「JICA筑波の宝物」 

 JICA筑波(独立行政法人国際協力機構筑波センター)は筑波研究学園都市に立地。学園都市内の様々な研究所の協力を得て、各研究所が有する技術や知見を開発途上国の行政官・技術者・研究者(以下、「研修員」)に伝え、JICA筑波内にある圃場で農業・農業開発分野の研修を行っています。

 異なる時期に計3回・のべ9年間JICA筑波に勤務し、2021年7月末に勤務を終了した石上俊雄職員から、JICA筑波のスタッフに継承したい、との願いを込め、「JICA筑波の宝物」の紹介がありました。

JICA筑波の宝物とは

野菜実習棟廊下の写真

 JICA筑波の宝物 — それは、JICA筑波施設内の「野菜実習棟」の廊下に掲げられている歴代の研修員の集合写真です。
 これらは、JICA筑波が実施してきた研修「野菜コース」に参加した研修員と、担当したスタッフの集合写真です。研修員の名前と国名を添え、1枚ずつ額に入れ掲示されています。写真は全部で84枚あり、茨城の地で、JICA筑波(前身組織を含む)で野菜栽培技術を身につけた研修員が世界中にいることを表しています。

1969年の研修員たち

 これらの写真は、「野菜コース」に代表されるJICA筑波とJICA筑波の研修事業の歴史を体現しています。最も古い写真は1969年度のもの。JICAの前身組織である海外技術協力事業団(OTCA)の「内原国際農業研修センター」時代のセピア色になった写真です(内原は水戸の南方に位置)。直近の写真は2020年度、実に51年間の歴史を垣間見ることができます。

内原からつくば市に移転したセンターとその経緯

内原から筑波へ

 注目は1980年と1981年の写真です。80年までは「内原国際農業研修センター」、81年は「筑波国際農業研修センター」と名前が変わっています。国際農業研修センターが内原から現在のつくば市に移転したためです。1980年代初頭、都内の政府関連研究所が、一斉につくばに移転した動きに合わせたものでした。

 つくば研究学園都市ができる以前に、なぜ茨城県の内原に国際農業研修センターが設置されたのでしょうか? 実はこんな経緯がありました。

 内原の農業研修センターの設立は、JICAのルーツの一つでもある「アジア協会」が、1961年に「茨城国際農業研修会館」を内原に設けたことに遡ります。なぜ内原だったのかは今となっては定かではありませんが、この地には第二次世界大戦中に満蒙開拓青少年義勇軍の内原訓練所があり、義勇軍に参加する10代の若者に対して2~3か月の農業基礎訓練を実施していたことが知られています。また、戦後には、実践的な農業を学ぶための学校や、農林水産省の農業研修室が設けられるなど、農業関係の研修機関が集積していたことに関係しているのかもしれません。
 茨城国際農業研修会館は、1962年には海外技術協力事業団(OTCA)に、1974年には国際協力事業団(JICA)に、そして2003年には独立行政法人国際協力機構に引き継がれていきます。。

 このように、茨城県内原で始まった開発途上国の農業技術者のための研修が、アジア・アフリカ・中南米と世界各地の野菜作りや稲作の技術向上のため、今日まで連綿と持続していることに感慨深い想いがします。

茨城から世界にひろがる野菜栽培を学んだ研修員たちのネットワーク

 野菜実習棟の写真からは、茨城の地で、野菜栽培を共に学んだ研修員たちのネットワークが世界中に広がっていることを感じます。これらの写真は、茨城県が1960年代から農業分野の研修を国内で先進的に行ってきた、という歴史の証でもあります。また、写真を毎年撮影し、額に入れ、掲示してきた、歴代の研修担当スタッフの情熱も感じます。

 JICA筑波にいらっしゃる機会がありましたら、野菜実習棟の写真をぜひご覧ください。歴代の写真、そして写っている研修員たちは、JICA筑波の宝物です。