祝!開通40周年「マタディ橋」:継承される日本の技術と橋への愛

2023.06.12

日本の協力のもとに建設され、1983年に開通したマタディ橋。コンゴ民主共和国と日本の友好のシンボルとなったこの橋は、コンゴ民主共和国の政情不安により日本の支援が途絶えた時期もコンゴ人の手で守られ続け、2023年5月に完成40周年を迎えました。日本から伝えられた「橋守り」の技術や信念は、同国で次世代を担う若手にもしっかりと受け継がれつつあります。

日本のつり橋建設の最新技術を投入してつくられたマタディ橋

アフリカ大陸中央部に位置するコンゴ民主共和国(以下コンゴ民)。世界2位の流域面積と流量を誇るコンゴ川の中・下流域に架かる唯一の橋が、アフリカ最大規模のつり橋である「マタディ橋」です。美しく整備された姿は、40年前につくられたものとは思えないほど。その背景には、コンゴ民と日本との間で育まれてきた強い絆がありました。

マタディ橋は、鉱物資源が豊富なコンゴ民の陸上輸送の要として計画されました。日本の円借款によって1979年に着工、1983年に完成した全長722メートルの橋で、大西洋の港と首都キンシャサを結ぶ幹線道路に位置しています。マタディ橋が計画された1970年代後半、日本では瀬戸大橋の建設を目指して研究開発が進められており、当時の最新技術を採用することで、設計と建設を円滑に進めることができました。

アフリカ大陸初の長大つり橋、マタディ橋。日本のつり橋建設技術の海外展開の第一歩でもあった

工事完成までにはのべ74人もの日本人専門家が派遣され、現地機関のバナナ・キンシャサ交通公団(以下OEBK)と連携しながら建設に従事。そのひとり、つり橋の専門家である辰巳正明さん(現在は株式会社オリエンタルコンサルタンツグローバルの技術顧問)は、1981年から1983年の完工まで、インハウスエンジニアとして建設に携わりました。
「余裕をもって大型機材を用意し、効率的に作業を行ったことに加え、多くの日本人専門家がコンゴ人技術者とチームを組んで協働したこと、さらにコンゴ人とび職が優秀だったこともあり、予定より14か月も早く完成させることができました」と振り返ります。

国を挙げての開通式は大いに盛り上がり、式典後は開通を喜ぶコンゴ人が渡り初めに詰めかけ、橋が揺れるほどの賑わいだったといいます。マタディ橋は、コンゴ民にとって一大国家プロジェクトであるとともに、コンゴ民と日本との友好の象徴として国民に親しまれることになりました。

開通式の式典後、マタディ橋は渡り初めをする人で溢れかえった(出所:土木学会『マタディ橋工事誌』)

現在も同国の観光名所として、週末は多くの観光客で賑わう(久野真一撮影)

激動の時期も「橋を愛するこころ」を持ち続けたコンゴ人

マタディ橋の完成後、橋の維持管理はOEBKの手に託されます。2〜3年ごとの定期点検時には日本人専門家が短期で指導に訪れていましたが、1991年のキンシャサ暴動を機に長らく政情不安が続き、日本は支援中止を余儀なくされました。現地に残されたのは、保守点検のマニュアルのみ。経験や資金の不足、紛争による人材流出など、さまざまな困難に見舞われながらも、アンドレ・マディアタ・ンデレ・ブバさんやカロンボ・ムケバ・ジョセフさんといった、建設時から携わってきたコンゴ人技術者が「橋守り」となり、維持管理を続けてきました。

時は過ぎ、長い混乱もようやく収束。2012年に日本の支援が再開し、JICAによる技術協力「マタディ橋維持管理能力向上プロジェクト」がスタートしました。このプロジェクトの中で行われたケーブル開放調査の団長として久しぶりに現地を訪れた辰巳さんは、29年という時の経過を感じさせないほど、完成時とほとんど変わらない姿に驚いたといいます。
「毎日橋に触れ、橋を大切にし、橋を好きになることで、点検しようとする意思と行動を保ってほしいーー。私たち日本人が技術とともに伝えたかった“橋を愛するこころ”が、しっかりと根づいていたのだと思うと、非常に感慨深かったです」

