私のなんとかしなきゃ! エリック・フクサキ 歌手

2つのニホンの心をつなぐ

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自ら作曲した3rdシングル『飾らない歌』の発売記念ライブの様子(2列目中央がエリックさん)

私の曽祖父は熊本からペルーに渡った日系移民です。私が幼いころ、両親はよく演歌を聞いていました。父親は日本で単身3年間働いていたのですが、あるとき、帰国の際にお土産として演歌のCDを買ってきてくれたんです。それがきっかけで私は歌手に憧れるようになりました。

私が生まれ育ったリマの日系社会は、分かりやすく言うと"古き良き日本"。昔の日本のように、ご近所さんの家に集まってテレビを囲む光景が珍しくありません。もちろん、今はどの家庭にもテレビがありますが、大勢で顔を合わせておしゃべりする時間を楽しんでいるのです。日系人はスペイン語を話していますが、料理や音楽、踊りなどを通じて、皆、日本文化を大切にし続けています。地域や家族のつながりが強いのも、日系社会の文化の一つといえるかもしれません。

リマにいたころは、よく日系社会の高齢者施設を訪れ、日本語の歌を歌っていました。歌手になるために日本に行くことを決めたときには、日系社会の知人たちが激励のコンサートを企画してくれた上、活動資金も募ってくれました。"心でつながっている"という感覚−独特の一体感や結束こそが日系社会の良さなのだと思っています。

歌手を目指して日本で暮らし始めた9年前は、自分がイメージしていた"日本"と実際との違いを感じました。現代の日本では時間に追われる生活をしている人が多く、人々のつながりも希薄になっていると感じたのです。その一方で、物事が時間通りに進むことや、特に仕事におけるマネジメントやチームワークを重視する文化の素晴らしさなど、新たに発見した日本の良さもありました。

私は現在、東京を拠点に歌手として活動し、日本語の曲の他、中南米でヒットしたスペイン語の曲も歌っています。私にとって一番うれしいのは、私の歌や活動を通じて、日本の方とペルーの方の出会いが生まれているということ。私自身が何かを教えたり、人々の考え方を変えたりするのではなく、音楽を通じて、自然と2つの国の人々が出会い、交流を持つようになってほしい−それが、私の目指す"架け橋"としての役割です。日本とペルーの良いところも悪いところも知っている自分だからこそ、できることがあると思っています。

他方で、その他の国についてはまだまだ知らないことだらけです。日本とペルーだけでなく、世界のいろいろな国のことを知り、音楽に限らず、さまざまな方法で文化交流や国際協力の活動につなげていけたらと思っています。人々が互いのことを知り、理解し合うことで、世界はより良いものになると信じています。

PROFILE

1991年、ペルー・リマ出身。リマの日系社会で育ち、幼少期から日本音楽に親しんできた。独学で日本語を習得し、歌手になることを目指して2009年に単身来日。その2年後、アップフロントワークス主催のオーディション「第1回フォレストアワード」で特別賞を受賞する。14年に「エリック・フクサキ」としてソロデビューを果たし、現在はソロ活動の他、バックコーラス、楽曲提供なども手掛ける。写真は自ら作曲した3rdシングル『飾らない歌』の発売記念ライブの様子(2列目中央がエリックさん)

なんとかしなきゃ!プロジェクト

「なんとかしなきゃ!プロジェクト」は、開発途上国の現状について知り、一人一人ができる国際協力を推進していく市民参加型プロジェクトです。ウェブサイトやFacebookの専用ページを通じて、さまざまな国際協力の情報を発信していきます。