東京2020オリンピック・パラリンピックに出場した選手をサポート:これからも続くスポーツで未来をひらく協力

2021年9月16日

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が幕を閉じました。大会中、選手たちの戦いを熱い想いで見守っていたのが、途上国で選手たちを指導していたJICA海外協力隊員です。大会に出場した選手たちは、今回の経験を糧にさらなる成長に向け、すでに歩み始め、指導した隊員たちも、そのやりがいに加え、自分自身にとっても学びがあったと振り返ります。スポーツの普及とともに、性別、文化、宗教などさまざまな背景を持つ人々や地域をつなぐ「スポーツの力」を通じた協力を、JICAはオリンピック・パラリンピック後も、続けていきます。

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パラリンピックを終え、帰国するエルサルバドル・パラリンピック委員会会長のホルヘ・オチョアさん(中央)とダビッド・プレイテス選手(右)を見送る元隊員の髙梨俊行さん(左)

オリンピック期間中、海外協力隊員が選手に帯同してサポート

海外協力隊員として2018年から2年間マラウイに赴任し、柔道チームのコーチとして活動したのは工藤龍馬さんです。帰国後もリモートによる指導を1年半にわたり続け、今回、選手が来日し、オリンピック本番までの間、共に行動してサポートしました。

「マラウイの柔道場は決して広くはありません。練習スペースを、子どもと、ある程度の技術を持った選手の2つに分けて練習していました」と工藤さんは振り返りました

「当時、マラウイ柔道協会の柔道場で、地域の人たちに柔道の指導をしていました。そこに現れたのがハリエット・ボンフェイス選手です。オリンピックに向けた指導を求め訪ねてきました。最初は、攻撃の際に発する声の出し方から指導が必要でしたが、その1年後に出場した2019年の世界柔道選手権大会では、コーチの私を驚かすほどの試合運びを見せてくれたのです。

東京オリンピックでは、惜しくもブラジルの選手に一本背負いで負けてしまいました。試合終了後、彼女には、コロナ禍で練習を続け世界の舞台に立つことがどれだけ難しく、素晴らしいことだったかを改めて伝えました。マラウイの人たちに対する私の一番の願いは、勝ち負けという結果だけではなく、多くの学びやよろこびが得られる柔道を好きでいてほしいということ。そのためのお手伝いを今後も続けていきたいです」

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東京オリンピックの柔道会場で、柔道女子48kg級のハリエット・ボンフェイス選手(左)と工藤さん(右)

派遣国でオリンピック本番を迎えた隊員もいます。水泳のナショナルチームの指導と選手育成のため、2019年12月にラオスへ渡ったのが中谷恵梨さんです。

「私が指導してきたのは、競泳女子50m自由形のシリ・バドチャラーン選手です。彼女はこの2年間でタイムを2秒以上縮める急成長を遂げました。オリンピックまでは練習に向き合う姿勢の指導から始まり、本人に合う練習方法を模索するまさに二人三脚の道のりでした。新型コロナの感染拡大を受け、私が日本に帰国していた半年間は、リモートでの指導で、コミュニケーションの難しさも感じました。

しかし、オリンピック大会本番で、彼女は見事、自己ベストを更新。試合直後、電話で喜びを分かち合った時間は、私にとって『今までやってきたことは間違っていなかった』と思えた瞬間でした。いつも一緒に練習している選手が世界の舞台で自己ベストを叩き出したことで、他の選手たちも積極的に練習に取り組むようになり、そんな様子に多くの選手を海外の大会に送り出したいという新たな気持ちが芽生えました」

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ラオスで指導をする中谷さん(右)。2022年に日本で開催される世界水泳選手権を視野に選手の強化を続けます」と話します

パラリンピックに挑む選手から得た学びを日本で伝えていきたい

車椅子を使う子どもにラケットの使い方を指導する伊藤さん(左)

パラリンピック選手の活躍にも、海外協力隊員のサポートがありました。2017年にメキシコへ渡り、2年半の間、学生や障害のあるアスリートに卓球指導をしていたのは、伊藤有信さんです。

