ふたたび動き出す 国と経済を結ぶ道造り ミャンマー

経済発展に伴う生産拠点の増加、消費の活性化によって、急務となるのが道路・橋梁の整備事業だ。
今、ミャンマーではJICAによる多くのプロジェクトが進められ、現地で日本人が活躍し、信頼されている。

文:光石達哉 写真:鈴木拓也

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ミャンマー各地で進む橋梁整備

ミャンマー×日本 友好の懸け橋!

落橋事故に一番に駆けつける

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ミャンマー(ヤンゴン、ネーピードー)

2018年4月1日未明、ヤンゴンから約140キロ西に架かるミャウンミャ橋で、積み荷を含む重量18トンのトラックが走行中に落橋する大事故が起こり、乗っていた2人が亡くなった。その日の朝、JICA専門家の妹尾(せのお)佳さん(西日本高速道路)はミャンマー建設省から電話を受けた。

「川の中に橋が落ちた。船が通れなくなっているのでどうやって回収すればいいか教えてほしい」との依頼だった。妹尾さんは、他の日本人技術者と現場へ急いだ。

「電話を受けたときは、ありえないことが起こったと思いました。現場はさらに悲惨な状況でした。原因はメインケーブルの腐食による破断でしたが、それが原因での橋梁全体の落橋は世界的に見てもおそらく初めての事故です」

この事故はミャンマー国内でも大ニュースとなり、2018年4月10日には国家最高顧問のアウン・サン・スー・チー氏が現場を視察。その場で関係者と緊急会議を開き、早期の復旧と、建設時期が近い類似の橋梁の点検を指示した。その会議にミャンマー人以外でただひとり入室を許されたのが妹尾さんだった。席上、スー・チー氏は「事故当日に最初に来てくれたのが日本で、橋の撤去についてアドバイスしてくれた。感謝している」と発言した。それを聞いた妹尾さんは「その言葉がうれしかったし、やりがいを感じた」と、胸に熱いものがこみ上げた。

空白期間を埋める技術者養成プロジェクト

落橋事故の背景には、ミャンマーの橋梁技術発展の歴史における約30年にわたる空白期間がある。

1979年にはビルマ(当時)に橋梁技術訓練センター(BETC)が設立され、日本人技術者からミャンマー人技術者に橋梁の設計施工技術が伝えられた。そこで学んだ技術をもとにツワナ橋(1985年完成)、ナウアン橋(1991年完成)と二つの近代的な橋が造られた。これらは当時の東南アジアで最先端の技術を誇る橋だった。

しかし1988年の政変により、日本をはじめとする諸外国からのODAがストップ。それ以降は、脆弱な設計と工事による橋が少なからず造られていった。落橋したミャウンミャ橋も1996年の完成で、そのような橋のひとつだ。BETCでは日本が伝えた技術が更新されず、ミャンマー人技術者のレベルも上がらない状態が続いていた。

転機となったのは、2011年のミャンマーの民政移管だ。ふたたび諸外国からのODAを受け入れられるようになると、ミャンマー政府は日本に橋梁技術改善の支援を依頼し、2015年6月に「道路橋梁技術能力強化プロジェクト」がスタートした。JICA専門家として日本の高速道路会社から三石 晃さん(東日本高速道路)と先述の妹尾さんが派遣された。ミャンマー建設省には40年前にBETCで学んだ技術者がまだ多く残っており、ふたりを温かく歓迎した。ミャンマー建設省のチョウ・リン副大臣は、「君たちの名前はわれわれには呼びにくい」と、三石さんにアウン・シェイン、妹尾さんにはアウン・サン・ウーとミャンマー風の名前をつけてくれた。アウン・サン・ウーはスー・チー氏の弟と同じ名前だが、「セノオ(Senoo)とサン・ウー(San Oo)の文字のつづりが似ているからこの名前になりました。ミャンマーの人たちはこの名前でしか私を呼びませんよ」と妹尾さんは微笑む。

ふたりは日本の高速道路会社やコンサルタントから派遣された10人の専門家とともに、ミャンマー建設省の約30人の技術者に技術指導を始めたが、最初は苦労も多かった。ミャンマーでは「技術は目で盗むもの」という習慣があり、上司や先輩から若い世代への教育が十分にされていなかったのだ。

