誰もが安心して暮らせる社会へ
安心して毎日を過ごせることは、すべての人が持つ基本的な人権である。
住み慣れた場所を追われた難民や障害者など、すべての人々が安心して暮らせる社会の実現のため、さまざまな協力が行われている。
文:光石達哉 写真:阿部雄介
細い路地を縫って子どもたちがボールを追いかけ、露店には野菜や果物が並ぶ。一見すると普通の町と変わらないが、ここはパレスチナ自治区・ヨルダン川西岸地区にあるオールド・アスカール難民キャンプだ。キャンプ設立から約70年、難民は3~4世代目となって人口が増え、住宅や施設の密集と老朽化が進んでいる。さらに、西岸地区に全24か所(注)ある他の難民キャンプ同様、失業や貧困などの社会問題も悪化している。
しかし難民キャンプには、こうした問題を解決するのに住民の意見を反映させる民主的な組織がなかった。「過去にも、難民キャンプを改善したいという要望はあった。しかし、私たちにはその声を集め、解決策を考える手段がなかったんです」と、以前からキャンプの運営に携ってきたある住民は言う。
そこで2018年、JICAの支援で住民による自治組織CIF(キャンプ改善フォーラム)がつくられた。CIFはそれまでキャンプの運営に関わってこなかった高齢者、女性、障害者など立場の異なる人々の代表者からなる。住民の声に耳を傾けながら議論を重ね、公園や女性センターの改修、住民啓発などに取り組んできた。
難民問題局キャンプ事業部長のヤセル・アブキシュクさんは「住民一人ひとりにもキャンプの一員なんだという自覚が生まれている」と、住民参加の意識が高まっていることを強調した。このプロジェクトは難民キャンプ3か所で実施され2019年12月に終了したが、今後は他のキャンプにも住民参加の取り組みを広めていくことが新たな挑戦となる。
(注)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)非公認キャンプを含む。
2018年に東日本大震災の被災地で住民活動を視察。「以前は女性や障害者など立場の弱い人は、自分の意見を言う場がなかった。しかし、今はみんなが自分の考えを表現できるし、私たちはその声を聞くことができる。単なるスローガンではなく、実際にやっていることなんです」。
日本発の母子手帳はJICAの支援で世界中に広まり、母子の健康をサポートしている。パレスチナでは2008年からヨルダン川西岸地区で運用が始まり、その後、ヨルダンやシリアなど周辺国の難民キャンプにも広まっていった。パレスチナでのJICAの母子保健プロジェクト終了後も、現地の母親たちに大事に使われている。
さらに、パレスチナ難民に社会サービスを提供する国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、この母子手帳をベースにスマートフォンアプリを開発。より効果的な活用を目指して、JICAも協力を行った。乳幼児の検診、身長や体重などがアプリで記録でき、データはクラウド上に保存される。アプリは2019年5月からオールド・アスカール難民キャンプのクリニックで使われ始め、西岸地区の他のキャンプにも広まっているという。
母親たちは「母子手帳を忘れたときでも、スマホで赤ちゃんの身長や体重などを記録して、成長具合を確認できるので便利」と喜ぶ。
自身も難民で、アプリ開発を指揮したUNRWAクリニックの医師カリド・シバイエさんは「われわれの調査では難民の母親の85パーセントはスマートフォンを持っています。今後、彼女たちがどこに移ってもデータにアクセスできることはとても重要です」と語る。
パレスチナ難民キャンプでは、日本が差し伸べた手が現地の生活に合うかたちで母子たちの健康を支えている。
オールド・アスカール難民キャンプのクリニック院長。「アプリ版母子手帳には、診察の前日に予定を通知する機能もあります。診療時間がわかるので待ち時間も少なくなり、医師も効率よく質の高い対応ができます。現在は生活習慣病患者用のアプリ版手帳も開発しています」。