「私には、事故で障害を負った日本の卓球仲間がいます。彼とまた一緒に卓球がしたいという想いから、障害者への卓球指導に興味を持っていました。メキシコで、パラリンピックを目指す卓球選手の練習施設があることを知り、自ら訪ねて練習のサポートを申し出たのです。彼らの目標は世界の大舞台で勝ち上がること。練習の成果が出ずに悩み苦しむ姿も見ました。しかし、彼らは絶対に諦めません。とことん考え、工夫し、実行に移す信念の強さがありました。

パラリンピック大会本番中、一回戦でオランダの選手と戦い、0-3と思うような結果が出なかったクラウディア・ペレス選手からは、弱気のメールが送られてきました。私は、本人が持つ強みを見失わず、勝利をイメージできるよう励まし続けました。現在、地元青森の中学・高校でメキシコでの経験をお話するなか、いつも伝えているのは、何かのせいにせず、壁に向き合う姿勢です。そんな学びを日本の子どもたちに伝え続けていきたいと考えています」

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メキシコでの練習中のひとコマ。パラリンピックでは選手たちに会えなかったので、「メキシコでいつか再会するのが今の夢です」と伊藤さん(中央)

来日したエルサルバドル・パラリンピック委員会会長のオチョアさん(左)と、30年来の再会を果たした髙梨さん(右)

パラリンピックを機に、30年来の再会を果たしたのは、1996年にエルサルバドルの車いすスポーツ協会に初代隊員として派遣された髙梨俊行さんです。当時、同協会の会長だったホルヘ・オチョアさんは、今回、エルサルバドル・パラリンピック委員会会長として来日しました。

「エルサルバドルに派遣された隊員OBを中心にクラウドファンディングで資金を集め、パラリンピックに向けた陸上選手の強化合宿を2019年に日本で行うなど、隊員同志で協力しあって、エルサルバドルのパラスポーツ普及をサポートしてきました。その絆のなかで、今回、事前合宿に参加していたダビッド・プレイテス選手は、出場した陸上100mと200mでシーズンベストを更新するなど力を発揮してくれたことを本当にうれしく思います」と髙梨さんは述べます。

エルサルバドルで車いすスポーツを指導していた当時の髙梨さん(右)

「隊員たちが、エルサルバドルの障害者スポーツの発展に大きく貢献してきたことは疑いの余地はありません」と言うオチョアさん。現在、エルサルバドルでは多くの若い選手たちが2022年に南米チリで開催されるジュニアの中南米パラリンピックに向けて練習に励むなか、日本からの継続したサポートに期待を寄せます。

「スポーツ×開発」に向けた未来のカタチ

派遣当時の野﨑隊員(左)とモニカ・ムンガ選手

パラリンピック閉会式でザンビアの旗手を務めたモニカ・ムンガ選手は、アルビノ(白皮症)で視覚障害があります。アルビノは不幸を呼ぶという迷信がアフリカにあり、さまざまな偏見を受けてきましたが、陸上と出会い、パラリンピックに出場したことを機に、「今後はザンビアで障害がある人やアルビノの人たちを勇気づけていきたい」と言っています。このモニカ選手を現地で指導したのも、海外協力隊員の野﨑雅貴さんでした。

東京2020パラリンピック出場を支える海外協力隊員:ザンビアの陸上選手にトレーニング法を指導

また、コロナ禍で制限があったものの、オリンピック・パラリンピックに出場した選手たちと地方自治体の交流を図る「ホストタウン」事業でも、JICAは事前合宿の開催やオンラインでの応援といった面でさまざまなサポートをしました。

スポーツが持つ、言語や文化、社会的・経済的地位や障害の有無といった背景の違うさまざまな人々や地域をつなぐ力を通じて、スポーツの普及だけでなく、お互いを尊敬し合う気持ちを育み、多様性のある平和な社会の実現を目指す—そんなスポーツを通じた協力を、今後も国内外の関係機関や人々ともに、JICAは進めていきます。