「コンクリートを練るときは、セメントと水、そこに混ぜる石と砂の割合は決まっています。しかし、この国ではその割合が人によってばらばらで、現場で混ぜながら、まだ固そうだから水を入れようかといった具合でした」と三石さんはふり返る。そこで現在、技術ノウハウを統一するマニュアル作りが進められている。近い将来に三石さん、妹尾さんらのもとで学んだミャンマー人の技術者が指導者となり、新たな技術者を養成できるようにするのがねらいだ。

100年もつ橋を造る日本の技術

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港町のモーラミャインから近いアトラン橋は、物流を担う大型車両だけでなく、乗用車やバイクで移動する市民もひっきりなしに通過する。

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現在のアトラン橋は、ミャウンミャ橋落橋事故後の点検で危険性が指摘された橋のひとつ。新しい橋が完成するまで、日本の専門家が現地の技術者の保守点検をサポートする。

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橋の一部は鉄板がむき出しになっているため、老朽化により亀裂が入ってたいへん危険。現在は溶接による補修を行いながら使用されている。

ミャンマーでは、こうした技術者の養成に加えて、JICAの協力による新たな橋の建設、架け替え、道路の整備も始まっている。新たな橋や道路は、タイ国境からヤンゴンまで続く東西経済回廊上や、ヤンゴン南部のティラワ経済特別区周辺で進められている。

東西経済回廊とはベトナムのダナンからラオス、タイを経て、ミャンマーに入り、港町のモーラミャイン、さらにその先のヤンゴンまで通じるインドシナ半島を横断する大動脈である(注1)。この地域の陸上貿易の活性化を目指したもので、遅れていたミャンマーの国内区間の整備が現在急ピッチで進められている。

話を冒頭の落橋事故に戻そう。スー・チー氏は、ミャウンミャ橋と同時期に建設された同様の約30の橋の点検を決め、東京大学や日本企業からなる合同チームがそのうち約10橋を担当した(注2)。その結果、ミャンマー東部のモーラミャイン郊外にあるアトラン橋とジャイン・ザタピン橋も危険性があると診断された。いずれの橋もミャンマーの技術的空白期間に架けられたもので、簡易な構造の鋼性補強をもった桁となっており、また橋梁本体の重量を軽くするため、アスファルト舗装は行わず、滑り止め加工をした鋼材を敷き並べただけの路面となっていた。大型車両が走るとその橋全体がたわみ、亀裂が入った鋼材は溶接して補修しているところも数多い。落橋事故後の点検では、通過する車両の重量を20トンから13トンへと引き下げる措置もとられた。

この二つの橋とさらにもうひとつのジャイン・コーカレー橋は、東西経済回廊上にあり、交通上のボトルネック解消のため、落橋事故以前からJICAの協力による架け替えが決まっていて、2019年中の着工に向けて準備が進められている。詳細設計を担当するセントラルコンサルタントの植田信一さんは「今の橋を見たときはたわみが大きく、正直言って大丈夫かなと思いました。品質のいい橋を残すのがわれわれの使命だと思います」と力をこめる。

新しい橋には、耐候性鋼材と呼ばれる特殊な鋼材が使われる予定だ。一般的に鋼橋は錆を防ぐために10~15年ごとに塗装の塗り替えが必要になる。しかし塗り替えには費用もかかることから、ミャンマーはメンテナンスが少ない橋を希望していた。耐候性鋼材とは、通常の鋼材に適量の合金元素を混ぜて製鋼することで、表面に微細な錆をわざと発生させるものだ。その錆の膜が塗装の代わりとなって内側の鋼材を保護する仕組みで、メンテナンスの手間を大きく減らすことができる。

「日本では一般的な材料ですが、ミャンマーでは前例がなく『錆びているけど、本当に大丈夫か?』という声もありました。そこで、ミャンマー人の技術者を日本に呼び、実物を見てもらい納得してもらえました、われわれの考えでは100年耐えられる橋になります」と、植田さんは胸を張る。

ヤンゴン市民も喜んだ新たな架け橋

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ドーボン橋の建設に携わった日本工営の吉田剛さん(中央)。橋の完成でヤンゴン市内の物流の効率化が進み、地域住民の生活改善も図られた。

