PREX×JICA関西シンポジウム「世界とともに歩む」~国際協力=日本と世界をつなぐヒト・コト~基調講演(オンライン)「これからの日本の国際協力:ODA70年を経て」

2024.04.17

本日は、「『世界とともに歩む』~国際協力=日本と世界をつなぐヒト・コト~」に参加いただきありがとうございます。独立行政法人国際協力機構・JICA理事長の田中でございます。

はじめに、元日に発生した能登半島地震で犠牲になられた方へ哀悼の意を表するとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。JICAは石川県金沢市にも拠点があり、北陸地域の皆さんに海外からの研修員を受入れるなど、多くのJICA事業にご協力いただいております。そのため、今、能登半島と北陸の皆様のために、私たちにできることを考え、北陸地域の自治体や、これまでJICA事業をサポート下さった大学・企業、また海外協力隊経験者などと協力しながら、地域の復興に協力していく所存です。

能登半島地震に対し、1月末時点で約170の国・地域からお見舞い・メッセージ等が寄せられました。2011年に東日本大震災が発生した際には、191の国・地域からのお見舞いが寄せられ、発生直後には、インドやスリランカ、トルコ、イスラエル、モンゴル、ヨルダン、タイといった国々が、東北へ支援チームを送って下さいました。

さらに振り返れば、ここ関西でも1995年1月、阪神・淡路大震災がありました。現在、災害後の復興については「災害前よりも良い社会を創る復興―Build Back Better―」が国際的な合言葉になっていますが、この考え方は、阪神・淡路大震災に始まる日本の災害後復興の経験から生まれたものと言えます。

今年、政府開発援助(ODA)事業は70周年を迎えました。ODAを通じてこうした日本の経験が世界に共有され、反対に日本が災害に見舞われた時は、信頼で繋がる国々が、日本に手を差し伸べてくれています。このような世界の国々と日本をつなぐ信頼は、ODAが日本にもたらした大きな成果の一つだと言えると思います。

そもそも、日本の国際協力の歴史は、敗戦国の国際社会復帰のプロセスとして戦後賠償を行うことと並行して1954年に始まったものです。後に首相になった池田勇人は、1952年に書いた著書で「我々の技術と勤勉と節約が、単に我々のためのみではなく、同時にアジア諸国民の経済発展の基礎となるように配慮することによって、はじめて、日本経済の繁栄に永続的な基礎が与えられるだろう」(注)と書いています。相互利益を重視する姿勢がODA開始の段階から考えられていたということで、この姿勢は、今も私たちがODAを実施する際、信頼で世界を繋ぐ中で大切にしている考えです。
(注:1952年に刊行された池田勇人「均衡財政」より-下村恭民「日本型開発協力の形成」にて引用されたもの)

その後、1970年代半ばから経済大国となった日本は、世界中にインフラ等のハード支援と、人づくりのためのソフト支援の両輪を以て国際協力を拡充し、1990年代には世界で最大の2国間援助国になりました。冷戦の終結後、グローバリゼーションが進み、貧困撲滅や感染症、地球温暖化といった地球規模課題が大きくなる中、国際協力にもその解決に向けた役割が求められるようになってきました。特にここ最近では、途上国と言われる国々も様々な発展を遂げ、これまでのように「援助する側」「される側」といった枠組みを超え、様々なアクターが手を携えながら、新しい国際協力のあり方を考える時代となってきました。

そして今、これまでに経験したことのない複合的な危機のもとにあると思います。大洪水や干ばつや森林火災など気候変動の影響が目にみえる形で頻発するなか、新型コロナウイルスのパンデミックに世界は襲われました。さらにそのような自然との戦いの最中に、ロシアのウクライナ侵攻という国際秩序への挑戦が行われました。さらにウクライナ戦争は、食糧やエネルギー価格の高騰をもたらし、インフレは各国で対処しなければならない課題となり、金利上昇や為替変動の結果、多くの国で債務危機が深刻化しました。このような、自然と社会の複雑な相互作用をうみだした複合的な危機は、全人類への脅威ですが、とりわけ途上国の脆弱な人々により深刻な影響を与えつつあります。2030年を期限とする持続可能な開発目標(SDGs)のいくつものターゲットで、その実現が危ぶまれる状況が生まれています。

