日々の生活の安全と安心を得るために、国民一人一人をはじめ、企業、国・地方自治体が自然災害に備えてきた日本。
多発する地震、津波、台風などを克服してきた経験が開発途上国で活かされている。
日本とネパールでは中国を起源に持つ蛇籠が生活を守る防災技術として古くから用いられている。
しかし、品質には大きな隔たりがあり、ネパールの蛇籠は2015年に起きた大地震で大きな打撃を受けた。
そこで、高知県の梼原町と高知大学が立ち上がった。
高知県の北西部、人口約3600人の梼原町には「蛇籠」と呼ばれる防災技術がある。蛇籠とは金網で作られた籠の中に石を詰めて、それらを鉄線で連結したものだ。山の斜面の土砂崩れを抑えたり、河川の護岸に使われる。外部から強い力がかかっても、籠が蛇のように湾曲して決壊を防ぐ仕組みになっている。梼原町はこの蛇籠を通じてネパールと関わりが深い。
「2015年、ネパールで大地震が起きたとき、高知大学の工学博士の原 忠先生が震災被害の調査を行いました。そこでよく見かけたのが、梼原町の蛇籠とよく似たネパール式の蛇籠だったそうです。ただ、粗末なものが多かったので、先生から『ネパールに蛇籠の技術を伝えませんか』と話をいただきました」
そう話すのは梼原町役場の二宮健志さんだ。梼原町は、地勢的に見てネパールと同じ山間地にあり、標高が高く、土壌は赤土に近い。1963年、豪雨と豪雪の猛威から生活道路が分断され、陸の孤島になった経験もある。環境がよく似ていたことから、「困っているなら放っておけない」と高知大学と一緒に行動を起こした。JICAにアプローチを行い、草の根技術協力事業として採択された。
大学で蛇籠の研究を進めてきた原さんは、ネパールの蛇籠について次のように話す。
「蛇籠の施工(製作や積み方)は、工事を担当する現場の監督が経験則を頼りに行っていました。図面通りに作らないというか、設計という概念があってないようなものでした」
梼原町では蛇籠を何段か設置するときに、山の斜面にもたれかかかるように蛇籠を積む。それに対してネパールでは、山の斜面を垂直に掘って蛇籠を真上に高く積み上げる。蛇籠同士も接合されていない。土砂の重みを受け止めやすいのは前者の梼原式だ。蛇籠に詰める石も、石同士の接触面を増やすように入れれば内部でズレにくくなり、外からの力に耐えやすくなるのだが、そうした工夫がないため、ネパールの蛇籠は下部から石が孕(はら)み出して倒壊するものが多かった。
そこでプロジェクトでは、蛇籠の施工を比較体験する場をつくった。1回目はネパール人がネパール式の方法で行い、2回目はネパール人が梼原町の方法をまねてみる。3回目はネパール人の中に梼原町の技術者が入って一緒に施工した。たとえ使用する資機材は同じでも、回を追うごとに蛇籠のクオリティが高まったのは誰の目にも明らかだった。
「蛇籠は今から2000年以上前に中国で生まれました。昔からあるローテクな土木構造物です。ただ、そこに現代の知見が入るとハイテクなものに進化することが現地の人にもわかっていただけたと思います」と原さん。
今では双方向の交流も盛んだ。高知大学から2名の学生がネパールを訪れ、ひとりはこれを機に蛇籠の研究に取り組みはじめた。
「ネパール語もよくわからないなか、現地の人と身ぶり手ぶりで意思疎通を行いながら測量に励む姿を見て、すがすがしいものを感じました。今は現地からEメールで届く蛇籠のモニタリングの報告のやり取りを任せています」
梼原町では技術者派遣のほか交代で5名の職員が現地を訪れている。二宮さんはさらに10名の職員を派遣するつもりでいる。
「私を含む全員がそうですが、現地を訪れたことで視野が広がり、意識が変わりました。ネパールからの研修員も2年連続で受け入れています。彼らが真剣に学ぶ姿を見ていると、町おこしに『梼原式』の蛇籠技術を活かせないだろうかと、新しい町の未来像を考えるようになりました」
今後のプロジェクトの展望は、より長く蛇籠を使用するためのメンテナンス技術を伝え、2019年の初頭をめどに現地の事情に即した「設計・施工マニュアル」をまとめること。梼原町と高知大学の蛇籠技術が、多くの交流とともにネパールの各地に届く日が近づいている。
私には研究したことを社会で役立てたいという強い思いがありました。
JICAを通じて「良いものを伝えられる」ことに非常にやりがいを感じます。
風水害の多い高知県で培われてきた伝統的な防災技術「蛇籠」が、ネパールの災害対策に役立っています。