ザンビアでのボランティア活動を振り返って

2020年11月1日

2018年度2次隊・野菜栽培
イソカ郡農業事務
江草泰介

1.はじめに

2018年9月下旬から2020年3月下旬までの約1年半、ザンビア共和国で活動した2018年度2次隊青年海外協力隊員の江草泰介です。新型コロナウイルスの影響を受け2年間の任期すべてを任地で過ごすことはできませんでしたが、ザンビアでの活動と感じた内容を皆様と共有できればと思い寄稿しました。

2.赴任まで

小学生の頃に何気なくみたテレビが私と国際協力の出会いだったように思います。肌の色が異なる人々が同じように汗を流し、喜んでいる姿をみて「いいなあ」と子どもながらに思ったことを今でも覚えています。私は俗にいうハーフで父は韓国人、母は日本人です。同じアジアの国であるにも関わらず関係が冷え込むことの多い二国間に生まれ育った私は友人やマスメディアの何気ない言葉で傷つくことが多々ありました。そのようなこともあり、異なる国の人々がともに笑顔で映っている姿はとても素敵なものに思えたのです。その日から国際協力は私の関心ごとの一つになりました。

国際協力を意識し始めたのは大学の学部選びの時期でした。大学では国際協力に関われる専門性を身に付けたいと思ったのです。そして生活の基盤は食であるという考えと高校で生物が得意だったこともあり農学部に入学、講義だけでなくサークルでは実際に畑を借りて野菜を育てるなどの経験を積み、準備をしてきました。青年海外協力隊に応募することに不安がなかったわけではありません。2年間を途上国で過ごすことで周りより遅れてしまうのではないかという漠然とした恐れや今の私が役に立てるのか、帰国後の進路はどうするのかなど様々な不安がありました。それでも何かできることがあるのなら国際協力の現場に飛び込んでみたいという気持ちが勝り、応募して通ったなら参加しようと腹をくくりました。

3.ザンビアでの活動

農業に対する考え方も環境も日本とは大きく異なるザンビアで新卒の私がどのような貢献ができるのか、その答えを常に模索していました。農業経験が私よりも遥かに豊かで、何よりもその土地をよく知る人々に対し、外国からきた私がすぐに何かアドバイスをすることは難しく、私が彼らに提供できる知識や経験を探す日々でした。そして一年目は任地での栽培が少ない野菜(ニンジン、ピーマン、メロン、ブロッコリーなど)と陸稲のNERICA(New Rice for Africa)の導入、2年目はそれらの活動に加えてトマトなど現地で広く育てられている野菜の栽培技術向上を目指した活動も始めました。現地の人にとって馴染みがなく、私のほうが知識のある野菜やNERICAの導入を1年目に行うことで農家に関心をもってもらおうと考えたのです。そして、それをきっかけに農家と交流を深めながら、どのように野菜栽培をしているのか、問題となっていることは何か、イソカ郡の年間栽培計画はどのようになっているのかを知り2年目の活動に繋げようと計画しました。

1年を農家と過ごして見えた問題の一つに泥はねがあります。ザンビアの気候は雨季と乾季に分かれており、雨季の間イソカでは毎日のように激しく雨が降ります。日本ではマルチシートを畝にかぶせて泥はねを防ぎますが、ザンビアでは一般的ではないため、雨によって泥が跳ねて植物につき、生長に悪影響を与える様子が多く見られました。そこで乾季の終わり、火入れで焼失する前に草丈の高い雑草を刈っておき雨季に野菜を植えた畝に敷くことで泥はねを軽減させる方法などを提案しました。この他にも硬く痩せた土の改善のために現地で入手できるものを使った堆肥づくりを指導したり、料理教室を開いて初めて育てた野菜の食べ方を教えたりもしました。また農家だけでなく、農村の小中学校でもNERICAを栽培しました。伝統的な栽培方法(除草もせず、肥料の与えない)とは異なる稲作を見せることで集約的な農業の方法を子ども達が知る機会を提供しました。しかし、ザンビアに着いて1年半、現地の農業について理解が深まり、新しい活動に動き始めていたころに頃にコロナの影響で緊急帰国となってしましました。そのため2度目のNERICAの収穫や地元の種苗会社と群農業事務所の共同で運営予定だったデモ圃場の開始を見ることなく帰国となってしまいました。

4.ザンビアの活動と生活を振り返って

新しく育てた野菜やコメから利益が出たと嬉しそうに話し、自発的に近隣農家に技術普及をしてくれる農家さんがいる一方で、活動が順調にいかないことも多くありました。例えば、結果を残さなくてはという焦りから自分の巡回できる人数以上の農家さんと約束をしてしまい、巡回する頻度が下がり信頼関係が希薄になってしまうことがありました。振り返れば多くの誤った選択をしていたことに気づきます。

約束を破られたり、同僚や農家と口論になったり、体調を崩したりして心身が弱っているときだけでなく活動が順調に進んでいるときでさえもふと「自分はここで何をしているのだろうか」と不安に襲われることが何度もありました。現地の友人や同僚に相談すれば私の活動を褒め、励ましてくれるのですが不安は消えません。そのようなときにバスであるザンビア人と出会いました。その方は私が日本人であることを伝えると「僕が学生のとき日本人の先生が体育を教えてくれたんだ!」と嬉しそうに思い出を話してくれました。私は話を聞きながら「私の2年間の活動は彼らにもしかしたら何の影響も与えられないのかもしれない。教えた技術や知識は私がいなくなれば忘れられ、赴任前の状態に戻るのかもしれない。それでも関わった農家が昔に日本からきた男と一緒に活動したり、ご飯を食べたりしたことを笑顔で思い出してくれることがあれば活動が例え実を結ばなかったとしても活動した意味はあるのではないか」と前向きにとらえられるようになりました。その日から一人の日本人ボランティアとして人との繋がりを大切に活動することを楽しめるようになったと思います。

残念ながら新型コロナウイルスの影響で緊急帰国となり、農家には誰一人としてお別れの言葉を伝えることはできませんでしたが、私に多くの経験と愛情を与えてくれたザンビアで出会った人々に少しでも良い思い出を共有できていればと願います。

5.終わりに

広大な青空と大地の広がりに心が躍り、貧富の格差を目の当たりにしてショックを受け、ザンビア人の屈強な肉体に驚かされ、何度も農家と食事を囲むうちに主食のシマが好きになる、そんな日々をザンビアで過ごしました。丸一日電気や水が使えず大変なこともありましたが、そのおかげで夜空の星々は見たこともない美しさで輝き、水や電気のありがたさを知ることができました。ザンビアでの暮らしは私に多くの経験と気づきを与え、任地での活動は挑戦する力や自分を律する力を養ってくれました。また周囲の人々と協力しながら課題を発見し、その本質を理解したうえで農家が主体的に問題解決に取り組むように支援することの難しさと楽しさを経験したことは私の大きな財産です。

現在、新型コロナウイルスの影響により国内待機を余儀なくされている方が大勢いらっしゃることを考えるととても悔しい気持ちになります。事態が落ち着き、皆さんがそれぞれの任地で活躍する日が早く来ることと、任地での活動を志半ばで終えられ、再赴任することなく任期を満了した方、協力隊を辞退する決心をした方々が各々の新しい一歩を踏み出されることを願っております。

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料理教室の様子

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畑までの道

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学校でのNERICA栽培の様子