【JICA海外協力隊帰国報告】安本 剛史さん(茨城県日立市出身)~ガーナ・野球のナショナルチームを指導~

安本剛史さん(茨城県日立市出身)
2016年度4次隊(青年海外協力隊)・2017年3月~2019年3月派遣・ガーナ・野球

【1】自己紹介  

安本さん(任国でのラジオ出演の様子)

日立市生まれ、東海村育ちの28歳(2020年5月現在)、現在は東京都在住、繊維系商社に勤務しています。小学2年から大学4年までの15年間、野球一筋の人生でした。大学で体育教員免許を取得し、その後海外野球に興味を持ち大学院へ進学し、スポーツ人類学を専攻しました。中米・ドミニカ共和国の野球文化を研究したのち、アフリカ野球にシフト。研究をより深めたいという想いと、今しかできないチャンスだと考え、協力隊に応募しました。その後、ガーナで優秀なビジネスマン達と出会い、現在の勤務先で働くことになりました。「誰かのために生きていれば人生なんとかなる」と思って、楽しい生き方を追求しています。

【2】任国,任地の様子について 

ナショナルチーム選手の結婚式(招待されました)

カカオ豆の産地として有名なガーナは、親切で温厚な人が多く、西アフリカでは特に平和で安全な国として知られています。しかし、地域の間の格差が大きく、インフラや公共サービスも整っていません。また、黄熱病やマラリアのような感染症も多く、設備や人員が整った医療施設はすべて大きな都市にあるので、都市から離れた地域で受けられる保健医療サービスは限られています。公用語は英語ですが、現地語は約80種類もあります。宗教はキリスト教が約6割、イスラム教が約1.5割、その他伝統的アフリカ宗教となっています。握手や食事は全て右手で行うのが一般的です。携帯電話はほとんどの国民が利用している状況です。

【3】任国での活動について

ガーナ第2の都市クマシの学校の生徒たち(普及活動で訪問)

主な活動内容は「普及活動」と「ナショナルチームの強化」でした。
活動は基本的に首都のアクラのみでしたが、全国大会の開催を目標に、第2の都市であるクマシで各学校を回り、男女の先生、生徒に指導し、日本やアメリカ、カナダからの寄付で頂いた野球道具を配布しました。
ナショナルチームは約20名。日本の高校野球でいうと地区予選レベルといった感じで、パワーはあるが身体を思うように動かす能力や頭を使うプレーなどに難あり、という印象でした。帰国前の2019年3月には、東京2020大会のアフリカ予選で、ガーナ代表監督として出場させていただきました。
また、指導しているなかで、ガーナの選手1名を、初の国外選手として日本の独立リーグに入団させるよう、試みました。残念ながらビザが下りず、実現しませんでしたが、今後も支援していきたい、と思っています。
このような活動のほかに、ガーナの子どもたちを対象にした日本語勉強会、TVメディアを招いた野球大会の開催なども行いました。活動の様子を日本の経済雑誌にご紹介いただくなど、多くの方の助けを得て、成果を出すことができました。

【4】帰国後の活動について  

ナショナルチームの選手たち(東京2020大会・アフリカ予選にて)

大学院に戻り、就活生として再スタートしましたが、はじめは研究と就活に追われ、日本のスピードに追いつくのが大変でした。ガーナ滞在中にはマラリアに罹り、入院生活を経験したりしましたので、帰国後の健康管理にはとても気を遣いました。そのようななか、家族や友人など多くの人と話す機会を作り、ガーナで得たものをアウトプットするよう心掛けました。そのほか、趣味のドローン空撮や登山なども楽しみ、日本の良さを存分に味わいました。

【5】今後の抱負

西アフリカ唯一の専用野球場「KOSHIEN(甲子園) FIELD」

まずは、今の会社で必要な知識やスキルを身につけ、成果を出すことを目標にしています。その先のことはまだ考えていません。自然災害や新型コロナウイルスのように、予期せぬことが起こるのが人生なので、プランは変わっていくものと考え、キャリアは後からついてくる、という気持ちで取り組んでいます。ただ、今まで自分がやりたいことをとことんやらせていただいたので、これからは家族や友人など周りの人へ恩返しすることを軸に生活しよう、と考えています。
私は「貧困」という先入観を持ってアフリカに行きましたが、ガーナの人々からは「今の生活が幸せ」、「日本に住みたい?」との質問には「住みたくない。日本には原発や地震があって安全じゃないから。君もアフリカに住んだほうがいいよ」と言われ、価値観が大きく変わりました。
このような経験を伝える機会があれば、積極的に参加したい、と思っています。