国境の町を潤す水道を再び タジキスタン

タジキスタンとアフガニスタンの国境にあるピアンジ県の小さな村々。ソ連時代の水道は老朽化し、町の4人に3人は衛生的とはいえない水を利用していた。再び水道が使えるように、給水塔を作り、配管を整備し、さらには料金システムを改定する。この一大プロジェクトには、多くの日本人が関わっていた。

川を越えると異国が見える 中央アジアの小さな町

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阪本さんと、新しく水栓と水道メーターを設置した家の子ども。きれいな水が飲めることで、子どもたちに水が原因の感染症が広がることを阻止できる

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ドゥシャンベ、ピアンジ

中央アジアのタジキスタンは、北海道の倍ほどの広さの土地に、900万人弱が住む小さな国だ。1991年、ソ連崩壊に伴い独立を果たしたが、中央アジアでも最も貧しく、ロシアへの出稼ぎと埋蔵資源が主な収入源となっている。劣化するインフラのメンテナンスにも手が回っていない。

アフガニスタン国境に近いピアンジ県では、せっかく整備された水道もほとんどの人が使えない状況にあった。そこで、日本が水道の再整備に立ち上がったのだ。主な役目は3つ。井戸の掘削と給水塔の建設。配管の整備と、住民の家に届く前に漏れて失われてしまう水の対策。そして、水道事業が継続していけるような、従量制料金システムの構築だ。

設備の更新に当たって、現場所長を務めたのは大日本土木株式会社の梅原昌博さん。キャリアのほとんどを海外のプロジェクトに打ち込んできたベテランだ。実は、ピアンジの水道を手掛ける以前も、タジキスタンでは別の水道整備や道路整備に携わってきた。

「特に海外を意識して入社したわけではなかったのですが、入社してすぐ、当時の海外事業部(現・海外支店)に配属になり、グアムのゴルフ場建設で、大学で覚えたことを現場で活用しながら、土木工事の基本を叩き込まれました」と梅原さんは振り返る。グアムでの仕事が終わってからは1年ほど国内のプロジェクトに従事したが、その後はアフリカの西端セネガルで灌漑(かんがい)と田んぼの整備を手掛けた。それ以降はずっと海外の事業を担当し、10カ国ほどを股にかけて活躍してきた。中でも印象的なのは、太平洋の小さな島しょ国キリバスで携わった港の整備だという。「島国では生活用品の多くを輸入に頼っていることを、毎日の生活の中で実感しました。とにかく食材の種類がないんです」。人々の生活を支える首都のベシオ港を整備し、より大きな船が接岸できるようにするプロジェクトは、梅原さんが身をもって経験した苦労の解消に貢献するものだった。梅原さんが携わった最初の整備工事は2001年に完了し、2011年にはJICAの支援でさらなる拡張計画が実施されている。

地域の人々と共に 丁寧な仕事で信頼を得る

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水管橋の施工完了検査を行う、梅原さんの同僚の服部さんと、ピアンジ上下水道局のスタッフたち

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水源となる深さ100メートルほどの井戸の掘削作業を確認しに来た梅原さん(左端)と、水道を管理する地元の住宅公社、上下水道局の責任者

梅原さんは今回、主任や事務方の同僚と共に、協力会社から派遣された配管工事の技術者約15人、現場で工事に携わる240人の現地の職人を統括した。職人といっても国境の小さな町のこと、ほとんどの人は土木作業の経験がない。技術や安全対策などを身に付けてもらうことも含めての取り組みとなった。

今回のプロジェクトでとりわけ危険を伴ったのが、高さ30メートルを超える塔の上に、学校の25メートルプールにして3個分を超える1800トンの水が入る巨大な水槽を、コンクリートで作り上げることだ。「以前の現場では、あらかじめスチールで作った80トンのタンクを地上からつり上げたのですが、コンクリートのタンクとなると高所での作業は避けて通れません。事故防止に神経を使いました」と梅原さんは話す。

一方、現場以外で神経を使うのが治安だったという。「アフガニスタンとの国境に近いということで、どこに行くにも武装警察官が付いて来るんです。工事現場との行き来など、仕事の範囲での移動に同行してもらう分には構わないのですが、市場に買い物に出たり、散髪に行ったりするときもわざわざ付いて来てくれるので恐縮しました」。そう話すのは、株式会社エイト日本技術開発の阪本哲夫さんだ。

阪本さんもまた、40年近く建設会社で働き、定年退職後に開発コンサルティング企業である今の職場に移ってきた。アフリカを中心に海外現場の経験は延べ25年にも及び、さまざまな国の人と共に仕事をしてきたが、中央アジアでの仕事は今回が初めてだった。これまで経験のないロシア語圏での仕事に不安はあったが、新たな挑戦になると考えて赴任を決めた。

阪本さんの仕事は、梅原さんが手掛ける工事の管理・監督業務など。地元の家庭を一軒一軒回って適切な場所に給水栓、つまり蛇口と水量メーターの設置場所を決め、水道料金のシステムについて説明して同意を取る地道な作業が続いた。それでも、自ら現場に足を運び、地元住民としっかり話し合って満足のいく成果を出すことが大切だと、阪本さんはこれまでの経験で学んでいた。今回も、きちんと話をすることで、ほとんどの住人はきれいな水の共有を歓迎し、新しい料金システムについても受け入れてくれたという。この事業には、他にも地元水道公社が手掛ける給水栓の設置支援、完成した給水施設の適切な運転・管理の初期指導、さらには従量制の水道料金制度を実現するための支援など、さまざまな分野の業務が含まれており、両社以外からも多くの日本人コンサルタントが派遣され、現地で活躍した。

「現地の人たちと食事になると、彼らの習慣に従って強いお酒を飲まされて大変でしたが、生活面ではほとんど苦労することはありませんでした」と話す梅原さん。「開発協力の現場には、目に見えて地元の方が喜んでくれるなど、独特の魅力があります。興味のある人は勇気を持って飛び込んできてください」。一方、阪本さんも、「建設工事は自分の足、自分の汗で稼ぐ仕事だというのは、30年前に感じてから今も変わりません。これからも、健康である限り、どこにでも行きたいと思います」と語ってくれた。

開発コンサルタント

阪本 哲夫さん(株式会社エイト日本技術開発 技術部(当時))

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阪本 哲夫さん

プロフィール

大学卒業後、建設会社に入社し、およそ37年のキャリアのうち、27年を海外(主にアフリカ)で過ごす。2015年9月に定年退職し、同年11月からエイト日本技術開発に。

コメント

どこの国でも、現場の同僚との仕事には一体感があります。

コントラクター

梅原 昌博さん(大日本土木株式会社 海外支店 土木部)

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梅原 昌博さん

プロフィール

1990年、大日本土木に入社し、最初の仕事でグアムへ。
その後もキャリアのほとんどを海外のさまざまな国で過ごし、民間、JICA、国連などの多彩なプロジェクトに従事。

コメント

これからも、行ったことのない国で仕事をしたいと思います。