2012年、辰巳さんが現地調査に行った際にマディアタさん(右)、カロンボさん(左)と撮影。橋の建設時に辰巳さんのご家族が居住し、撮影当時はカロンボさんが住んでいたという宿舎をバックに

マタディ橋を愛し、コンゴ民混乱期も忍耐強く維持管理を続けたマディアタさんやカロンボさん。彼らが中心となり、OEBKが2003年から7年かけて独自にコツコツと橋梁の再塗装に取り組んだことも、橋の維持に大きく貢献しました。OEBKでは、橋の維持管理の予算を確保するために1987年から通行料を徴収しており、その積立があったからこそ再塗装費用をまかなえたといいます。

美しく管理されていたマタディ橋ですが、ケーブル開放調査では、ケーブル内部にさびが見つかるなどの課題も浮上。そこで、最新の手法を取り入れた維持管理計画の策定が行われることになりました。
「さび対策として、“ケーブル送気乾燥システム”を設置しました。世界で初めて明石海峡大橋で実用化され、現在は世界標準となっているシステムです」と辰巳さん。除湿した空気を、橋を支えるケーブル内部に送り込むことで、ケーブルの腐食を防止して耐久性を向上させます。

調査の結果をふまえJICAの無償資金協力で実施された工事は2017年に完成し、維持管理マニュアルも更新されました。完工式のパーティでは、「今後は後継者をどう育てていくかが課題。マディアタさんやカロンボさんには、若い技術者への指導を続けてほしい」と述べた辰巳さん。JICAでも、現地に日本人専門家を派遣するほか、コンゴ人技術者を定期的に日本に招いて研修を行うなど、次世代の技術者育成に向けた支援を続けています。

地上数十メートルの高さのケーブル上で作業するOEBK技術者たち。ベテラン技術者のカロンボさん(右端)が、若手に技術指導をしている。橋からマタディ港が見える(久野真一撮影)

ベテランから若手へと受け継がれる、日本とコンゴ民との絆

2023年1月、大ベテランのマディアタさんとカロンボさんがついに引退。橋守りの役目は、若手技術者へと引き継がれました。そのひとりが、ベルカディ・バハングルさん。ケーブル送気乾燥システム設置工事中の2015年にOEBKの一員となり、現在は技術課課長としてシステムの監督官を務めています。

「長年にわたり橋を大切に守り続けてきたマディアタさんやカロンボさんのことは、レジェンドとしてとても尊敬しています。今のマタディ橋があるのは彼らのおかげ。ぜひ後継者として橋の維持管理に貢献したい」とベルカディさん。

マディアタさんやカロンボさん、辰巳さん、そして橋への想いを熱く語ってくれたベルカディさん

現場で指揮を取るベルカディさん(中央)

温度や湿度などのデータを毎日計測して記録し、関連機器の管理や検査を行うなど、システムの維持には多くの作業を必要とします。最初の頃は、毎週金曜日に日本へ送った計測データを辰巳さんがチェックし、アドバイスと共に返信してくれていたそう。
「日本のトップ技術者からの温かい提言をいただいて、本当にうれしく励みになりました。私はマタディ橋を守るという仕事に誇りをもっていますし、今後もずっと守り続けていきたいと思っています」と力強く語ってくれました。

このように、40年もの長きに渡ってマタディ橋が大切に維持管理されてきたのは、日本人技術者の指導とコンゴ人技術者の不屈の精神の賜物です。近年の大きな課題は路面舗装の劣化ですが、改修に向けたJICAの協力準備調査がこの5月に完了したところです。
「実現すれば、コンゴ人と日本人が久しぶりに現場で協働することになり、両国の絆がさらに深まるのではないでしょうか」と、辰巳さんも大きな期待を寄せています。急務だという日本側の若手育成も進めていけば、二国間の友好の架け橋は末永く守り続けられていくに違いありません。

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