そして、世界が複合的危機の中にあるということは、同時に、日本人の生活も脅かされているということです。しかも、複雑に絡み合った課題は一国だけで解決できるものではありません。国際社会は協調して課題に取り組むことが必要です。危機に対応し、人間の安全保障の実現に向けた貢献を世界各地で地道に行い、様々な国々を信頼でつなぐ日本の国際協力が、いままで以上に必要とされていると思います。

昨年2023年6月、日本の国際協力の方向性を示す政策文書、「開発協力大綱」が改定されました。新大綱の最も大きな特徴の一つは、人間の安全保障をすべての国際協力に通底する指導理念であると位置づけたことです。人間の安全保障とは、人間一人ひとりの命と暮らし、尊厳を守り、恐怖や欠乏といった様々な脅威を予防し、脅威に備えるような国・社会を作り、一人ひとりの能力をのばすことで、世界中の人々が、生まれた国や場所、経済社会的状況に関係なく、人間らしく生きられるようにしよう、という考え方です。人々を中心に据えたこのような考え方は、JICAの理事長を務めた緒方貞子さんが提唱し、従来から私たちが目指してきたものですが、新大綱ではそれらを改めて、「開発協力に通底する指導理念」として位置づけ、人間中心の開発協力を、最初から最後まで徹頭徹尾貫こうというメッセージを出しているのだと受け止めています。

繰り返しになりますが、複合的危機のもとの世界で「人間の安全保障」は、一国だけ、あるいは1つの団体だけで確保できるものではありません。市民社会、企業、政府、国際機関等様々なアクターが一緒に努力することにより、その実現が近づくものです。新大綱では新たな時代の人間の安全保障の実現のために、対等なパートナーとしてのさまざまな主体との連帯や繋がりを一層強化し、国境や立場を超えて、人類に襲いかかる脅威に対応していく、「共創」と「連帯」という考え方を強調しています。私たちJICAは、本日ご参加くださっている皆さんと手を携えながら、国際協力を進めていきたいと考えています。

新開発協力大綱のもう一つの特徴として、「共創」により生み出す新たな解決策や社会的価値を日本にも環流させ、日本と開発途上国の人材育成や、日本が直面する経済・社会課題解決に繋げるとしている点があります。日本も海外から助けられる課題を多く有するとの認識のもと、一方的な援助や支援でなく、日本と途上国の双方が持続的に発展できるよう、双方向の協力が必要です。

JICAは全国15ヵ所に「JICAの顔」として大切な役割を担う国内拠点を有しておりますが関西もその一つです。JICA関西センターは、神戸を拠点に、関西2府4県の自治体、大学、民間企業、NPO/NGO、個人など、実に多様な国際協力の担い手との連携の窓口を務めています。JICAは、これら国内拠点と、世界96か所の海外拠点のネットワークを生かし、今後も「国内地域と開発途上国の結節点」としての役割を果たして参ります。

さて、このシンポジウムを視聴頂いている方は関西圏の方が多いと思います。PREXが関西の財界のご尽力で設立・運営されてきたことへの敬意も込めて、ここからは、関西と国際協力に焦点を当ててお話ししたいと思います。

この講演のメインテーマである「これからの国際協力」は、なにも急に新しいことをやるべきだという趣旨ではありません。70年のODAの歴史を振り返り、過去の強みは維持・発展させつつ、さらに新たな協力も探るという考えで設定したものです。

関西の強みといえば、慣習にとらわれず、積極的に新しい物事に取り組む性格を表す「進取の気性」がまず頭に浮かんできます。ここでは、日本が近代化した明治期から今に繋がる関西の「進取の気性」の実例に触れて、今後の国際協力を展開していく上で、関西がもつ強みをこう生かすのが有効ではないか、との考えを少し述べてみたいと思います。

