興味があることに挑戦

【写真】高島 駿輝(徳島)2018年度3次隊/エクアドル/野球
高島 駿輝(徳島)

海外協力隊に参加したきっかけ

エクアドルへ赴任したころ

 大学1年の時、私の所属していた硬式野球部に、海外で野球の普及振興を行っていた協力隊の方が現地の子供たちを連れてきて、2日ほど一緒に練習しました。この出来事で青年海外協力隊の存在を知りました。
 それから月日が経ち、大学4年の時に当時の監督から、青年海外協力隊を勧められました。教員採用試験を受けていた私は、新卒で教員として働くにあたって「学校という組織しか知らないのに生徒に対して進路指導や世の中で生きていくのに必要なことを教えることができるのか」という漠然とした不安がありました。そこで、1つの経験として行ってみようという気持ちが芽生え、応募しました。
 青年海外協力隊の募集には“新規”と“交替”があり、前任者のいない方が自分のやりたいことができるかなと考えていたところ、たまたま新規として募集していたエクアドルに応募しました。

現地での活動

体育の授業での野球ごっこ

地面がコンクリートの中庭

段ボールで作ったバット

大会で準優勝

西村コーチと記念撮影

 配属先がエクアドルのマナビ県スポーツ連盟だったので、主に午後に学校終わりに集まる子どもたちに野球を教えていました。日本でいうところのクラブ活動のイメージです。エクアドルでは野球という言葉は知っているけど、やったことがないという子がほとんどで、全く野球が普及していませんでした。そのため野球道具も全くなく、自分たちで新聞紙や段ボールを使ってボールやバットを作り、初心者が安全にプレーできるよう環境整備を行ないました。
 クラブ活動のない午前中は、エクアドル人の同僚と近隣の小学校に行き、体育の授業時間に野球ごっこ遊びをして野球に触れてもらう機会を作りました。

 エクアドルの学校は日本のような体育館や校庭が整備されていないため、地面がコンクリートの中庭で体育の授業をしているところが多く、私もそこで体育の授業を行いました。この授業がきっかけでクラブ活動にも来てくれるようになった子もおり、とても印象に残っています。
 また、現地人からすると日本人が学校に来たという物珍しさもあり、休み時間にはいつも大勢の子どもに囲まれ、質問攻めにあっていました。
 午後のクラブ活動では、赴任して1ヶ月後に参加した大会はボロボロに負けてしまいましたが、その5ヶ月後の大会では準優勝することができました。キャッチボールが全くできなかった子が、しっかりボールを捕って相手のグローブに投げられるようになり、バッティングではしっかり捉えて外野までボールを飛ばせるようになるなど、子供たちの成長にはとても驚かされました。

 そんな中、2020年1月に読売新聞社様主催の『世界の野球グローブ支援プロジェクト』の一環として元読売巨人軍選手で現ジャイアンツアカデミーの西村健太朗コーチがエクアドルを訪れ、子供たちに野球を指導されました。
 このイベントの一件もあり、子供たちの野球熱はさらに高まりを見せていましたが、新型コロナウイルスが流行し始めたため、2020年3月に緊急帰国となってしまいました。

青年海外協力隊での経験から学んだこと

 この経験は私の価値観を大きく変えました。日本での常識が任地や海外での常識とは限らないということを学びました。
 例えば、クラブ活動に参加したくても両親の仕事の手伝いをしなければならず参加できない子供や、そもそも経済的な問題で学校に通えずスーパーの出入り口やバスターミナルなどで物乞いしている小学校低学年の子がいました。義務教育や労働基準法がしっかり確立している日本ではあまり考えられないことです。日本の裏側では、それまでは本やテレビの中の世界だと思っていた光景が目の前に広がっていました。
 しかし彼らは、自己肯定感がとても高く、ものすごくポジティブでした。彼らの現状を受け入れ、どうやって野球を楽しんでもらうかを考えて四苦八苦した日々は私にとって間違いなく貴重な経験でした。

帰国後

現在の活動

 帰国後は目指していた教員の道ではなく、野球関係の仕事に挑戦したくなり、徳島インディゴソックスで独立リーグの球団職員という仕事をしています。仕事内容は多岐にわたります。
 スポンサー営業はもちろん、SNSや球団HP運用を含む広報全般や動画制作、グッズやイベントの企画からの実施・販売、ホームゲーム開催時には会場設営やチケット販売なども行います。いろいろな仕事をやっているので「どういう仕事をしているの?」と聞かれると一言で返せないことが最大の悩みです。
 今後は、ウィズコロナ、アフターコロナの時代に沿った球団運営を行ない、ファンから愛される球団を目指して奮闘していきます。