躍動と飛翔の大地

人種差別を乗り越え、豊富な地下資源や観光資源を生かし、地域の一体感を育てながら発展する南部アフリカ。
多様な国々が足並みをそろえて共栄の道を目指す今、日本は協調を大事にする同地域の在り方を尊重しながら、個々の強みや課題に対応した支援を展開している。

編集協力:同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 峯 陽一教授

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写真撮影:谷本 美加(モザンビーク)

大国の覇権の時代から 共栄の時代へ

赤道を挟んで北半球と南半球にまたがり、地球の陸地面積の約5分の1を占めるアフリカ大陸。"アフリカ"の一言では到底言い表せない多様性がそこにはある。野生動物が息づくクルーガー国立公園、壮大な景観を誇るビクトリアの滝、優美な砂丘が連なる幻想的なナミブ砂漠など、近年、テレビ番組や観光本を通して私たちが見掛ける機会が増えている地域が南部アフリカだ。

同地域の今を語る上で、「アパルトヘイト(人種隔離政策)」の歴史は避けて通れない。アパルトヘイトとは、南アフリカ共和国で1948年から1991年まで続いた、白人と有色人種とを差別する政策。政治、経済、社会の全分野において、国民を人種で分断する法律が施かれ、有色人種は権利を制限された。アパルトヘイトの撤廃に人生を捧げた故ネルソン・マンデラ氏が94年に実施された初の全人種参加型の総選挙で大統領に就任し、人種間の和解・協調政策を進めたことは、あまりにも有名だ。

南部アフリカ諸国は、1992年から地域の貧困削減と生活向上を目指す「南部アフリカ開発共同体(SADC)」を構成しているが、1980年に結成されたその前身は、実は南アフリカ共和国抜きで始まっている。「その背景には、アパルトヘイト体制下の南アフリカ共和国の白人政権が近隣諸国への経済的・軍事的な支配を進める中、諸国がその脱却を目的として団結したという事情があります」。そう説明するのは、同志社大学大学院の峯陽一教授だ。

アパルトヘイト撤廃によって民主化が進んだ南アフリカ共和国は、1994年にSADC加盟を果たした。「1994年は南部アフリカの転換点といえるでしょう。南アフリカ共和国が"敵"でなくなったことで、SADCは一つの経済圏として一体となって発展を推し進めていく道を模索するようになったのです」と峯教授。南アフリカ共和国は白人の入植という歴史的背景もあって、欧米企業との関係が強く、南部アフリカはもとより、アフリカ全体の経済をけん引する大国となった。その勢いを生かしながら共に繁栄していこうとする南部アフリカを、丸ごと後押しする協力が求められている。

多様性と合意形成を 尊重する協力を

南部アフリカの特徴の一つは、全体として製造業や産業インフラが比較的発展しているということ。一方で、地域を構成する国々に目を向けると、それぞれの強みや特性が見えてくる。例えば、ザンビアやボツワナ、アンゴラの強みといえば、豊富な地下資源。持続可能な資源開発を進めるための技術やノウハウの習得が、今後の経済成長の鍵となる。ナミビアやマダガスカル、モーリシャスは旅行先として人気を集めており、観光産業の拡大を地元の発展につなげる仕組みづくりが必要だ。また、ビジネス面で圧倒的な存在感を放つのは南アフリカ共和国。日本企業も多数進出しており、南部アフリカのハブとしての役割を果たしている。

日本は政府開発援助(ODA)による現地への専門家派遣や、日本での各種研修プログラムの提供によって、各国が強みを生かせるように後押ししてきた。あわせて、具体的な課題の解決に向けた協力も欠かせない。2015年から続いた干ばつで、マラウイやジンバブエなどで大規模な飢餓が発生したことは記憶に新しい。また、南部アフリカはHIV/エイズの流行も深刻な地域だ。降水量が安定しない地域の農業振興や、健康問題、都市問題など、経済指標に表れない"発展の質"を向上させていくことは、今後の協力においてますます重要になるだろう。

峯教授は、南部アフリカの特徴をこう語る。「植民地支配の歴史もあって、アフリカは特定の大国が地域を牛耳るのを嫌う傾向があり、しっかりと国家間で合意を形成しながら物事を進めることを好みます。その分、時間はかかりますが、彼らのやり方を尊重し、寄り添っていくことが日本の支援の良さだと思うのです」

来年には横浜市で第7回アフリカ開発会議(TICAD7)が開催される。日本とアフリカ諸国がどのような対話を繰り広げるのか、それと同時に、南部アフリカをはじめとするアフリカ各地の地域性や多様性にもぜひ注目していただきたい。