ザンビアでのボランティア活動を振り返って

2020年9月10日

2018年度1次隊・小学校教育
チャールズルワンガ初等学校
大澤 明浩

1.はじめに

コロナ感染が世界規模で拡大している影響により、志半ばで協力隊活動を中断した隊員の皆さんや訓練や派遣の見送りとなった隊員の皆さんがいます。やり切れない気持ちとこれからへの不安な気持ちを抱いている人がいることを考えると、私も残念な気持ちになってしまいます。このような状況の中で、JICA関係者や隊員の仲間、現地の人々など、周囲の人々の支えのおかげで、私は約2年間の活動を終え、経験を得て、無事に帰国してきました。大変有難いことで恵まれているということを今強く感じています。協力隊の経験は、任地の人々のためだけでなく自分自身のためにもなり、大きく成長させてくれることを私は実感しています。そう遠くないうちに、協力隊を志す皆さんが世界各国で挑戦できる日が来ることを願っています。

2.赴任まで

田舎で育った私にとって、世界を知るには、学校に来る英語の先生やテレビ番組からに限られていました。そのようなきっかけですが、中学生のときに、海外に行ってみたい、世界のことをもっと知ってみたいと思い始めました。国際協力の舞台で仕事をしたいと担任の先生や親に相談し、JICAの説明会に参加した記憶があります。私の家族や親戚には、教育に関わる仕事をする人が多く、その人たちの助言や応援もあり、大学生のときには教育を学びました。子どもを笑顔にしたり、人の応援をしたりすることが自分にとってうれしいことだとわかりました。その頃から、教育と国際協力という2つの柱に重点を置いて、行動するようになっていきました。協力隊としての活動が双方にとって有意義なものとなるように、大学卒業直後ではなく、教師としての経験をしっかりと積んだ後に挑戦することにしていました。そのため、大学のときや教員のときには、実際にいくつかの途上国を旅して、学校や授業を見学してきたり、NGOで現地の子どもたちに日本語指導したりしながら、自分の教育や国際協力への思いを確かなものにしてきました。大学卒業後は、公立小学校で全学年の児童や外国籍児童の指導の経験を積んだり、国際理解教育や多文化共生、英語教育における経験を積んだりしてきました。初めは、協力隊後に学校現場に復帰し還元できるように、現職教員特別参加制度で応募していました。しかし、協力隊経験によって自分がどのように変容するのかは未知の世界であり、また還元の仕方は様々で協力隊経験を生かす場も多様だと考えていました。帰国後様々なことに柔軟に対応できるように、教員を退職することを決め、4度目の応募で念願叶い、ザンビアへと旅立つことができました。

3.2年間の活動

私は、小学校教育の隊員として、ザンビアの田舎にある初等学校へ赴任しました。始めの1ヶ月は全クラスの全教科の学習の様子を見学しました。そこで気づいたことに取り組もうと考えました。日本の小学校での指導経験があったことで、多くの発見がありましたが、英語で自分の思いを十分に伝えることができず、悔しい思いをしていました。この時期は、関係づくりのために、現地語も進んで勉強しました。積極的にわからない言葉や知りたい言葉を尋ねてメモ帳に書き、後で現地語、英語、日本語を裏紙に書き、壁に掲示して何度も口ずさむようにしていました。翌日には、実際に使うようにして覚えました。

赴任して2ヶ月から6ヶ月の間は、5年生の算数で個別に指導したり、体育の授業をしたりしました。自分中心の言動をとる子どもたちが多く、まとめることが大変でした。先生たちの協力を得て、効果的な授業を展開していきたい、学びで大事な子どもの興味や関心を高めることで学力向上に貢献したいと思い始めました。

9ヶ月経つ頃まで、私は算数の授業の中で個別に指導してまわる形で、できない子どもを助けてきました。教科指導以外にも、様々な体験ができる教室を開きました。子どもたちや先生たちと関係が築けてきた実感がありました。

赴任して15ヶ月頃には、算数の個別指導も、体験教室も軌道に乗ってきた感じがありました。私も子どもたちも楽しくやっているように見えましたが、子どもの学力が高まったという実感をもつことが難しく、もう少し子どもたちの学力に貢献したいと考えました。そこで、放課後に補習教室を開く形で、授業で終えられなかった問題や宿題を助けました。

赴任して1年半となる18ヶ月頃には、子どもの学習の動機づけと学校の教育活動の結びつきに焦点を当て、学校と地域のつながりやキャリア教育を考え始め、村の人たちと積極的に関わり関係を築くことに努めました。子どもたちから回収したアンケートをもとにどのような体験教室を行うかを考え、村の人をゲストとして協力してもらうことに取り組みました。自ら村の病院の看護師やマーケットにいる技術者を尋ねて、関係を築いたり、協力をお願いしたりしました。

