【ボランティア通信】医療ケアの違いに向き合った日々­-ムヒンビリ国立病院でのボランティア活動

2022年2月22日

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櫻井 佐知子(大学連携派遣)
派遣期間:2019年1月~2020年3月
職種:助産師
配属先:ムヒンビリ国立病院(産科)
任地:ダルエスサラーム市
出身:千葉県

タンザニアと日本の医療ケアの違い

私が活動していたムヒンビリ国立病院はタンザニアでも最も規模が大きく、地域の病院から多くの患者がやってくる高次の医療搬送病院でした。最初の3ヶ月は外来と病棟、分娩室を回って病院を知ること、自分を知ってもらうことからスタートしました。驚きととまどい、発見が多い日々でした。病院の設備が違うのは想像していたのですが、40人以上の患者を2、3人の看護師でケアをする場合もあり、患者さんが多いと2人で1つのベッドを使用し、使いたい時に薬や医療品がないこともしばしばありました。3度の食事は家族が持ってきて、身の回りの世話は家族が行っていました。日本ではあまり見ることがない状況、痙攣や帝王切開後の創部離開(切開し縫った部分が再度開く状態)で搬送される患者さんにも驚きました。またスタッフの仕事に対する考え方も異なっていました。タンザニアでは家族やプライベートの時間を大切に、互いが尊重しあい、仕事とのバランスをうまく取っていること、チャイの時間を大事にしていたのが印象的です。病院なのに基本的にはのんびりとした穏やかな時間が流れていて、日本とは多くのことが違いました。3ヶ月を終えて、これからの活動を考えたとき、日本のケアをそのまま持ち込むのではなく、タンザニアであったものを考えようと思ったことを強く覚えています。

ボランティア活動-活動の3本柱

その後、1.5S活動(注1)、2.エビデンスに基づいた看護の提供、3.患者教育の強化、を3本の柱として活動計画を立てました。1の5S活動は先輩隊員も行っていたので、活動の導入として配属先の受け入れも良かったです。また、ちょうど病棟でJICAと協力して保健省が実施していた5S-KAIZEN(注2)地域中核病院マネジメント強化プロジェクト)も行われていたので、病棟と協働することにしました。

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産科ブロックのスタッフに対しての勉強会

また、2のエビデンスに基づいた看護の提供については、病棟目標が「帝王切開の創部離開患者の減少」だったので、それに関する知識や情報のアップデートが必要と考えて活動を始めました。タンザニアでは、看護学校卒業後の教育(病院内、院外研修含む)が充実しておらず、新しい知識や情報を得る機会が少ないため、ケアや知識のアップデートが必要でした。勉強会や教育は実施にコストがさほどかからないため自分としては活動がしやすく、終わった後にスタッフたちの間に少しでも学んだことが残ればと思って活動に組み入れました。勉強会は、現地のスタッフが新しい知識に貪欲で興味を持ってくれたこともあり、質疑応答も盛んで喜んでくれました。外科病棟とコラボして行なった勉強会で新しいケアが病棟に導入されたことは嬉しい出来事でした。

3の患者教育についてはスタッフにもっと患者さんとコニュニケーションをはかってほしい、患者の理解を深めたいという思いが強くあり取り組みました。退院指導のパンフレットを作成して、患者さんに集団教育を行うまでに長い時間がかかり、気を揉む場面もありましたが、期間内に行うことができました。一つの病棟から始めたので、産科全体に広げていきたいなと思っていたところで、新型コロナ感染症の影響で帰国となって残念ながら活動が終わることになってしまいました。

帰国後

私は大学院連携派遣という形でJICAボランティア活動を行っていました。ムヒンビリ病院で多く見られた妊産婦が痙攣を起こす妊娠高血圧症候群へのケアをテーマとした研究の準備をしていましたが、緊急帰国となり研究が中断となりました。しかし、帰国後その研究を別の形で続けながら進学し、現在も継続しています。

活動生活を思い出すと、ギラギラと輝く太陽と青い海、ダルエスサラームの喧騒、スタッフや患者さんの笑顔が目に浮かびます。スワヒリ語に苦戦したこと、患者さんと話せたときの感動、たくさんの思い出があります。本当に多くのことを経験し、学ぶことができました。変化を起こすことは容易ではなく、でも分かり合えることがあることも実感できました。タンザニアの人々やボランティア仲間との出会いがあり、多くの皆様からの支えで活動ができたことは大きな喜びであり感謝です。貴重な人生の体験となりました。将来は、この経験を含めて学んだことを次世代の助産師へと繋げられる仕事に関わっていけたらと思っています。