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右手に見えるのは1920年代に架けられた旧タケタ橋。改修されながら使われていたが老朽化し、また片側1車線で渋滞の原因にもなっていた。

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橋のたもとには「日本国民からの無償資金協力 日本とミャンマーの友好と協力の象徴」と記されたプレートが設置されている。

東西経済回廊の西側の終点となるティラワ経済特別区は工業団地、住宅、大学、研究機関などが集まる地域で、日本をはじめ各国の企業が進出しようとしている。ミャンマーの今後の経済発展の鍵となる地区だ。ミャンマー経済の中心地ヤンゴンは川が多い街であり、郊外にあるそのティラワ経済特別区まではいくつかの川を渡る必要がある。そこに架かる新タケタ橋(正式名称:ドーボン橋)、バゴー橋の二つはJICAの協力で整備されている。

2018年8月25日、一足早く新ドーボン橋が完成した。日本からのODA再開後に完成した初めての橋で、橋梁形式はミャンマーでは初となるPCエクストラドーズド橋と呼ばれる高度な施工技術を要するもので、耐久性が高く建設コストも抑えられるのが特徴だ。また、河川内工事で鋼管矢板井筒基礎(注3)が採用されている。

開通式には建設大臣のハン・ゾウ氏ら要人も出席し、ヤンゴン市民もつめかけてお祭り騒ぎになった。BBC(英国放送協会)や日本でもニュースとして取り上げられ、ミャンマー人の間で流行しているSNSでも大きな話題となった。この橋の完成によってヤンゴン市内における物流の効率化、地域住民の生活改善が図られたのだ。調査・設計と施工管理を担当した日本工営の吉田 剛さんは、次のように語る。

「実施機関、施工業者ならびに関係機関の方々のご尽力によって、多くの困難を乗り越えて竣工までたどり着くことができました。プロジェクトにはミャンマー建設省の若手職員も参加しています。彼らの活躍と今後のミャンマーのいっそうの発展を期待しています」

ドーボン橋は日本とミャンマーの新たな絆を象徴する懸け橋だ。さらなる発展の第一歩がここから始まる。

(注3)鋼管矢板井筒基礎
鋼管同士を特殊な継ぎ手で結合し、円形・矩形(くけい)・小判形等の井筒形状の基礎工とするもの。井筒全体が一体の基礎工として機能するために剛性が高く、長大橋や大型構造物の基礎として数多く採用されている。外周部の鋼管を水の締め切り部材として使用できるため、水中で基礎工を建設する場合には経済的にも有利となる。

ミャンマー各地で進む橋梁整備

1)ドーボン橋

2015年4月に着工し、2018年8月に完成した、ヤンゴン地区とタケタ地区を結ぶドーボン橋。
全長256メートル、片側2車線で歩道も整備されている。

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ドーボン橋

2)ジャイン・コーカレー橋

ジャイン川の上流に架かり、東西経済回廊整備事業の橋の中で最もタイ国境に近い。ドーボン橋に続くミャンマーで2例目のPCエクストラドーズド橋で、2019年初めに着工予定。

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ジャイン・コーカレー橋(完成後のイメージ)

3)ジャイン・ザタピン橋

モーラミャイン中心部から約17キロメートル北東、ジャイン川の下流に架かる。全長797メートルと三つの橋の中で最も大きく、斜張橋(注4)の主塔部はミャンマーの仏塔「パゴダ」をイメージして金色をあしらったデザインだ。2019年秋着工予定。

(注4)主塔からケーブルを斜めに張って橋桁を支える構造。

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ジャイン・ザタピン橋(完成後のイメージ)

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現在のジャイン・ザタピン橋

4)アトラン橋

モーラミャインの中心部から約5キロメートル東、アトラン川に架かる。全長480メートルの橋梁(斜張橋区間326メートル)で、2019年秋着工予定。なお、三つの橋はすべて片側2車線で歩道も設けられる。

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アトラン橋(完成後のイメージ)

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現在のアトラン橋

5)新シッタン橋

ミャンマー中央部を流れるシッタン川に架ける橋で、既存のシッタン橋の約7~8キロメートル下流に建設される。現在は協力準備調査中で、全長は700~800メートルとなる予定。