20ヶ月が経ち残り4ヶ月、いよいよ活動のまとめの時期となりますが、コロナ感染が世界中で広がり始めたことで、急遽帰国となりました。そのため、ゲストによる講話や体験教室を実現することはできませんでした。しかしながら、こういった取り組みが可能であることを実感できました。配属先の学校の設備や村の子どもたちの家庭環境を思うと、今流行のオンラインによる関わりはそう手軽にはできませんが、帰国後は校長先生や算数の先生、村のマーケットの人とメールや電話で連絡を取り続け、つながりを絶やさないように心がけています。

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配属先学校

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算数の授業

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放課後の補習教室

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体験教室一部

4.ボランティア活動を通じて

現地で活動や生活をしながら、様々なことを意識してきました。学校面では、朝出勤すると、各教室を回って子どもたちに挨拶をしました。授業の中では、できないことを先生や友達に笑われてしまっている子どもの側に寄り添い、間違いや失敗を優しく受け止め一緒に考えたり、子どもの良い言動にポジティブな言葉をかけ認めたりしました。休み時間には、敢えて他の先生たちに私がしていることや子どもへの関わり方に興味を示してもらえるように、進んで子どもたちと一緒に遊んだり、時にはわざと子どものおもちゃになって遊ばれたりしながら、温かな関係づくりに努めました。子どもができないことを子どものせいにするのではなく、私は子どもたちに手本を示したり、同じ様な経験を積み重ねて慣れさせたりしながら、できることや任せられることを増やし、子どもに自信を持たせることに取り組んできました。

生活面では、村の人たちが私を受け入れてくれて、日本人に好感を持ってくれることにつながるように、私は相手に応じてどのように関わったら良いかを常に考えて行動していました。どうしても警戒しがちなところがあるかもしれませんが、私は積極的に相手に話をしかけ、興味を示し、親近感を持ってもらうように心がけました。タクシーで1時間弱かけて街に出れば大きな食料品店がありましたが、意識的に村のマーケットに通い、買い物がてら村の人たちとコミュニケーションをとることを心がけました。

また、活動を通してたくさんの気づきがありました。人を思いやること、優しく親切にすること、気遣うことは、日本でもザンビアでも普遍のものだとわかりました。様々な経験ができたことや先生たちにしてもらった配慮の有り難さにも改めて気づきました。

活動を振り返ると、協力隊の経験を通して、私は様々な力が身についたと感じています。配属先の温かな受け入れ体制や柔軟性により、自分のアイディアを試すことができ、主体的に考え行動する力が育まれました。教材づくりや食事の準備をするときには、無いものを買うのではなく、あるものを生かしてできないだろうかと考えるようにもなりました。首都と任地を移動するときやマーケットやショッピングモールで買い物をするときなどには、貴重品を肌に離さないようにする危機管理意識が高まりました。このように、協力隊として現地で暮らすことを通して、様々な力が伸ばしていくことができると実感しています。

5.おわりに

コロナ感染拡大のため、予定日よりも早く日本へ帰国することになりました。活動の締めくくりに予定していた活動ができなかったことや、子どもたちや先生、現地でお世話になった人たちへ感謝の気持ちを伝えることができなかったことは、仕方のないことですがとても残念です。改めて思うことは、協力隊として過ごす1日1日がかけがえのない日々であり、その時々で自分の出来る事を実施したり、伝えたい思いはその都度伝えたりすることが大切だという事です。

おかげさまで、配属先や任地の人たち、隊員や友人たちの理解と協力によって、私は様々な取り組みに挑戦することができました。活動を支えてくださったザンビア事務所の皆さんや協力隊応募時から今まで関わってくださった皆さんには、心から感謝しています。多くの人の支えがあって成立した協力隊での経験を、今後は次の新たな場所で生かすことで、恩返しをしていきたいと思います。

最後になりますが、ここでは書き切れない活動や生活についての詳しい内容について、福島県国際課のウェブサイトに全28号分の活動便りを作成し、掲載していただきました。関心を持ってみていただけたら幸いです。また、任地の人々に日本について知ってもらうこと日本人に好感を持ってもらうことをねらいとして行ったフェスティバルの様子がわかる動画を、JICAザンビア事務所のウェブサイトに掲載していただきました。同任地の隊員たちと中心となり多くの隊員の協力を得て取り組みました。ウェブページの記事の最後に、フェスティバルの様子がわかる動画のリンクを添付してありますので、是非ご覧ください。