鉄道:“オールジャパン”が都市交通を変える インドネシア

東南アジアで初めての"オールジャパン"の地下鉄プロジェクト、ジャカルタ都市高速鉄道「MRT南北線」が開通した。
日本の鉄道技術とノウハウがあらゆる局面で生かされている。

写真:鈴木勝

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高速道路をまたいで急曲線を描く高架。半径180メートルの美しいカーブの構築には、日本の建設業者の高い技術力が生かされた。(写真提供:東急建設)

日本式 鉄道 インドネシア初の地下鉄開通!

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2019年3月24日の開業式典に登壇したジョコ・ウィドド大統領。多くの市民が押し寄せ、MRTの開通を祝った。

急速な都市化と経済成長が進むインドネシアの首都ジャカルタでは、ここ20年でバイクと自動車の登録台数がそれぞれ約14倍、約3倍に増加した。〝世界一ひどい〟とも評される交通渋滞は深刻な大気汚染や事故問題を引き起こし、日本円に換算して年間約7680億円に上る多大な経済的損失を招いている。公共交通網の整備は、今後も高い人口増加率が続くことが予想されるジャカルタの喫緊の課題だ。

問題解決の切り札として期待されるのが、大量高速輸送を可能にする、ジャカルタ都市高速鉄道(MRT:Mass Rapid Transit Jakarta)計画だ。この3月に全線約24キロメートルのうち約16キロメートルが開通した「MRT南北線」は、その初めての路線になる。ジャカルタとほぼ同面積、同人口の東京23区内に約304キロメートルの地下鉄網があることを考えると、MRT南北線はインドネシアがようやく踏み出した小さな一歩といえるかもしれない。しかしその最初の一歩には、今後のインドネシアのスタンダードを形作るべく、先進国と同レベルの鉄道技術・ノウハウが注ぎ込まれ、施工、設備整備、運行システム、運営などあらゆる側面で質の高さが追求された。協力した日本の事業者は現地企業と合弁企業を設立し、安全、快適、信頼を土台とする日本の鉄道技術を伝えた。

日本基準の施工管理

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メンテナンスのための検査場など一式を日本企業が設計施工した車両基地。働く人の動線にも、日本らしい配慮が行き届いている。

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技術移転によって現地で製造されたまくらぎ。

多くの関係者が「苦労した」と話すのが、工程管理だ。事業はインドネシア政府による土地収用の遅れから、当初の計画工程から大幅な変更を余儀なくされた。各ゼネコンや設備の敷設を担う企業、従業員の訓練を担うコンサルタントは連携を密にし、それぞれ同時並行的に作業を進めることで3月の開業にこぎつけたという。

現場では〝日本基準〟の工程管理でこの危機を乗り切った。一部区間の高架や駅舎を建設した「東急建設 - Wika ジョイントオペレーション」の野村泰由さんは「朝礼時、あるいは夜礼時に密な打ち合わせを行い、作業に遅れが出た場合はどうやって間に合わせるかを一緒になって考えました」と話す。イスラム教徒のスタッフの礼拝やラマダンの時間も考慮に入れ、時間の管理が厳しいなかでも文化・宗教の違いに細やかに対応した。インドネシアには人々の〝ゆるい〟時間感覚を指す「ジャム・カレット(ゴムの時間)」という言葉があり、予定通りに物事が進まない事がおうおうにしてあるというが、現場にいたある日本人スタッフは「日本人が得意とする工程管理で現地の人々の目標達成を助ける」気持ちで現場に臨んでいたと話していた。

品質管理も日本の製造業が得意とするところだ。「初めは『なぜそこまでこだわるの?』という反応でした」。電気・軌道・機械システム工事を担当した「メトロワンコンソーシアム」の沓屋篤さんは、レールを支えるコンクリート製の「まくらぎ」の製造についてのやりとりをそう話す。

「品質管理に対する意識がそもそも日本とは異なりました。型枠からの漏れや締め固め不足でミリ単位の精度がでなくても、さして気にする様子がなかったのです。精度や強度が低ければ、レールの狂いや破断といった事故につながりかねません。なぜ高い品質が必要なのかくり返し伝えるなかで、次第に現場の意識が変わってきました」。根気強い指導は日本と同品質のまくらぎにかぎらず、現地工員の技術力の向上という副産物ももたらした。

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改札には日本で広く使われているFeliCa方式を採用。現地で一般的なICカードよりも読み取りが速い。

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MRT南北線の車両もメイド・イン・ジャパン。最先端の技術を用いた軽量車体で、省エネルギー、省メンテナンスを実現した。

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整列乗車を促すラインが引かれた駅構内。地下駅では全面式のホームドアを採用した。

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各車両の端には優先席が設けられており、車いす、ベビーカー用のスペースも確保されている。

右ヨシ、左ヨシ ジャカルタの鉄道マン

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駅構内の火災に備えた訓練の様子。開業に向けて急ピッチで作業が進むなか、利用者の安全にも万全の態勢が整えられた。

開業直前の3月上旬には脱線や駅での火災を想定した訓練も行われた。「働く人の命を守り、お客さまを安全に運ぶこと」-開業に向けてスタッフの育成を支援した「日本コンサルタンツJV」の宇都宮真理子さんに、訓練で最も重要なことを尋ねると、そう答えが帰ってきた。