「進取の気性」の第一の実例として、鈴木商店をとりあげたいと思います。明治時代から大正時代にかけて、日本一の総合商社となった鈴木商店です。鈴木商店は、鎖国から開港して間もない明治7年(1874年)に神戸で創業し、居留地の外国商館が輸入した砂糖を引き取って日本国内で販売する取引形態でビジネスを開始しました。その後、日本初の輸入石油の共同事業や、台湾に進出してクスノキの中に含まれる天然素材の樟脳の再製や薄荷(ハッカ)油の製造などの軽工業分野にも進出します。さらに明治38年(1905年)には、小林製鋼所を神戸製鋼所と改称して直営化し、当時は民間企業が取り組む事業とは考えられなかった製鉄業にも進出しました。鈴木商店は、昭和2年(1927年)に破綻しますが、神戸製鋼所をはじめとした多くの企業を生み出しており、日本の近代化過程における「進取の気性」の典型だと言えると思います。

鈴木商店が手掛けた事業は、現代でも様々な企業に受け継がれています。その一つである鈴木薄荷株式会社様とJICAはご縁をいただきました。JICAでは、2012年度から日本の民間企業の皆様の海外展開を通じて開発途上国の課題解決にも取り組むということを開始しており、鈴木薄荷様には2013年度に早速この取り組みを活用いただき、ベトナムでのハッカ栽培とその製品化、そしてベトナム農家の所得向上に貢献されました。明治期から受け継がれた「進取の気性」を表す大変良い事例です。

「進取の気性」を表す別の事例にも触れてみたいと思います。今では広く浸透した「持続可能な開発目標」(SDGs)が2015年に国連で採択されて間もない2017年12月、日本国内では初めて地域内でのSDGsの理解促進を目的とした産官学民による「関西SDGsプラットフォーム」(KSP)が設立されまし た。JICAも事務局の一翼を担っており、設立から6年が経過した今、何と2,300団体を超える規模の会員数に広がりました。このプラットフォームを通じ、SDGs達成に向けた理解促進のためのセミナーや、会員同士の連携を促進するマッチング・イベントなど、具体的な動きに繋がっています。

このように、関西の「進取の気性」は、次々と新しい課題が生じる国際協力にも通じるものがあり、関西の皆様には、今後もその強みを国際協力に発揮し続けて頂きたいと思っています。

次に、関西の強みを国際協力に生かすのに有効と考える分野、方法について触れてみたいと思います。関西が豊富な知見や経験を有する分野としては、私としてみると①防災、②水、③ものづくりの3つをあげることができるのではないかと思います。

防災に関しては言うまでもないでしょう。1995年1月17日の阪神・淡路大震災から来年で30年となります。JICAの関西の拠点である関西センター、通称JICA関西は、神戸の震災からの復興過程で整備された東部新都心にあります。ここに拠点を置くJICA関西を含めた約20の防災・人道支援に取り組む機関は、阪神・淡路大震災で得た知見や教訓を国際的にも発信し、世代を超えて伝えていくことを使命として託されています。JICA関西は、世界各国からの行政官、研究者等への防災分野での研修のほか、関西の自治体、企業、NGOの皆様とも連携した防災協力を進めています。大きな自然災害を繰り返し経験してきた日本、また阪神淡路大震災からの復興、「創造的復興(Build Back Better)」を成し遂げた地であるからこそ、防災の重要性を世界に向けて訴えることができると考えます。

なお、先にお話した鈴木商店が手掛けた神戸製鋼所の工場の一つである灘浜(なだのはま)工場は、第二次世界大戦後の復興時に世界銀行の融資を(注:日本開発銀行経由で)受けて整備されました。残念ながら灘浜工場は、阪神・淡路大震災で被災しましたが、その跡地は震災後に神戸・東部新都心として再生され、そこにJICA関西が移設されました。かつて、世界銀行の融資を受けて整備された神戸製鋼灘浜工場跡地に、日本のODAの実施機関であるJICAが拠点を設けたことに、私は「縁送り・恩送り」のようなものを感じます。

次に琵琶湖・淀川水系の水質改善を実現した水分野も、関西の大きな強みです。その技術・知見を蓄積してきた関西の自治体や企業が持つ水道の維持管理のノウハウには、都市部への人口集中が進むアフリカ諸国などの関心が高く、JICAでは、関西の自治体や企業の皆様と連携しつつ、国際協力を展開しています。

強みがある分野の3つめとして、「ものづくり」が挙げられます。関西は従来から「ものづくり」が盛んな地域でしたが、医療分野でもこの伝統は受け継がれています。JICAでは、日本で生まれた新たな「ものづくり」の成果と世界をつなぐ協力を進めています。

