Interview 16 澤井 隆彰さん(岐阜県岐阜市出身)

現在の所属先:人材育成コンサルタント・オンライン就活塾経営
青年海外協力隊 ウガンダ コミュニティ開発(2015年6月~2017年6月)

JICA海外協力隊への応募のきっかけは何でしたか?

大学4年生の時に海外に行ったのがきっかけでした。卒業旅行としてバリに行った時、日本語が上手な現地の方と友達になりました。彼は来日して日本語を勉強し、その後バリに来る日本の映画関係者の撮影のアテンドを仕事としていました。外国語を覚え自身の世界を広げている彼を尊敬しました。その翌月、カナダでボランティア活動をすることがあり、私は70人の学生を束ねる副長だったのですが、英語が全然できないために悔しい思いをしました。その悔しさやバリの友人への憧れから、広い世界に飛び出してみたいと思い応募しました。

JICA海外協力隊としての2年間は、どのような活動を行いましたか?

私が赴任したムベンデ市は首都のカンパラから車で3時間程の場所に位置しています。首都から西方へ向かう中継地点の役割を持つ中核都市でした。市の中心地は比較的繁栄しているものの、市のはずれは1日200円以下で暮らす貧しい人々も多い地域です。私の主な任務は、乳幼児の下痢による死亡率の撲滅を目的とした安全な水の供給でした。そこで私は5歳児以下の子どもを持つ親を対象にした調査を行いました。すると、赴任前から予想していた通り、下痢の発症率は非常に高いことがわかりました。しかし、ムベンデ市はアフリカでは珍しく水道が比較的普及しており、安全な水を使える家庭も非常に高いことがわかりました。ここから、下痢になる原因は水ではなく不衛生な生活環境であると考え、小学校での衛生教育や、村人の所得向上を目的とした養鶏、魚の養殖事業を展開しました。

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小学校での衛生教育の様子

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養鶏の様子 餌やりをするジョンさん

任期を終えて帰国した後、現在のお仕事を選んだ理由やそのお仕事に巡り合うまでどのような道をたどりましたか?

ウガンダの良さとして、若者のいきいきした姿が挙げられます。帰国し多くの友人と再会しましたが、ほとんどの友人は仕事に疲れ、大学時代にあったような活気を失っているように思いました。私自身も会社員となったのですが、私も仕事に追われてかつての活気を失い、精神の病を患うまでになりました。会社を辞めた後、本当にやりたいことは何かと自問した結果、ウガンダのように日本の若者にいきいきと生きてもらいたい!と思いました。そこで若者の成長のお手伝いをする仕事を独立して始めました。今は自身で大学生向けのオンライン就活塾を経営しています。「就活の時期だから」「内定を取るために」就活をするのではなく、「自身の夢や、人生で成し遂げたいことは何かを考え」「それを叶えるための手段として」就活をする若者を育成しています。また、高校の総合的な探求学習の時間の補助の仕事もさせてもらっています。正解のない問いを高校生自らつくりそれを探求する授業は、自身の人生を生きる力を育むと感じています。少しでも日本の若者がウガンダのようにいきいきと過ごせるよう、これからもそのお手伝いをしていきたいと思います。

JICA海外協力隊として過ごした2年間で経験したこと、それらの経験から学んだことで、今の仕事や人生に役立っていること影響を与えたことなどありますか?

学んだことは、決めつけることなく疑問を持つ姿勢です。赴任する前、私は「汚水を飲むことが原因で赤ちゃんは下痢になるのだろう」と思っていました。しかし、現地では水道が普及しています。何より赤ちゃんは母乳を飲むため、水を直接飲むことなどありませんでした。現場を知ろうとせず決めつけてしまう姿勢はとても危ないことだと実感し、常に疑問を持って現場の事実を大切にするようになりました。そして、その姿勢は人の心についても同様です。活動の中で出会うウガンダの方々とは、多くのすれ違いがありました。当初はそれに腹を立てていましたが、彼らの価値観を知り、寄り添う姿勢が大切であると段々気づくことができました。今の仕事では多くの若い学生と出会い、その話を聞く機会があります。その際に、彼らの価値観やその思いを持つに至った背景を知ろうと努めています。学生から「先生は決めつけることなく、最後まで聞いてくれる。先生の質問に答えることで、自分でも気づいていなかった自身の思いに気づくことができる」と評価を頂くことがありました。ウガンダでの経験が今の仕事に役立っていることを日々実感しています。

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一緒に村人の支援活動をしてくれたフィッシャー神父と

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就活塾の学生達との集合写真

JICA海外協力隊として「海外の開発途上といわれる国が抱える課題にボランティアとして取り組むこと」と、「日本の自分が育ってきた場所や住んでいる地域の課題に取り組み元気にすること」は遠いように感じる人もいらっしゃるかもしれませんが、共通する点を教えてください。

正解がわからない課題に取り組む、という共通点があると思います。多くの発展途上国には先進国の支援やボランティアが入っていますが、先進国のコピーをしただけではうまくいきません。そこに住む人や紡いできた歴史、価値観が異なるからです。現地の価値観と海外からの視点、双方を持ち寄り起きる化学反応がうまくいった時に、少しの成功が訪れるのだと思います。しかし、その化学反応の起こし方に正解はなく、現場の方々は日々試行錯誤を繰り返しています。日本は課題先進国と呼ばれ、世界でも比類なき少子高齢化が進んでいます。地域の課題のほとんどが、これを原因としているものでしょう。人類が誰も経験したことのない、誰も正解を知らない課題をどう解決していくのかが、現代の日本人には求めてられていると私は思います。その状況に嘆くだけではなく、「どうしたら少しでもよりよい社会になるか」を懸命に試行錯誤する姿勢を、私はウガンダで学ぶことができました。そして、その試行錯誤は苦しいだけではなく、ワクワクする瞬間があることも私は知っています。私はそのワクワクを持って少しでも社会をよりよくする一助になれるよう努めていきたいと思います。

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村人と一緒に掘った魚の養殖池の前で