子どもたち

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「ファンケル キッズベースボール」プロジェクトを通じて集められた中古の野球道具を寄贈した

2017年11月、ペルーの首都リマで「ペルー日系人協会設立100周年記念 JICA野球教室」が開催された。会場のラ・ウニオン総合運動場は、日系人によって作られた憩いの場。野球場だけでなく、サッカー場、テニスコート、ゲートボール場、プール、体育館などのさまざまなスポーツ施設の他、幼稚園や小中学校、障害者福祉施設も併設されている。

ペルーに野球を伝えたのは日本人だ。野球は、長い苦難の歴史を経験した日系移民が自らのアイデンティティーの拠り所として親しんできたスポーツで、今でも特別な競技として認識されている。また、少年野球は、規律や道徳といった日本的な精神を学ぶ教育の機会としても注目されているという。JICAは野球指導の青年海外協力隊員を1981年にペルーに初めて派遣して以来、技術強化や野球を通じた青少年の健全な育成支援に継続的に取り組んでいる。治安上の理由で隊員の派遣が中断されていた時期にも、大森雅人さんをはじめとする元隊員らが指導を続けてきた。

野球教室には126人の子どもたちが集まり、原辰徳さんをはじめ、元プロ野球選手の宮本和知さん、西山秀二さん、駒田徳広さん、久保文雄さんが特別講師を務めた。原さんは子どもたちにまずこう呼び掛けた。「今日は一つだけ約束してください。私が"分かりましたか?"と聞いたら、"はい!"と返事をしてください」。すると早速、「はい!」と答える元気な声が響き渡った。「あいさつの大切さを伝えることで、野球は日本人が大事にしている規律や価値観を共有できるスポーツだと知ってもらいたかったのです」と原さんは話す。

その後、ボールの投げ方、ゴロの捕り方、走塁、バッティングなどの指導が行われ、その一つ一つに対して、子どもたちは一生懸命に応えていた。国や言葉の壁なんて関係なく、野球を通じてペルーと日本がつながった−。好きなことにのめり込む子どもたちの姿を見て、原さんはそう感じたという。

野球教室の最後、講師陣からはこう伝えられた。「"ありがとう"は日本の素晴らしい言葉です。そんな"ありがとう"の反対は"当たり前"です。野球ができることを当たり前だと思わず、ご両親に感謝して、喜びを感じながら毎日コツコツ練習してください」。さらに、原さんは、「巨人軍に入団できる可能性を秘めた子どもを5人見つけました。粘り強く練習を続ければ、きっと強くなれるはずです」と激励の言葉を送った。

国際協力を通じた日本との絆

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オリンピック出場を目指すシルバナ・セグラ選手を指導するシニア海外ボランティアの椿原さん(奥)

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「日本・ペルー地震防災センター(CISMID)」では、マスコットキャラクターが防災の意義を親しみやすく伝えている

日本はこれまで、幅広い分野の国際協力を通じてペルーの発展を支えてきた。その一つが、野球以外にもさまざまなスポーツ指導を通じた、人材育成への貢献だ。原さんらは、30年前に陸上競技の指導のために青年海外協力隊員としてペルーに渡り、今はシニア海外ボランティアとして再び同じ地で活動している椿原孝典さんの指導の様子を見学した。当時の椿原さんの教え子が現在は指導者となり、選手と共に東京オリンピック出場を目指している。準備や後片付け、集合時間の厳守といった指導も徹底していたという椿原さん。その思いは30年の時を超え、指導者となった教え子に引き継がれているのだ。

また、原さんらは今回、スポーツと同様に両国の絆を象徴する"防災"分野の協力にも触れた。訪れたのは、1986年にJICAの支援で創設された「日本・ペルー地震防災センター(CISMID)」。日本と同じく環太平洋火山帯に位置するペルーは、地震や津波の被害に見舞われやすい上、洪水や土砂崩れなども頻発する。そこで、このセンターでは、地震の発生源や影響の調査、津波リスクの分析、構造物の強化実験といった学術的な取り組みに加え、住民への啓発を目的とした防災教育の教材も開発している。

CISMIDの初代センター長である日系人のフリオ・クロイワ名誉教授が、センターを案内してくれた。クロイワ教授は、1960年代に日本で地震工学を学んだ後、ペルーの大学に初の地震工学コースを導入。これまでに、津波・沿岸防災に関して功績を挙げた個人・団体を表彰する「濱口梧陵国際賞」や「国連笹川防災賞」を受賞しており、ペルーにおける日系人の貢献が国際的にも評価されたのだ。センターを見学した原さんは、「日本の知見や技術が世界に広がることに、大きな期待を感じました」と話す。

今回の訪問を通じて、原さんは、「それまで遠い存在だったペルーとの距離がぐんと縮まったように思います」と語っていた。"日本人の心"を受け継ぐ日系人の存在や、日本からのさまざまな協力が、地球の両側をつなぐ確かな架け橋となっていることを実感する視察となった。