パラオで感じた人と人とのつながり

【写真】本多 美月(愛媛県)2017年度1次隊/パラオ/陸上競技
本多 美月(愛媛県)

これだ!という思いで青年海外協力隊への応募を決める

 大学4年生の9月、陸上競技中心に学生生活を送ってきた私は、競技生活に一区切りをつけると共に、卒業したら何をしようか…と考え始めました。
 今までの自分の人生の中で、困難を乗り越え目標を達成することでポジティブな影響を受けたものはスポーツだったので、スポーツを通して世の中を明るく元気にしたい、スポーツの力を世界中に広げたい、そんなことができないかと考えていました。
 当時すでに東京オリンピック・パラリンピックが開催されることも決まっており、選手として?指導者として?運営として?ボランティアとして?どんな方法でもいいから東京オリンピックに関わりたいとも思っていました。
 そんな中、東京オリンピックパラリンピックまでに100か国以上、1000万人以上の人々にスポーツの価値を届ける、日本のスポーツ国際貢献プロジェクトであるSPORT FOR TOMORROW(以下、SFT)という活動を知りました。
 そして、小学生のころに調べ学習で海外の小学生について調べていく中で、自分とは全く違う生活をしている同い年の子どもたちがいることを知り、その子たちに何か私ができることはないのかと感じていたことを思い出しました。
 途上国で自分の特技を活かすことができる、SFTを通して東京オリンピックに関わることができる、スポーツの価値を伝えられる、という自分が興味のある3つのことに挑戦できるJICA海外協力隊に、これだ!っという思いで、応募を決めました。

 とはいっても、指導経験が全くなかったため、技術力不足と言われ1回目は不合格。大学卒業後の1年間、高校で保健体育の非常勤講師をして指導経験を積み、2度目の応募で派遣が決まりました。

自分の知識や技術を活かしたいという思いで配属先へ

世界複合遺産であるパラオのラグーン

 2017年7月。日本から真南へ約3000㎞に位置するパラオ共和国に派遣されました。配属先はパラオ陸上競技協会。ここでの活動目標は、大きく分けると3つありました。
(1)幼児から小学生に向けて陸上競技を普及する。
(2)ナショナルチームの技術力を向上させる。
(3)コミュニティを対象としたランニング、ウォーキングイベントの効率的な運営を行う。
陸上競技に関わるほぼすべてのことを担う職場で、2年間で少しでも自分の知識や技術を活かしたい、そんな思いで、パラオ人の2人の同僚と共に活動をスタートさせました。

子どもたちの嬉しそうな姿に私自身も頑張れた

ココナッツを売り遠征費を集めるための準備

ナショナルチームの選手たち

時には道具を使って体を動かす楽しさを伝えた

 世界トップクラスの肥満国と言われるパラオで、ゴールデンエイジ(※)と呼ばれる時期に身体を動かすコツや楽しさを感じてもらい、夢中になれる何かを見つけることで非行に走らないようにと考えて、小学生向けのチームを起ち上げました。週に2回、陸上競技場に来て、走り回って帰っていくだけの草の根レベルの活動でしたが、時には記録を計ってみることで、「前より記録があがったよ!」と喜ぶ子供たちの姿を見ることができました。陸上競技の醍醐味である達成感を伝え、常に子供たちに対して大切なこととして伝えていた、「他人の記録と比較するのではなく、自分の記録と比較しよう」ということを彼らが感じてくれたのではないかと思いました。
 また、ナショナルチームでの活動では、時間に遅れてくる、無断欠席をする、道具をきちんと管理しないなど、自分の今まで競技に取り組んできた姿勢とは、全く異なる様子に初めは驚きました。一方で、彼らがとても楽しそうに競技に取り組む様子から、陸上競技が好きなんだなと感じ、上達の近道である競技が好きという気持ちの大切さや私自身の競技に対する気持ちの原点を思い出させてくれました。そして2年間を通して、沢山の選手の成長する姿を見ることができ、「自己ベストが出た!」という嬉しそうな声に私自身も嬉しく、今でも強く記憶に残っています。
 パラオで人気なのは野球やバスケ・バレーのようなチームスポーツで、陸上競技に対しては辛いスポーツだと考えられていて、長く続かない人が多いパラオで、私の活動を通して陸上競技の楽しさを感じてもらえたのではないかと思います。


※ゴールデンエイジ:運動神経や感覚等の神経系統が著しく伸びる時期、12歳ごろまでと言われている

落ち込んだ瞬間と自分自身が変わるきっかけ

イベントでストレッチ指導をする様子

カラーランに参加した子ども

 一方で3つ目の活動目標『コミュニティを対象としたランニング、ウォーキングイベントの効率的な運営』ではなかなか活動がうまくいきませんでした。効率よくイベントの運営ができれば早く仕事も終わるし、現地の人にとってもいいに決まってると思い、効率よく進めるために動いていたところ、それにあまりいい顔をしない同僚がいました。最後には、「あなたがいなくても今までできていたから大丈夫!」と言われてしまい、とても落ち込みました。
 同僚は『時間はたっぷりあるのに、効率よく進めるために急いで動く必要ないよね?』と考え、私は『早く終わりたいから、効率よく早く進めたい』と考えており、考えの違う2人が、言葉の壁もある中、言い争いました。最終的にお互いの考えていることを伝え合い、認め合うことで、この活動目標に関しては、一区切りとすることにしました。
 私は今まで完璧主義的なところがある性格でしたが、この経験を通して、計画通りに進まなかったり、上手くいかないことも多い中でも臨機応変に対応し、異なる価値観を受け入れる柔軟性を持つことができるようになってきて、自分自身を変えるきっかけになったと思います。

人と人とのつながりを大切に

小学生チームのメンバーと

帰国前のお別れ会にてホストファミリーたちと

 帰国後は、出身の愛知県には戻らず、ご縁があって茨城県内で東京オリンピックのホストタウン関係の仕事に従事しました。
 そして今は、また新たなご縁があり、愛媛県今治市をホームタウンとするプロサッカークラブFC今治の運営会社株式会社今治.夢スポーツで働いています。
 家族や親せき、地域コミュニティをとても大切にし、お互いを助け合いながら生活しているパラオ人の姿から、人と人とのつながりや絆、信頼関係の大切さををすごく感じる2年間で、今治.夢スポーツの企業理念である「物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という考え方に共感し、働き始めました。
 パラオで学んだ、様々な考え方やお互いを認めること、人と人との絆やつながりを大切にすることを忘れずに“心の豊かさ”を育むための取り組みを行う今の仕事に活かしていきたいと考えています。
 そして、国境を越えて人と人とを繋げたり、相手がいるから成り立つスポーツにおいて、自分が今まで感じてきたお互いを尊重し認め合えたり、技術を高めるため自分の課題と向き合うことで成長できたりするスポーツの価値だけではなく、サッカーやスポーツを中心として、街全体が活気あふれていくことを今の仕事を通して実感していきたいです。そのためにも、自分のパラオでの経験を活かしていけたらと思います。