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新シッタン橋(完成後のイメージ)

6)ツワナ橋

ミャンマー初のPC橋となったツワナ橋。PCとはプレストレストコンクリート(Prestressed Concrete)の略で、一般に使用されるRC(Reinforced Concrete:鉄筋コンクリート)よりもひび割れに強いのが特徴。BETCでは多くのミャンマー人がPC橋の技術を学んだ。

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ツワナ橋

7)バゴー橋

バゴー橋は来年初めにも着工予定で、完成すればヤンゴン市内で最大級の橋となる。すでに橋のアプローチ部分の造成が始まっている。既存のタンリン橋は鉄道橋として残される予定。

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バゴー橋(完成後のイメージ)

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現在のバゴー橋

主なプロジェクト

道路橋梁技術能力強化プロジェクト(技術協力)

ミャンマーにおける技術者の道路・橋梁施工技術の能力強化を図る。個々の技術者でばらばらだったノウハウを統一したマニュアルを整備し、技術者を指導するコアトレーナーを養成して、最終的にミャンマー全土において一元化された施工監理体制・技術基準を整備することが目標。ミャンマーの道路・橋梁分野への政策的助言や、本文中にある落橋事故後の対応のような、さまざまなアドバイスも行っている。

東西経済回廊整備事業(円借款)

東西経済回廊のうち、タイ国境~モーラミャイン間にあるジャイン・コーカレー橋、ジャイン・ザタピン橋、アトラン橋はいずれも片側1車線で渋滞の原因となり、老朽化のために通過する車両の重量制限も行われている。この三つの橋の架け替えを行うことで、タイとミャンマー間の陸上貿易の活性化を促す。

ミャンマー国 東西経済回廊フェーズII(計画中)

東西経済回廊のチャイトー~バゴー間の新規高速道路整備を行う。道路部分はアジア開発銀行(ADB)、橋梁部分は日本が融資するミャンマー初の連携事業として実施される。完成すれば当該区間の移動距離が30キロメートル以上短縮される見込み。なお、現在あるシッタン橋は残され、従来通り利用される。両方のルートで将来の交通量増加に対応する。

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約20年前に建設された現在のシッタン橋。ミャンマー政府建設省の担当者曰く、「本当はもっと下流に架けたかったが、潮津波の影響もあって当時の技術ではできなかった」。

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AH1は、東京・日本橋~トルコ・イスタンブール間を高速道路などで結ぶアジアハイウェイ1号線のこと。ベトナム・ダナン~ミャンマー・ヤンゴン間をつなぐ東西経済回廊もAH1の一部と重なっている。

バゴー橋整備事業(円借款)

ヤンゴン市中心部とティラワ経済特別区の間には、川幅の広いバゴー川が流れる。現在そこに架かるタンリン橋は片側1車線と狭く、また重量トラックの通行も制限され、渋滞の原因となっている。この地域の開発に伴い交通量の増大が予想されるため、125メートル下流に新たなバゴー橋を建設する。

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バゴー橋からティラワ経済特別区へと続くティラワアクセスロードの整備も進められている。ここが東西経済回廊の西端となり、港湾の海上貿易にもつながる。右はプロジェクトマネジャーを務める日本工営の内藤久稔さん。

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港までの道も整備

専門家、技術者、コンサルタント

JICA専門家 妹尾 佳さん、三石 晃さん

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後列左から三石晃さん、短期専門家として派遣されている建設技研インターナショナルの渡邊亮平さん、後列右端が妹尾佳さん、手前はミャンマー人の技術者たち。ミャンマーでは女性の技術者が多く活躍している。

われわれが養成したコアトレーナーが先生となって他の技術者を教えられるようにするため、マニュアル作りに100回以上のワークショップを重ねて、現場でも実際に試してきました。完成したマニュアルは、今後ミャンマー全土に広めていきます。(妹尾)

政変のため技術的な鎖国状態が続いていましたが、ハン・ゾウ大臣をはじめ昔のBETCの成功を知っている方がまだ現役で、ODA再開後は「日本の技術は質がいい、丁寧に仕事をしてくれる」と敬意を持って接してくれているので、その期待に応えたいです。(三石)

