【JICA専門家のカリブ奮闘記(3)】イギリスと、アフリカと。バルバドスとカリブ諸国を取り巻く歴史と文化-特別な11月30日に思う-

2022年11月17日

2021年11月30日に続いて、バルバドスは2022年も11月30日に特別な日を迎えます。

一行書いたところで、何のことかと思われることでしょう。悩みに悩んで絞り出した本連載の第2信を書きあげつつも、11月30日を前にした第3信はイギリスとの関わりについて書かねばと心に決めていました。そんな中、第2信がウェブで掲載されてからすぐ、英国国王陛下エリザベス2世の崩御のニュースに触れて心底ショックを受けました。

11月30日はバルバドスにとって需要な日のひとつです。1625年にイギリスの植民地となってから、1930年代より徐々に自治や民主化した制度が認められるようになり、1966年11月30日に独立しました。しかしながら、英国色は排除できるものではありません。特に、観光サイトではバルバドスはしばしば「リトル・イングランド」と呼ばれるほど、カリブ諸国の中で英国の影響を最も受けているといわれていますが、世界遺産にも登録されている首都・ブリッジタウンの歴史地区やその中心にある国会議事堂などを見ても、英国風の街並み・建物が見て取れます。公用語はもちろん英語、綴りも英国風の綴りを使い、かつては怪鳥と呼ばれた超音速飛行機「コンコルド」がロンドンからニューヨーク、パリと並んでわざわざ飛来していたという経緯もあります。

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バルバドスの空港にはコンコルドの機体が展示されているコンコルド博物館がある(現在改修中)

観光客の多くはビーチ沿いのホテルでビーチライフを楽しみ、歴史地区などでちょっとした英国風の建物を見る程度の人たちがほとんどなのではないかと思います。一方で、居住者の多くが通る交通の大動脈のロータリーには奴隷解放記念像が建てられています。当地では1833年まで奴隷制が敷かれており、バルバドスの開発、つまりは英国風の建物や植民地経営、特にサトウキビを中心とした農業などは、アフリカから連れてこられた奴隷なくしては成し遂げられなかった仕事です。独立記念日とは別に8月の初旬には奴隷解放の日が国民の祝日として制定されており、カーニバルがこの日前後に実施されています。カーニバルは収穫を祝うものであり、総称してCrop Over(収穫祭)と当地では呼ばれますが、これと奴隷解放の祝日と重なることもまさに皮肉です。バルバドスは、カリブの中でも英国色が強いだけでなく、アフリカ系の人々の割合が極めて多いのもその特徴です。

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バルバドスの国会議事堂

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ロータリーに建つ奴隷解放像

一方で、これまで、周りの元英国領のカリブの国々と同様、バルバドスは独立をしながらも英国王室のトップを元首とする立憲君主制という体制をとってきました。しかし、バルバドスは2021年11月30日の「独立記念日」をもって、他のカリブ諸国を差し置いて、共和制に移行したのです。まだコロナ禍のピークだった昨年の11月30日の前日、オンラインで月末の職員会議が終了すると、職員はみな、「Happy Republic Day」という言葉を掛け合い、テレビでは夜通しの共和制への移管にかかる式典が放映されていました。式典には、英国からは昨年はまだ皇太子であった今のチャールズ国王が参列したほか、バルバドス出身のスーパースターの一人である、歌手のリアーナも参列、共和制の開始に伴う式典に際して、バルバドスの国民栄誉賞に相当する「ナショナルヒーロー」の称号が与えられました。

ニュースでは、今後、奴隷制の犠牲者を追悼する施設を建設していくことや、まだまだ奴隷制に対する責任追及の問題が残っていることも報じられました。本邦では「戦後責任」というカテゴリで中韓やそのほかアジア諸国との関係が語られることが多々ありますが、イギリスをはじめとする欧州と旧植民地間の奴隷制の責任問題(Reparation)は至極根深いものがあります。2000年代の初期、ちょうど私がイギリスに留学していたころは、この問題がイギリスやアフリカ間で少し沸き立ったころで、先日崩御されたエリザベス女王が「Sorry」という言葉を公にしていました。アイルランド系イギリス人の私の指導教授は、「自分だったらどんなに間違いがあったとしても過去の論文などをSorryという言葉でなおしたくないし、Sorryといった所でどのような意味があるのだろう」のを覚えています。

とはいえ、国際協力の仕事を旧英国領、且つイギリスの色が色濃く残るような当地で仕事をしていると、支援国としてイギリスの存在は非常に大きいです。イギリスがドナーになっている大きなプロジェクトもいくつか実施されています。災害支援においては周辺の英国海外領土から英国軍が展開して支援も行われます。加えて、高学歴者が周りにいるような国際組織・地域組織で仕事をしていると、多くのイギリス留学経験者に囲まれています。昨年の独立記念日での出来事を通じて、微妙なバランスの中でカリブの人たちが暮らしていることを改めて感じました。

奴隷制という過去を通じてのアフリカとのつながりは、バルバドスの料理にも見て取れます。バルバドスの「ナショナルデッシュ」のひとつとしていわれるものに、CouCou(クークー)というトウモロコシ(コーンミール)をオクラの粘り気を合わせて練った物があり、グレービーソースがたっぷりかかった肉や魚(特にトビウオ)に添えて食べます。こうした練り状のものをしっかり食べる文化が、アフリカ由来のもののひとつとされています。とはいえ、街中で見るコーンミールの粉は米国産、且つトウモロコシが豊富に売られているわけではないのに…と思いきや、当地で豊富に取られるパンの実(ブレッド・フルーツ)を利用したCouCouが屋台フードの添え物として出されているのをほどなくして見ました。

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市中で買ったオクラとコーンミール

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CouCou調理中

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パンの実

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フードトラックで出されたパンの実のCouCou

エリザベス女王の崩御を受けて、アンティグア・バーブーダやジャマイカ等ほかのカリブ諸国においても、共和制の移行を検討する動きが出るなど、本邦でも幾分かは注目されたことかと思います。一方、一足早く共和制に移行したバルバドスでは、今年から、独立記念日は「バルバドス・ナショナルデー」として改称する、つまりは1966年の独立と2021年の共和制への転換の両方を祝う日としての祝日となる旨、バルバドス政府より宣言されています。どの様なイベントになるのか、そしてどのようなCouCouを調理しようか、あれやこれやと考える2022年11月になりそうです。

(注)なお、外交団でのご経験や歴史的経緯のより深い分析から見たバルバドスの共和制への移行の意義は、初代の駐バルバドス大使でもあられる品田前大使が詳細なご説明をしているところ、ぜひご一読ください。