約束の虹、未来へ 南アフリカ共和国

サハラ以南のアフリカの国内総生産(GDP)の2割を稼ぎ出す"アフリカのエンジン"南アフリカ共和国。
産業を支える優秀な人材を確保することは、同国はもちろん南部アフリカ地域、ひいては全アフリカの発展に欠かせない。
そこで日本が導入を支援しているのが、アフリカの未来を支える若者の実務能力を高める研修プログラムだ。

写真:吉田亮人(写真家)

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ミニチュアトラックの組み立てを通して、職場で必要な課題発見スキルを学ぶ学生たち。トラックはプレトリアに工場を置く日産自動車が研修で使っていたものをベースにしている

分断から融和へ 矛盾を超えて成長する国

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プレトリア、ダーバン

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高等教育訓練省のマビゼラ大学部長。日本との関係を深め、人的交流も増やしていきたいと語る

「虹の国」。南アフリカ共和国(以下、南ア)の異名は、多くの民族・人種の共存する社会を象徴している。しかし、その歩みは穏やかなものではなかった。黒人が住む豊かな地に17世紀以降、オランダ人、イギリス人が相次いで入植し、植民地化。第二次世界大戦後に独立してからは、人種によって市民権を制限するアパルトヘイト(人種隔離政策)が施行された。冷戦終結後の1991年に人種差別関連諸法が撤廃されたのが大きな転機となり、1994年には黒人解放運動家の故ネルソン・マンデラ氏が大統領となる。マンデラ氏が政治犯として獄中にいたのは27年間、人種差別法が撤廃されてからも今年で27年。「虹の国」としての南アの歩みは、まだ日が浅いといえる。

マンデラ政権は南ア社会から白人を排除せず、全ての人種が共存する道を選んだ。これにより、この国は白人が構築してきたインフラ、科学技術などの産業基盤を、そのまま全国民の資産として継承することになった。現在の同国の発展は、白人支配の遺産の活用に依る部分が大きい。その一方で、当時の負の遺産ともいえる社会格差、特に人種間格差はなお残る。

アパルトヘイト下では多くの黒人・有色人種が十分な教育の機会を与えられなかったため、人種グループごとの教育水準の差は今も大きい。特に理数系教育は、理数系能力ランキング(世界経済フォーラム調べ)で長年、世界最下位に甘んじており、解決に向けて日本は南ア初等教育における理数系科目のカリキュラム再編を支援している。

もう一つの課題が、職場で必要となる課題解決力の欠落だ。同国高等教育訓練省(DHET)でアドバイザーを務めるJICAの飯田護専門家は「この国の教育は旧来の詰め込み型が今も主流なので、多くの若者たちが主体的に問題を見出し、解決に取り組むという姿勢を身に付けられずにいます」と説明する。

同様に、DHETのチーフ・マビゼラ大学部長は、同国が直面している課題として格差、貧困、雇用の三つを挙げる。「わが国では、実務能力と自律性を身に付けた人材の育成が求められているのです。彼らが職場で活躍したり、起業したりするようになれば、国の発展につながり、結果として三つの社会課題の解決にも近づきます」

南アの若者たちが社会で活用できる実務能力を高め、主体性を身に付けられる教育の機会を提供したい-そんな考えの下で進められているのが、全国の工科大学で実施が始まった産業人材育成プロジェクト(EIP)だ。

ものの見方、考え方を変え 社会を動かす人材に

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多くの若者が通うツワネ工科大学。南アの工科大学のルーツは技術専門学校で、産業界で活躍する人材を育てるのが重要な使命だ

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ツワネ工科大学のモタウング産業教育部長(左)とムコラ副学長。EIPの導入を積極的に主導してきた

南アでは、全国各地の産業が盛んな都市部に置かれた全6校の工科大学で、教育から観光、ハイテクノロジーに至るまで、同国のあらゆる産業を支える人材を育成している。これら6校に総合大学であるヨハネスブルク大学を加えた7校で、学生たちに短期間の研修プログラムを提供し、課題解決力を持つ新社会人を世に送り出すのが、EIPの狙いだ。

同国で最初にEIPへの取り組みを開始した、ツワネ工科大学を訪ねた。ツワネとは、南アの行政の首都プレトリアを含む都市圏の名前。同大学は5万6000人の学生を抱える国内きっての大規模大学だ。現在、同大学では理工学部を中心にEIPを導入し、手応えを感じているという。

