JICA Volunteer Story 志賀 龍 企画調査員(ボランティア事業)/ミャンマー

「現地の社会のためになる、お手伝いをしたい」

思うように進むばかりではなかった2度のJICAボランティアの活動を経て、「ボランティアのマネージャー」という道を選んだ志賀龍(りょう)さん。
昨年10月から青年海外協力隊の派遣が始まったミャンマーで、ボランティアたちが現地のために全力を発揮できる環境づくりに尽力している。

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これから青年海外協力隊が派遣される予定のミャンマー・ヤンゴンのスポーツ体育研究所を訪れた志賀さん(右から5人目)

自分の協力隊活動は失敗だった?迷いを乗り越え、新たなフィールドへ

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ミャンマー ネーピードー

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ミャンマーで第1号となる協力隊員(本間さん、左から4人目)の配属先では、同国保健スポーツ省主催の記念式典が行われた

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インドネシアで地方政府の幹部と会談する志賀さん(中央)。JICAボランティアの活動基盤を固めた

かつて、日本語学校の先生として、来日した外国人学生たちに日本語を教えていた志賀龍さん。生徒たちの背景を知りたいと青年海外協力隊に参加し、2004年から2年間、バングラデシュで日本語を教えた。派遣先となった大学附属の外国語教育センターでは日本語の初級・中級クラスを担当したが、熱心な生徒たちを教える一方で、自分自身の達成感は高くなかった。「自分の知識を現地の人たちに共有し、活用してもらいたい」。協力隊活動の目標をそう定めた志賀さんだったが、同僚となる他の先生たちは授業のあるときしか学校に来ることがなく、教授法などを十分に伝えることができなかったのだ。

「自分の2年間の活動は失敗だったと思っていました」と語る志賀さん。もう協力隊と関わることはないだろうと失意のうちに帰国したが、かつて自身が訓練所で指導を受けた先生から、思いがけず派遣前の協力隊員に対して、バングラデシュの国語であるベンガル語を教えないかと持ち掛けられた。ネイティブの講師と組んで教える中で、発音や語彙などではネイティブにどうがんばっても追い付けないことを実感し、バングラデシュの同僚たちが日本語ネイティブの志賀さんと一緒に教壇に立とうとしなかった理由を理解した。

また、協力隊OBとして、派遣を控えた隊員たちの相談を受ける機会も多かった。後輩たちの不安に耳を傾け、助言するうちに、バングラデシュでの2年間に対する自分の気持ちも変わっていったという。「自分次第でもっと上手くやれたかもしれない、もう一度、協力隊に参加したいという気持ちになり、10カ月間の短期ボランティアとしてインドに赴任しました」

今度は相手のために何でもやろうという意識で、他の先生たちが苦手な会話や作文のクラスを積極的に引き受け、教科書をデータ化したり、他の先生たちの質問に積極的に答えたりした。「今まで分からなくても、恥ずかしくて質問ができなかった。志賀先生に聞いてみてよかった」。同僚の言葉が、志賀さんの自信につながった。

インドでの活動中に志賀さんが取り組んだもう一つの仕事が、活動中のボランティアを支援する仕組みづくりだった。同職種の分科会を開くなど、先輩として他のボランティアの活動支援に力を入れた志賀さんは、帰国後、JICAボランティアが派遣される国で彼らの活動を支援する"企画調査員"を目指すことを決めた。

受け入れ国とボランティアをつなぎ 人の力を最大限に生かす

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ボランティア活動の状況確認や安全対策のために、自ら現場を訪問する

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ボランティア総会や分科会で、それぞれの活動の経験共有を促進するのも大切な仕事の一つ

企画調査員(ボランティア事業)とは、JICAの在外事務所や支所などで、ボランティアの活動全般を支えるマネージャーのような仕事だ。相手国のニーズを調査して派遣計画を立案し、求人に当たる相手国政府からの「要請」につなげることや、ニーズを踏まえて人数や分野を検討するなどといったボランティア活動全体の管理の他、安全対策や困ったときの相談役など、その役割は幅広い。志賀さんが企画調査員として最初に派遣されたベトナムでは、ボランティアの活動とJICAのその他の活動の連携によって、ボランティアだけではできない成果を挙げている。志賀さんは多くの人と働くことで、JICAボランティア事業の可能性を実感したという。

志賀さんがベトナムで東奔西走していたころ、東日本大震災が起こった。奇しくもそれは年4回派遣されるボランティアの一陣が派遣前訓練を終えた日。日本の状況をニュースで聞き及んでいたベトナムの人たちは、3月下旬に到着したボランティアを温かく迎え入れ、中には「自分の国が大変なときに、私たちのために来てくれたなんて」と涙を流した受け入れ先もあった。さらには「一日分の給与を日本のために寄付しよう」という運動が起きるなど、ベトナムの人々が日本を少しでも助けようとしてくれることに、志賀さんは心を打たれたという。「東日本大震災で途上国からも多くの支援が集まった背景には、ボランティア関係者が作ってきた絆があったのでは」と、志賀さんは振り返る。

現在、志賀さんは青年海外協力隊の派遣が始まったばかりのミャンマーで、企画調査員として活動している。同国民の生活向上と社会の発展を支える人材・制度の整備に尽力するJICAの方針を踏まえ、ボランティアは基礎教育や保健医療、障害者などの支援、産業人材育成などに取り組んでいく予定だ。さらには2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会に向けて、人づくりに貢献するスポーツ分野の支援にも力を入れる。

「その国を変えていくのは現地の人たち。ほんの2年ほどのボランティア期間でも、その国や人々のために何ができるのかと考えて行動すれば、成果は後から付いてくるはずです」。隊員と企画調査員、両方の立場を経験した志賀さんはそう話す。全ての人が、生まれ育った国で、安心して夢を追いかけられる世界の実現へ。志賀さんはこれからも、JICAボランティアと共に"お手伝い"を積み重ねていく。

PROFILE

志賀 龍(しが りょう)

大学卒業後、日本語学校で教壇に立つ。バングラデシュ、インドで青年海外協力隊員(日本語教師)として活動。その経験から企画調査員を志す。ベトナム、インドネシアを経て、2017年1月よりミャンマーで活動中。