「海外協力隊員と共に-タジク人日本語教師として-」ベグマトワ・シャフノザ・サビルジョノブナさん vol.1

2019年12月6日

今回のインタビューでは、タジキスタンの首都ドゥシャンベ市のロシア・タジク・スラブ大学(以下「スラブ大学」という。)にて日本語教師として勤めていらっしゃるベグマトワ・シャフノザ・サビルジョノブナさんに、前回ご紹介した同スラブ大学にて日本語教育職種のシニアボランティアとして活動されている田村 阿弥隊員(末尾リンク参照)のカウンターパート側としてのお話をお伺いしました。

【画像】

協力隊員との仕事の経験について語るシャフノザさん

カウンターパートとは、JICA海外協力隊の持つ知識、技術、経験を活かし、身近に接する人々の役に立つよう活動を進めていく中で、その活動に関わる人々のことを指します。

また、タジキスタンには、日本語を教えている現地の日本語教師の情報交換や各人のさらなるスキルアップ、これから日本で学んでいく人たちへの日本語支援を目的とした”タジキスタン日本語教師会”が組織されており、シャフノザさんは同教師会の初代会長を3年間務めた経験もあり、田村隊員とともにここタジキスタンでの日本語教育の質の向上に尽力されています。

日本語との運命的な出会い

-本日はお忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます。まずはシャフノザさんの日本語学習歴について教えてください。

私が日本語の世界に入ったことは運命だと感じています。高校生のときは医者になりたかったのですが、家庭の事情で難しかったので国の奨学金プログラムを得て大学へ進学し、専攻は日本語を選択しました。日本語を選んだ理由は、今までいた世界から出て全く知らない違う世界に行ってみようと思ったからです。そして大学で5年間日本語を勉強し、2011年に卒業しました。大学で、タジク語もペルシャ語も話せる日本人の先生に出会い、私も頑張ればその先生のように複数の国の言葉が話せるようになれると思いました。私は教師になろうとは思っていなかったのですが、その日本人の先生に出会い、教師になりたいと思いました。

-日本語教師になりたいと思われたのは日本人教師の影響なのですね。日本語教師になると決めたときの、ご家族の反応はいかがでしたか。

初めは反対されていました。私はホジャンド(タジキスタン北部の地方都市)出身なのですが、ホジャンドには日本語を教える所がなかったため、ドゥシャンベへ引越すことになるからです。タジキスタンの女性は、普通、家族と離れて遠くで働くことや勉強するというのは珍しいことなので家族には心配されましたが、それでも私のやりたいことを理解してくれ、最終的には応援してくれました。

-大学を卒業してからはすぐ教師になられたのですか。

はい。教師になって1年間教えましたが、学生からの質問に答えられないことがあって、勉強しないといけないと思い、国際交流基金の研修で日本に半年間行きました。そこで、日本語の教え方などを学びました。

-日本に渡航されたときに、日本人や日本文化に影響を受けたことや、日本人とタジク人の違いなどで気づいたことはありますか。

違う世界に行きたいと思って日本語を選びましたが、実際に日本に行ったことで違う世界に来ることができたと実感しました。日本に行ったときに知った日本人の子どもの育て方が大変勉強になったので、こちらでの生活に取り入れています。日本人は、子どもが小さいころにお菓子とかジュースなどの甘いものを与えませんよね。でも、タジク人は何も考えずに与えてしまうんです。他にも、タジク人は子どもの希望を聞かずに、全部親が決めてしまいます。ですから、私は日本人の子どもの育て方を見習って、子どもの意見を聞くようにしています。また、ロシア語に翻訳された日本の絵本を子どもに読んであげることや、お弁当におにぎりを持たせたこともあります。私はイスラム教徒なので豚肉を食べられないのですが、日本では周りの人たちが、「これは魚です」とか、「豚肉は入っていません」などと教えてくれて、気にかけてくれるなど、私が想像していたよりも日本人は親切で礼儀正しいと思いました。

-私もタジキスタンに来て、タジキスタンの人たちは礼儀正しいと感じています。

そうですね。タジキスタンの人たちは「礼儀正しくしなさい」と教わるからそのようにしているという人が多いと思います。しかし、どうして親切にしなければいけないのか、礼儀正しくしなければいけないのかをわかっているのか疑問に思うときがあります。特に教師になってから学生に教えていて、学生は自分で考える力が足りないと感じています。教師が何をすべきか言わないと、新しいことを自らやろうとはしないのです。学生たちには、自ら考えて行動できるようになって欲しいと思います。

-学生さんたちには、どのようなアドバイスをされているのですか。

教科書で習うことと実際に日本人と話すことは違うので、学生にはたくさん日本人と話すようアドバイスをしています。それは、タジキスタンでは日本語を話す機会がほとんどないですし、日本人とたくさん話して聴くことがとても力になると思っているからです。

協力隊員と共に授業を運営して

-授業内容はどのように考えられているのですか。

基本的には私が考えて授業をし、授業後に田村先生からフィードバックをもらいます。授業の内容を考えていて、どうしたら学生がわかりやすい授業になるのかと迷ったときには田村先生のところに、「私はこういうことを授業に取り入れたいのですが、どうしたらうまくいきますか?」と相談しに行きます。田村先生からさまざまなアドバイスをもらって授業作りをしています。