同大学のスタンリー・ムコラ副学長は、EIPを受けた学生たちに明らかな姿勢の変化が生まれていると話す。「研修を通してチームワークを学び、より責任感を持つようになった学生が増えています。今後はEIPを全ての学生の必修とし、今の産業界に求められている人材としてだけでなく、10年後のわが国の産業で活躍できるような人材を育てていきたいと考えています」と話す。

同大学産業教育部のエサウ・モタウング部長も、EIPによって学生たちのものの見方が変わり、筋道を立てて思考を組み立てられるようになると評価している。「学生たちの姿勢の変化や、課題発見・解決力の習得は、彼らにとって大きな変化です。今後は、彼らを受け入れる企業とも連携し、フィードバックを受けながら、取り組みを深めていきたいと思います」

同国の工科大学では現在、職業連動教育(WIL)という仕組みが取り入れられている。大学での授業の前後に実際の職場でインターンシップを経験することで、卒業後の社会人キャリアへのスムーズな移行を促進するのが目的だ。EIPはWILプログラムのさらに導入部分に位置付けられ、国家技能基金(NSF)からも活動資金の助成を受けている。国を挙げて、新社会人の働く力を高めようという動きが進んでいるのだ。

手を動かす体験を通して 実務力につながる気付き

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EIPを受けた学生たちの実務能力を高く評価するシトールさん(左)。同社は国内の鉄道機関車やトヨタ、日産などの部品を生産している

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デュイス社があるダーバン郊外の工業地帯。さまざまな業種の工場が、小高い丘の続く地域にひしめき合っている

プレトリアから飛行機で約1時間。インド洋沿いにある南ア第二の大都市ダーバンは、同国の重要な貿易港であると同時に、日本企業を含めた多くの工場が並ぶ産業の一大集積地だ。ダーバン工科大学は2万7000人の学生が学ぶ大学で、ダーバンだけでなく州都のピーターマリッツバーグにも複数のキャンパスを持っている。

同大学でEIPプログラムのコーディネーターを務めるジェイ・パラマヌンド講師のもとを訪れると、ちょうど教育学部の一年生を対象としたEIPプログラムが開催されていた。パラマヌンド講師は"PDCAサイクル"など、ビジネスにおける基本的な考え方を説明した後、生徒たちの前に大量の部品を並べた。学生は3グループに分かれ、グループごとに責任者と部品の在庫管理者を決めるよう指示される。「これから、皆さんに車を作ってもらいます」。教室に並んだ部品は、ミニチュアトラックのパーツ。各グループがいわば一つの"工場"となって、ミニチュアの車を製造するというわけだ。

グループごとに全員で議論したり、早々に少人数のチームを作ったりと、取り組み方はさまざまだ。部品の管理も、チームごとにやっているところ、グループ全体でまとめてストックを作るところなど、それぞれ違う。組立説明書を片手に楽しそうに作業する学生たちを見ていると、これが大学の授業であることを忘れそうだ。「実は、説明書には落とし穴が隠されています。指示通りに組み立てると、作業がしづらい箇所があるんですよ」。飯田専門家が、学生たちの様子を見ながらこっそり教えてくれた。

時間が来たところで、パラマヌンド教授は学生たちに出来上がったトラックを持ってくるよう求めた。そこで始まるのが品質管理だ。タイヤが曲がっていて走れない、車体がゆがんでいるなど、思い思いに作ったトラックにはさまざまな不備が見つかった。他にも、準備していた部品が余っているなど、実際の職場では"課題"となることがいくつもある。これらに気付き、どう対処していくかを考えるのが、EIPのポイントなのだ。

飯田専門家と共にEIPに取り組み、実際に各地の大学を回ってプログラムの指導に当たっている、株式会社ワールドビジネスアソシエイツの篠崎利恵専門家は、「2回、3回と組み立てを繰り返すうちに、学生たちは徐々に自分たちで工夫を始め、効率良く、より多くの完成品を作れるようになっていきます。その中には、作業場となる机の上を片付けたり、部品の配置を流れ作業に向いたものにしたり、といったものも含まれます」と話す。説明書の"落とし穴"を見つけて対策を取るように、ただ指示通りに実行するのではなく、自ら考えて改善する経験が、働く場での若者の振る舞いを変えていく。