ミャンマー建設省 橋梁部門土木技術者 カイン・ティンザ・ウェイさん

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左から、橋梁の維持管理を行うミャンマー建設省のカイン・ティンザ・ウェイさんとフェイン・トーンさん、新たな橋の詳細設計を担当するセントラルコンサルタントの植田信一さん、千葉靖之さん。

JICAによる研修で日本を訪れたとき、日本は先進的な技術をたくさん持っていることを実感しました。今後も多くを学んでミャンマーの成長に貢献したいと考えています。新しくできる大きな橋の完成が楽しみです。

セントラルコンサルタント 釜井英行さん、糸井 誠さん

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釜井英行さん(左)、糸井 誠さん(右)

「われわれが造った橋が活用されれば、交通量が増えてミャンマーがますます発展していくことが期待されます。そのためにも十分な耐久性のある橋を造っておけば、今後長く使ってもらえるでしょう。100年耐えられる橋を目指して頑張ります」(糸井)

オリエンタルコンサルタンツグローバル 藤熊昌孝さん

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藤熊昌孝さん

バゴー地域の東側を流れるシッタン川は、河口がラッパ状に広がっており、干満の差によって川の流れが逆流する「海嘯(かいしょう)」と呼ばれる潮津波現象が起きます。そのため基礎工事には鋼管矢板井筒基礎と、また経済性や工期短縮等に配慮し、鋼構造の橋梁形式の採用を検討しています。タイ~ラオス国境に架かかる第2友好橋の設計、建設など20年以上にわたってインドシナ半島の東西経済回廊整備に携わってきました。そのため、東西経済回廊の整備に懸ける思いには強いものがあります。

日本工営 東後 泉さん

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東後 泉さん

バゴー川は流れが速く、工事は安全第一で行わなければなりません、その対策のひとつとして、バゴー橋の橋脚には鋼管矢板井筒基礎が採用されています。これは工事期間が短く、安全で合理的な日本独自の技術です。耐久性に優れ高品質な橋を造る技術は日本が進んでいますので、いい橋を残したいです。

インタビュー

「日本の技術はすべてが驚きだった」 建設大臣 ハン・ゾウ氏

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2018年1月にミャンマーの建設大臣に就任したハン・ゾウ氏。日本とは約40年にわたって密接な関係を築いており、1991年には土木学会田中賞、2009年には土木学会国際貢献賞を受賞した。2018年10月には、長年の功績を称えてミャンマー人として初のJICA理事長賞が贈られている。

1979年、日本の協力で橋梁技術訓練センター(BETC)が設立されると私は副所長を務め、指導者としても日本人から学んだ技術をミャンマー人技術者に教えていました。そこで学んだ技術を活かすため、1年後にはツワナ橋の建設を開始しました。この橋の建設でも、日本人から多くの技術を学びました。仮設の桟橋や足場を作ること、巨大なケーソン(基礎構造物)を設置しての基礎工事などすべてが驚きでした。

その後、残念なことにわが国の政治体制が変わり、すべてのODAがストップしました。しかし、その中でもわれわれと日本の関係は続いていました。日本から技術者が来てセミナーを開いてくれるなど、わが国の大学を支援してくれたりしました。

ODAが再開した現在、JICAの協力で東西経済回廊に架かる橋の整備が進もうとしています。この回廊によって国境間貿易が活性化することは東南アジア諸国にとって重要で、大いに期待しています。日本とミャンマーの関係の象徴が、2018年8月に完成したドーボン橋です。橋のクオリティも高く、交通も便利になりました。今後も建設省では東西経済回廊やヤンゴンの内環状道路の整備など多くの仕事が待っているので、日本の協力を頼もしく感じています。

ミャンマー

【画像】国名:ミャンマー連邦共和国
首都:ネーピードー
通貨:チャット(Kyat)
人口:5,141万人(ミャンマー入国管理・人口省発表)
公用語:ミャンマー語

2011年の民政移管以降、急激な経済成長を見せるミャンマー。日本はメコン地域諸国の陸上貿易の大動脈となる「東西経済回廊」の整備と、同国最大の都市ヤンゴン郊外にある「ティラワ経済特別区」の開発を後押ししている。