アフリカに魅せられて

【写真】川島 綾香(高知県)2017年度3次隊/ウガンダ/コミュニティ開発
川島 綾香(高知県)

いつの間にか憧れだった青年海外協力隊

 高校の修学旅行でJICA地球広場を訪れました。そこではアフリカの卓球隊員だった人が話をしてくれました。その数週間前に世界史の授業でソ連崩壊期の難民の映像を観て「こんな世界に住んでいる人がいるんだ」と衝撃を受けていた私。とはいえ誰かの力になるには特別な技術やスキルが必要で、自分には到底ムリと思っていました。しかし、その隊員は自分の得意な卓球をツールとしてアフリカに貢献しており、「自分の得意なことでいいんだ!だったら私にも絶対何かできる」と心の奥底に憧れを抱くようになっていました。
 これが私が協力隊を知ったきっかけです。

実際の活動

石鹸作りワークショップの様子

クラフトゾウさん作り

水汲みをする村人たち

 そして念願の協力隊。要請内容は、住民の井戸管理のお手伝いや衛生啓発活動をするというもので、私は「水の防衛隊」としてブタンバラ県庁水事務所に配属されました。「水の防衛隊」とは、2008年のTICADにおいて、日本が「アフリカでの安全な水へのアクセス向上や衛生状態の改善などに寄与する人材を派遣する」と表明したことが始まりです。任地ではODAによって1990年代に設置された井戸や、自分の前任がJICAの現地業務費を使って修理した井戸が今も動いていて、日本の援助の歴史を感じることもできました。2カ月かけてたくさんの井戸を訪問して感じたことは、本当に必要ならば住民は自分で動くということでした。複数の水源にアクセスできるコミュニティは、アクセスが悪い方の水源が壊れても修理せずに放置することが多いです。しかし、水源が限られていてそこがないと本当に困るコミュニティは、なんとかお金を捻出して直していることが多かったです。ボランティアができることは限られているので、本当に必要としている人に届くような何かをしたいと考えました。そこからは1年目に石鹸、練炭、トマトソース作りなど、思いついたことを全てやってみました。2年目はひとりではなく他隊員とも協力できるようになり、先輩隊員からチテンジ(※)を使ったクラフト製品作りプロジェクトを引き継いだり、同期隊員がはじめた井戸料金回収システム作りを一緒にしたりするようになりました。自分ではプラスチックリサイクルの仕組みを構築するなどしました。どの活動も、必要性を感じない人は離れていったし、本当に必要な人は私の存在を聞きつけて県庁まで訪ねてきてくれたり、知人の紹介で出会うことができたりしました。
 できたことも途中でできなくなったこともたくさんあって、自分の活動がどれだけ任地の人の役に立てたかどうかは分かりません。帰国した今も続けてくれていたら嬉しいけれど、必要なくなったなら無理に続けることはないと思っています。いつかそれを確認するために、またウガンダに戻りたいです。
 お腹が空いたと言えばご飯を出してくれて、私の姿が見えないと心配してくれたウガンダの友人たち。ときに世話を焼かれたくなくて居留守をしたり噓をついたりしたこともあったけど(笑)、こうした繋がりは私の宝物となりました。今でもSNSを通して連絡をとりあっています。動けば動くほどいろんなものを得られ、仲間と素晴らしい機会に巡まれて充実した2年間でした。
 このチャレンジを支えてくださった全ての関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

※チテンジ:ろうけつ染めの一枚布で、生活にある自然や景色をモチーフにしておりカラフルな色使いが特徴。

ウガンダでもらった「心の中のものさし」

配属先からの景色

首都カンパラの風景

 日本に帰国してからはウガンダと日本を比べることが面白く感じています。白ご飯を食べてもウガンダはもう少しパサパサしていたなぁとか、パック入りのお肉を見るとウガンダでは道端で量り売りしていたなぁ、私の任地はムスリムの人が多かったから豚肉は裏道で売っていたなぁとか。ウガンダでの2年間があるから、何を見ても複数の視点で考えることができて、私にとってはそれが心の豊かさに繋がっています。
 ここ数か月、豊かさとは?生きる意味とは?と頭の片隅でずっと考えています。まだ途中ですが、現時点で私にとって豊かさとは、多種多様な人やものとの繋がりを意識的に持てていること。生きる意味とは、その繋がりに対して自分の存在が役に立てること。
 だからこそ、これから自分という存在がどうまわりに貢献できるのか、模索していきたいと思っています。

人間万事塞翁が馬

ウガンダ隊主催の送別会の様子

 最後に、私は青年海外協力隊の試験に2回落ちました。3回目にやっと合格することができましたが、合格する前は両親からも「二度あることは三度ある」となるか「三度目の正直」となるか、なんて言われていました。
 もし1回目または2回目で受かっていたら、私がこの2年間で出会った最高の同期やウガンダ隊員、ウガンダの友人達には出会うことがなかったかもしれません。自分の隊員生活も全く違うものになっていたと思います。
 人生は何が起こるか本当に分からない。ウガンダで過ごした2年の間、約束が流れる理由は大体雨かお葬式でした。日本よりずっと死が身近で、自分だって明日死ぬかもしれないという当たり前のことを認識した日々でした。漠然とまだ死なない自信を持ってしまっているけれど、そんなの誰にも分かりません。
 今、新型コロナウイルスが世界中の人に影響を与えており、一時帰国を余儀なくされた隊員を想うと本当に胸が痛みます。ただ、人生の浮き沈みは予想することはできなくて、コロナがあったから生まれる出会いや物事もきっと待っているはず。そしてそれに気づけるかどうかは自分の気の持ちようにかかっている。ウガンダで出会ったあの陽気な人達のように、おおらかに前向きに、前向きになれない日もどこか楽観的に、軽やかに生きていきたい!!そう思っています。