-田村隊員や過去の協力隊員からのアドバイスで授業にどのようなことを取り入れましたか。

【画像】

田村隊員(左から二番目)と協力して学生に指導を行うシャフノザさん(右端)

私は2015年からシニアボランティアの方と一緒に仕事をし始めました。その当時も私が授業をして、シニアボランティアの方に見てもらい、授業後にフィードバックやアドバイスをもらっていました。アドバイス通りに実際にやってみて、いいなと思ったことがたくさんあります。例えば、田村先生にはパワーポイントを授業に取り入れると良いのではないか、というアドバイスをもらいました。私は週に18コマ(1コマ90分)の授業を担当しているので、その準備に多くの時間がかかっていましたが、パワーポイントは繰り返し使えますし、簡単に修正もでき、準備にあまり時間を使わないだけでなく、学生もいろいろな画像を見ることができるので授業も楽しいものとなりました。スラブ大学の日本語教師は私一人ですから、準備に時間があまりなく困っていたので田村先生のアドバイスで大きく仕事が変わりました。本当にいろいろと良い解決方法を教えてもらいました。パワーポイントの他にも、ビデオを授業に取り入れました。また、考えてみると、田村先生がいらっしゃるまでは、教科書に付属の日本語CDを学生たちにあまり聞かせていなかったなと思います。今は何回も聞かせるようにしています。

-新しい取り組みに対する学生さんたちの反応はいかがですか。

CDを聞かせたり、ビデオを見せることによって、学生たちは日本語に耳が慣れてきたように思います。以前までは、学生たちは私の話す日本語は理解できるのに、日本人の話す日本語を聞くと戸惑ってしまうということがありました。それは、日本人が話す日本語を聞く機会が少なかったからだと思います。最近はCDやビデオのおかげか、学生たちもだいぶ日本人の話す日本語に慣れてきたかなと思います。

-授業では、学生さんたちが日本語で質問する場面と、ロシア語で質問する場面がありましたが、シャフノザさんは日本語とロシア語をどのように使い分けていますか。

ここはロシア・タジク・スラブ大学なので、文法はロシア語で教えています。文法は大切なので、学生が理解できるようにロシア語でしっかりと教えています。しかし、学生たちの理解が進んできたら、日本語で教えるようにしています。学生も日本語を使う機会は学校しかないので、文法を説明するとき以外は日本語を使うように意識しています。日本語を熱心に学んでいる学生は、日本語で質問してくるのですが、やはり私がいると、ロシア語やタジク語を使って質問してくることが多いです。私がいないときには田村先生と話すために、学生たちは日本語で質問しようといろいろなところから調べてきて、言いたいことを説明するために考え、努力しています。

-タジク人の教師だけで教えるのと、日本人の隊員も一緒に教えるのとでは違いますか。

【画像】

スラブ大学日本語教室に飾られている品々

それはもちろん違います。田村先生がいると、私も学生たちも助かります。私の場合は授業前に確認したいことがあったときに、田村先生に聞いて確認することができます。学生も、田村先生の近くに行って、あまり日本語が話せなくても習ったことを使ってみようとします。例えば、“肉”という単語を習ったときには、「田村先生、肉食べますか?」と、質問しに行っていました。学生たちは、“肉”という単語を覚えたから、話したい、使ってみたいと思うんです。それで、実際に日本人教師に使ってみて通じると、「日本人と話せた!」という体験に繋がっています。他にも、学生から「相撲とは何ですか?」と質問があったとき、私がどのように答えようか考えているときに、田村先生がビデオを見せたらどうかと提案してくれて、ビデオを見せました。田村先生はさまざまな日本文化のビデオやCDを用意してくれています。このように授業中にサポートしてくださるので大変助かっています。田村先生がいてくれてありがたいと思います。

-田村隊員や過去の協力隊員と一緒に仕事をする中で、シャフノザさんご自身に変化はありましたか。

以前はやるべきことがたくさんあると焦ってしまいましたが、全てではなくてできることを少しずつこなせば良いと思えるようになりました。例えば、学校側からダンスや歌を教えるようにと言われたときは、私は新しいダンスや歌を探してこなければならないと思っていましたが、今まで指導してきた歌を再びうたうことや、学生たちに新しいダンスを探してくる課題を出すように変えました。田村先生と一緒に仕事をするようになって、私一人で抱え込むのではなくて周りの人や学生たちと協力しようという風に変わりました。

次回はタジキスタンでの日本語教育の課題や展望について、またタジキスタン日本語教師会に関しても詳しくお話をお伺いします!

プロフィール

ベグマトワ・シャフノザ・サビルジョノブナさん
タジク国立言語大学日本語学科を卒業。日本語教師歴は8年。ホジャンド出身。
現在、田村隊員の派遣先でもあるロシア・タジク・スラブ大学にて日本語教師として教鞭を取る。

聞き手
堀場 くるみ
早稲田大学 文化構想学部 文芸ジャーナリズム論系
JICAタジキスタン事務所インターン