ピーターマリッツバーグから、高速道路をダーバンに向けて走る。片側二車線、場所によっては三車線の高速道路は完璧に整備されており、工業団地に軒を連ねる中小工場の様子は、日本の工業地帯の光景によく似ている。この地域に、ダーバン工科大学の卒業生を雇用する企業を訪ねた。

デュイス部品製造社のボンギウェ・シトール人事部長は、EIPを受けた卒業生たちを高く評価している。「彼らは職務の理解力が高く、職場に貢献する意識を持っている点で、他の新社会人たちと一線を画しています。若い世代の黒人やカラード((注)混血や東南アジア系など)がこうした教育を受けることで、古い世代が想像もしなかった仕事に就き、活躍するのは、社会全体にとって好ましいこと。彼らは、南ア社会の輝ける希望の星なんです」。自身が教育を重視する家庭で育ったというシトールさんは、実践的な教育を受けて巣立っていく若者たちへの期待を隠さなかった。

社会人スキルを学ぶ機会 周辺国への波及を期待

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ダーバン工科大学でEIPの普及に関わるチームと。後列左端が篠崎専門家、右端が飯田専門家、前列右がパラマヌンド教授

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EIP修了者に与えられる修了証のサンプル。裏面にある習得技能のリストは、経営者にとっても参考になるものだ

再びダーバン工科大学。ダーバン市内のキャンパスで、パラマヌンド講師の指導の下、学生たちにEIPを実施している先生方の話を聞いた。理学部科学学科のニー・ソバンツ・ントラ講師は、「私たちの学部でEIPを行ったとき、学生の一人が『これは本当に理学部の授業でやることですか?』と疑問を呈してきました。でも、一日目の授業が終わった後、その学生が、『明日が楽しみです』と言ってくれたのです。このプログラムは、分野に関係なくあらゆる学生に良い刺激となるものだと思います」と話してくれた。公衆衛生学部のシャナズ・グーマン講師は、「業務の適切な遂行や時間管理など、社会人として重要なことは、従来は学校では教えてくれませんでした。私が小さいころは親の家業を手伝いながら学ぶこともありましたが、今はそういう機会も少ないでしょう。多くの若者にとって、EIPは実践的なスキルを学ぶ貴重な機会といえます」と強調する。

一方、WILプログラムの一環としてEIPを受け、インターンも経験したチャミ・ドラミニさんは、「この研修を受ける前は、"職場への対応力"とは何かなど、想像もつきませんでした。EIPで学んだスキルは職場で不可欠なだけでなく、普段の生活にも生きる、大切なものです」と振り返った。

明るい部分ばかりを取り上げてきたが、南アの雇用環境は厳しい。失業率は27・7%と世界でも屈指の高さで、若年層では4割近くに達している(同国統計局調べ、2017年第3四半期実績)。特に、教育環境に恵まれなかったカラードや黒人の失業率は高い。だが、裏を返せば、この層の教育環境が改善され、優秀な労働力として活躍できるようになれば、南ア経済の起爆剤になりうるのだ。

「経済発展は社会問題を解決するための原動力となり、一人一人の生活水準も向上させます。そうなれば子どもたちがより教育を受けやすくなり、優秀な人材が社会に送り出され、さらなる経済発展につながります。成長のサイクルを動かし、2030年をゴールに据えた国家経済計画を実現するために、優れた産業人材の育成は大きな鍵となっているのです」と飯田専門家は強調する。

DHETのマビゼラ部長は、「南アの大学で学ぶ学生の8%は、近隣の南部アフリカ諸国から来た留学生です。また、EIPは現在、隣国ナミビアの科学技術大学に対しても、このプロジェクトを通じて同様の協力が展開されつつあります。南部アフリカ地域の発展を支えていくために、国の教育の質を高め、優れた人材を育成していくことは必要不可欠なのです」と説明してくれた。飯田専門家も、「南アには発展している部分もありますが、地方を中心に他のアフリカ諸国と同様の貧困問題も抱えています。この国での社会問題解決の試みは、南アだけでなく、他の国々の課題を解決する手掛かりになるのです」と語る。

旧約聖書で、虹は神が人に平和を約束したしるしだとされている。11の公用語を持ち、人種・民族間の融和を誓った虹の国。その繁栄は、アフリカ全体の未来を導く福音となる。

(編集部 近藤ゆふき)