「人間の安全保障」と「質の高い成長」

SCENE3 インフラ デリーメトロが人々の生活を変える

JICAが掲げる2つのミッションについて、具体的な姿を通して紹介する。

市民の生活が大きく変わった

JICAがミッションに掲げる「質の高い成長」とは何か。
インドの首都の新たな交通インフラは、市民の働き方や生活を変え、さらにその変化は他の都市や他国にも広がっていこうとしている。

文:光石達哉

【画像】

デリーメトロの駅はとても清潔に保たれている。その上、定刻通り、朝早くから夜遅くまで運行と、日本と比べても遜色がない。

約20年で築き上げた巨大な地下鉄網

急速な経済発展が進むインドの首都デリーは、同時に慢性的な交通渋滞にも悩まされてきた。それを解消するために建設されたのが、都市鉄道であるデリーメトロだ。2002年の開業以来、2018年5月時点の総延長は278キロと、東京メトロの195キロを上回る。このデリーメトロの整備に日本は、1995年の計画段階から円借款による支援を継続的に行ってきた。

それまでインドのインフラ工事は大幅に工期が遅れるのが「当たり前」とされていた。しかしデリーメトロは、ときに区間ごとの完工予定を前倒ししつつ工事が進み、約20年で巨大な都市交通網が完成した。これはデリーメトロ公社の初代総裁・スリダラン氏の強力なリーダーシップ、そして工事に携わったデリーメトロ公社職員と日本のコンサルタントが真摯に問題解決に取り組んできた成果でもある。スリダラン氏については「日本のコンサルタントの提案に納得すれば即座に採用するなど、プロとしての判断に優れていた。彼がいなければデリーメトロはサクセスストーリーにならなかったと、日印双方の関係者が知っています」と、JICA南アジア部長の原 昌平は氏の功績を話す。

デリーメトロの変革が他都市、他国へ波及

【画像】

プロジェクトを進めるなかで着実に高まってきたのが、工事現場の安全対策。今では当然のように遂行されている。

【画像】

デリーメトロの女性専用車両。安心して通勤できることから、女性が街に出て働きやすくなった。

【画像】

乗客が整列乗車する光景は日本と同じだ。駅ではバリアフリー化も進められている。

広い国土で鉄道網が発達しているインドでは、土木工事の経験は豊富なものの、安全に対する意識は必ずしも高くなかった。たとえば、工事現場でのヘルメットや安全靴の着用は一般的ではなく、服装の安全規定も浸透していなかった。また工事現場をフェンスで囲うこともなく、関係者以外が立ち入ってくることも日常茶飯事だった。JICAは日本のコンサルタントとともに、インド側に安全管理を熱心に働きかけて、安全装備の着用やフェンスの設置を徹底した。こうした安全対策の取り組みは、デリー以外の地下鉄工事でも採用されるようになり、インド全体に波及している。

また用地取得・住民移転についても、JICAが環境社会配慮ガイドラインに沿った丁寧で慎重な対応を行うことに関し、インド側には当初、「なぜそこまで必要なんだ、短期間で進めた方が工期に間に合うじゃないか」との意見があった。しかし「住民の理解をしっかり得て、彼らへの影響を最小限にとどめることは公共事業の基本。結果的に工期遅延も防げるし、開発効果の早期の発現につながる」と説得し続けて理解を得た。

メトロの完成によって市民の生活は大きく変わっていった。それまで日常の足だったバス、リキシャはつねに渋滞の影響を受け、事故や犯罪を心配する人々もいたが、デリーメトロは朝6時から夜11時ごろまで時間通りに運行され、冷房つきで快適。女性専用車両もあり、安全で確実な移動を可能にした。初乗り10ルピー(約16円)とバスに比べれば多少高いものの、乗客は着実に増加している。また、これまで「整列する」という習慣に馴染みが薄かった人たちだが、今はホームに引かれた線や駅員の指示に従って整列乗車を行うことが身についている。都市鉄道の整備がインドの人たちに行動様式の変容をももたらしたのだ。原は、「JICAは物理的に鉄道を造るだけでなく、安全対策や完成後の社会的影響を含めた協力を行ってきた。インド社会の変革とちょうどタイミングが合致していたこともあり、大きな効果を上げたのです」と説明する。

デリーメトロ公社はこうした数々の体験を経て、今では公社の職員がコンサルタントとして活躍している。日本から学んだノウハウをもとに、インドの他都市、さらにはバングラデシュ、インドネシアなど他国での都市鉄道建設にあたっている。

デリーメトロで起こった変革は、新たな人材を育成し、単なるインフラ整備にとどまらない「質の高い成長」に貢献している。今後もそれを必要とする街でさまざまなインパクトを与え続けていくことが期待される。

【画像】

男女格差がまだ残るイメージのインドだが、デリーメトロ公社は女性も働きやすい環境づくりを推進している。

【画像】

鉄道を建設する以上に難しいと言われるのが維持管理。日本の企業のノウハウが活かされている。