MRTのために設立されたジャカルタ地下鉄公社(MRTJ)は鉄道運営のノウハウを持たないゼロからのスタートだった。「日本には長い鉄道の歴史があるので、そのぶんたくさんの失敗事例もあります。一方、経験に乏しいMRTJの職員は、どこに危険が潜んでいるのか十分に認識しているとはいえませんでした」と宇都宮さんは話す。

宇都宮さんは「日本の考え方の押しつけにならないだろうか」と悩んだこともあったとも話す。相手に理解してもらうためには、論理的に諭すだけでなく信頼関係も重要だと考え、密なコミュニケーションを心がけるようになった。若く真面目な職員たちは教えたことをどんどん吸収し、初めは線路での作業中に近づいてきた保守用車を見てバラバラに逃げたり、線路内でスマートフォンを操作したりしていた職員も、訓練を重ねるなかで安全な動作ができるようになった。

現地職員と日本のスタッフの信頼関係がうかがえるほほ笑ましいエピソードがある。「日本の鉄道マンは線路を渡るときに必ず『右ヨシ、左ヨシ』と指差喚呼します。MRTJの職員にはインドネシア語で教えましたが、好奇心旺盛な職員は日本人の専門家の日本語を覚えて、『ミギヨシ、ヒダリヨシ』とまねするようになりました」。

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車両基地で線路を渡る際に「右ヨシ、左ヨシ」と指差喚呼する鉄道員。

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試験運転前に、機器を指差し確認する運転士。「重い責任が伴う仕事。しっかり訓練して開業に備えたい」。

インドネシアの未来を運ぶMRT

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日本生まれの新型車両。

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MRTJのSNSでは市民に向けた広報を積極的に展開中。マスコットの「マルティ」が、駅構内や車内での利用マナーを啓発している。

〝日本式〟の支援はインドネシアでも高く評価された。MRTJで建設部門を統括するシルビア・ハリムさんは、事業を次のようにふり返った。

「高いプロ意識、品質に対するプライド、優れた工程管理や安全対策など、日本の事業者のさまざまな強みを目にしました。インドネシアの事業者が合弁企業という形で日本の方々とともに働き、そういった側面を学べたことは大きな財産です。優先席を譲り合うことや、時間通りに行動すること、節約できた時間を家族や友人とともに過ごすこと-MRTはジャカルタ市民に新しい規律やライフスタイルをもたらすでしょう。渋滞が緩和されれば、ジャカルタでビジネスを立ち上げる人の数も増えるはずです。インドネシアの近代的な発展に、MRTは重要な役割を担っています」

インフラが整い、新しい鉄道を敷設する機会が少なくなった日本では、技術の継承が課題だという。日本はMRT南北線に続き、東西線の建設に向けた協力も進めている。インドネシアに引き継がれた日本の鉄道が、自力で歩き出す日が楽しみだ。

東急建設 - Wika ジョイントオペレーション プロジェクトマネージャー

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野村泰由さん

野村泰由(のむら・やすよし)さん

今回、私たちが請け負ったエリアは高架部なのですが、特にコンクリート構造物自体の耐久性と、美観を強調して指導しました。最高の品質を保ち、コンクリートそのものの美しさを追求した構造物を構築する。日本だけでなく世界の土木技術者が目指すところです。

メトロワンコンソーシアム(三井物産、神戸製鋼、東洋エンジニアリング、IKPT) プロジェクトマネージャー

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沓屋 篤さん

沓屋 篤(くつのや・あつし)さん

運行管理装置や駅のコンピューターなど、鉄道の運行を支えるシステム一式の敷設を請け負いました。MRTの信号システムは日本でもまだあまり採り入れられていない無線式。車両間隔を短くすることができ、輸送能力が向上します。

ジャカルタ地下鉄公社 取締役(建設部門)

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シルビア・ハリムさん

シルビア・ハリムさん

市民の高い期待を受けたMRT南北線。自力での運営は大きなチャレンジですが、できるかぎりの準備をしてきました。日本のみなさまの協力にはとても感謝しています。ぜひジャカルタを訪れ、MRTを体験してください。

日本コンサルタンツJV プロジェクトマネージャー

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宇都宮真理子さん

宇都宮真理子(うつのみや・まりこ)さん

日本でMRTJ職員の研修をした際、彼らから『日本の鉄道事業者は、現場の一人一人まで主体性を持って仕事をしていることに感銘を受けた』との発言がありました。われわれが伝えたかったことがきちんと認識されたことに、研修のかいがあったと感じました。

JICA専門家(ジャカルタMRTJアドバイザー)

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八木橋 誠さん

八木橋 誠(やぎはし・まこと)さん

地下鉄の運営を初めて行うジャカルタ特別州とその傘下のジャカルタ地下鉄公社に対し、国土交通省から派遣された歴代の専門家が10年以上にわたって指導とアドバイスを続けています。必要な法制度、マナー向上の取り組み、駅ナカ・駅周辺の開発やMRTのブランディングなど、日本の経験をもとに、将来を見据えた提案をしています。

インドネシア

【画像】国名:インドネシア共和国
首都:ジャカルタ
通貨:ルピア(IDR)
人口:2億6,399万人(2017年、世界銀行)
公用語:インドネシア語

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ジャカルタ

約1万3,500の島々からなる世界最大の島しょ国家。2014年に就任したジョコ大統領の主導のもと、インフラ整備、社会保障拡充、格差是正などの経済・社会政策の改革が進められている。