2025大阪・関西万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして掲げています。この「いのち」を支える技術に携わるライフサイエンス分野の企業は関西に集積しています。JICAでも、関西地域でライフサイエンスに取り組まれている企業の海外展開に関する協力を進めています。海外展開の一例として、大阪府の大同工業所様は、血液成分を適切に保管し輸送するための機材を普及させることが、相手国の課題解決に貢献し、なおかつビジネスモデルとしても定着するのはないかと、JICAの調査を活用してウズベキスタンでの展開可能性を検討されています。

最後に、関西も含めた日本の待ったなしの課題として、人材の環流・多文化共生を促す取組みについて2点触れてみたいと思います。

一つ目は、日本での介護に従事する外国人材の受入・育成です。日本では、少子高齢化を背景に労働力不足の課題が顕在化しており、政府が目標とする経済成長率を維持するためには外国人労働者の受入れが不可欠だとの認識が強くなっています。JICAで行った調査では、2030年には約419万人の外国人労働者の需要に対して63万人が不足する試算が出ており、より多くの外国人労働者に日本を就労や生活の場として選んで頂く必要があります。そうした中、JICAが関西で取り組んでいる事例の一つが、神戸での介護人材の受入・育成です。

介護人材を海外から「技能実習生」ではなく留学生として受入れ、育成してそのビザを「留学」から「特定技能」に切り替え、さらに技能を高めて「介護福祉士」としての就労に繋げる取組みを、社会福祉法人報恩会、神戸国際大学、神戸市そしてJICAの間で連携して進めています。

海外からの人材には、日本で就労し、技術を磨き、やがて帰国して日本で得た介護の知見や技術を母国に還元する、という人材の環流が期待されます。先ほどからお話ししている新しい開発協力大綱においては、「我が国と開発途上国の次世代を担う人材を育てていくことにより、我が国自身が直面する経済・社会課題解決や経済成長にもつなげることを目指す」、こういう風に記載されており、JICAはこうした事例を通じた人材育成、人材環流を進めています。

二つ目は、多文化共生のための人材育成の取組例です。JICAでは、京都府の八幡(やわた)市で、鶴見製作所という企業、自治体、NPOと連携し、企業の外国籍従業員への防災研修を行い、外国人防災リーダーの育成に協力しています。これは、基礎的な災害知識や防災知識を有していないことと言語の壁から、外国籍従業員が被災時に適切な対応をとることが困難であるという状況を解決しようとする試みです。防災士による研修を受けた人材の中から、基礎的な災害知識や防災知識を有し、発災時に地域社会とも連携しながら率先して他の外国人への安全指導ができる防災リーダーを自治体が認定し、外国籍従業員が安心して持続的に勤務・生活し続けられることを目標とする、そういう取組みです。今後、日本各地で同様のニーズが増えてくることが想定され、こうした先行事例の実績を重ねながら、日本の課題にも国際協力を通じて取り組むことが一般化していくものと私は思っています。

ODA70年の歴史の中で、JICAは一貫して開発途上国の人材育成を行ってきました。その過程で蓄積した知見や強みを、今後は国内の課題解決にも繋げ、外国人材と持続的に共存する日本社会の構築にも貢献したいと考えています。その際に、本日視聴頂いている企業、自治体、NPO、あるいは一般の個々人の方との連携、協働が不可欠です。国際協力とは、遠い国に対して特別なことをすることだけでなく、日本国内の課題も含めて多様な方々と手を携えて取り組むことである、そういう実態を、ご紹介した事例からご理解頂けたのかなと思っております。

なお、最後にご紹介した人材の環流と多文化共生に関する2つの事業は、JICAの多様な国際協力の取り組みの中でも先行事例と言っても良いものであり、歴史的にも「進取の気性」を持つ関西の方々との協働だからこそ実現できていると思っています。

ここまで、最近のODA、JICAを巡る動きについて、関西の事例を含めてご紹介申し上げました。この後に続くパネルディスカッションを通じて、本日のシンポジウムが、日本が国際協力によって世界とつながり、「世界とともに歩む」ことを知っていただき、これからの国際協力を展望する機会となることを願っております。

ご清聴ありがとうございました。

以 上 

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