私のなんとかしなきゃ! オスマン・サンコン ギニア共和国大使館顧問、タレント

持ちつ持たれつ、おたがいさまで、動いていく

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設立したNPOを通じて、祖国ギニアへの支援を継続して行っている。ギニアだけでなくベナンなどへも服などを送ったりとさまざまな活動を行っている

1972年、日本にはギニア共和国大使館がなく、私は大使館を設立するために来日しました。テレビに出たことをきっかけに、私もギニアも有名になりましたが、その一方で、貧しく厳しい状況の祖国に自分は何ができるかを考えてきました。テレビに出始めたころは、服などを詰めた段ボール2~3箱を毎月2~3回ギニアへ送っていました。その後は、NPO法人ギニア日本交流協会を設立し、ギニアに「サンコン小学校」やモスクを建てるなどの活動をしています。

文豪・山本有三に「米百俵」という戯曲があります。幕末のころの新潟県長岡市での実話がもとになっていると聞きました。山本有三の記念館を訪れたとき、お金よりも教育が一番であるという「米百俵」を知り、まさに私が思う理念であると感銘を受けたことを覚えています。ボールペンや制服、新潟県長岡市のお米などをギニアに送り、また2016年には、日本人の友人の協力を得て、コンテナでランドセルを送るなど、祖国の子どもたちが勉強できる環境を整えるため活動をしています。

年に1回、ギニアに里帰りをしていますが、子どもたちの「笑顔」が私のやる気につながっています。最近では、日本語で「アリガトウ」と言われることもありました。また、一緒に田植えを行うこともあります。驚くかもしれませんが、日本と同様ギニアでも稲作をします。私も小さなころから水田に稲を植えていました。私の息子も、ギニアの未来のため、日本とギニアの懸け橋になるため、農業を今、日本で勉強しています。

講演会に呼んでいただく機会には、「国際化」や「家族の絆」をテーマにお話をすることが多いのですが、その中でも私が好きな言葉は「義理と人情」です。「持ちつ持たれつ」が一番大切だと思っています。

2017年、旭日双光章をいただきました。日本のためにもっとできることはないか、ギニアのためにもっとできることはないかと考え、「サンコン・プロジェクト」を立ち上げようと準備しています。私がいなくなったら終わり、の活動ではなく、ギニアの人たちが主体となって続けていける活動を目指しています。「医療」「農業」「環境(ごみ問題)」「教育」の四つのカテゴリーで活動を行うことを目標に、具体的に何をやるべきか、今議論を重ねています。

"私が一番ではなく、おたがいさまで動いていく"。どちらが先進国で、どちらが途上国だとか、そういうレベルで考えないで、同じ人間として、生き方やあり方を相互に学び、理解し合っていくことが大切だと思っています。

プロフィール

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オスマン・サンコンさん

オスマン・サンコン
1949年、ギニア共和国生まれ。1969年にコナクリ大学を卒業後、ソルボンヌ大学に国費留学。1972年、ギニア外務省に入省。同年、駐日親善大使として来日。6か国語を話す。日本ではテレビ番組やCM、ラジオ番組、新聞、雑誌への出演、対談や講演会を行う。また、介護ヘルパー2級などの資格を持つ。日本ギニア友好協会広報官・ギニア大使館顧問、ユニセフ、ボランティア活動などを行っている。2013年「平成25年度外務大臣表彰」、2017年「旭日双光章」授章。

なんとかしなきゃ!プロジェクト

「なんとかしなきゃ!プロジェクト」は、開発途上国の現状について知り、一人一人ができる国際協力を推進していく市民参加型プロジェクトです。ウェブサイトやSNSを通じて、さまざまな国際協力の情報を発信していきます。