Interview 19 小倉 大志さん(三重県津市出身)

現在の所属先:なごや地球ひろば
青年海外協力隊 ヨルダン 障害児・者支援(2018年9月~2020年8月)

JICA海外協力隊への応募のきっかけは何でしたか?

23歳の時、アメリカ人の友人が暮らすロサンゼルスを一人で訪ね、異文化を知ることの素晴らしさに感激を受けたのが始まりです。それから漠然と海外に住んでみたい、様々な文化や人と関わりたいと思うようになっていました。海外に行く方法を探す中で、知人からJICA海外協力隊の話を聞いて、「開発途上国って今しかみることができないかもしれない」「日本での経験や知識を活かせることがあるかもしれない」と思い、気づいたときには応募していました。

JICA海外協力隊としての2年間は、どのような活動を行いましたか?

私は2018年9月から中東のヨルダンで活動していました。ヨルダンは近隣の国々からたくさんの戦争難民を受け入れている国で、人口の約7割がパレスチナ難民といわれています。多くの難民が暮らすそんなヨルダンには障害者を支援するための団体や制度が整っていないことが課題でした。私の主な活動内容は知的障害者支援団体で、成人された障害者の社会参加を目指すものでした。障害者の方たちが就職し、自らの力で給料を受け取ることができるよう、機能訓練を実施したり、企業との橋渡しをしたりすることで長く同じところで勤めるためのサポートを行いました。また、ヨルダン国内で活動する他の協力隊員たちと連携して、児童養護施設で日本文化を紹介するイベントを開催したり、金銭的な理由で学校に通えない難民キャンプで暮らす人たちのために、ヨルダン在留の日本人から寄付を募ったりして奨学基金の活動にも力を注いでいました。

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難民キャンプの学生に奨学金の支援

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ホテルで働く障害者を支援

任期を終えて帰国した後、現在のお仕事を選んだ理由やそのお仕事に巡り合うまでどのような道をたどりましたか?

私は、新型コロナウイルス感染症の拡大により、任期途中で緊急帰国を余儀なくされました。突然にヨルダンを離れることとなり、活動自体も中途半端な状態で終了を迎えてしまい帰国後も不完全燃焼な気持ちがずっと残っていました。当初は、任期終了後にもともと携わっていた福祉や医療の分野に戻るつもりでいましたが、ヨルダンで出会った人たちに直接感謝の気持ちも伝えられず、彼らとのつながりをこのようなかたちで終わらせたくないという想いから、国際協力の分野で仕事を続けることを選択しました。私が現在働く「なごや地球ひろば」では、地域の学校や市民の方々に来訪していただき、世界のことや国際協力のことについて伝えています。ここで、ヨルダンで経験したことや感じたことを伝えることによって、世界を身近に感じてもらったり、ヨルダンという国を知ってもらったりすることで、少しでも国際協力に関心をもつ人が増える一助となるよう励んでいます。

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ひろばスタッフでの1枚(右端が小倉さん)

JICA海外協力隊として過ごした2年間で経験したこと、それらの経験から学んだことで、今の仕事や人生に役立っていること影響を与えたことなどありますか?

経験したこと、学んだことはここに書ききれないぐらいたくさんありますが、その中でも特に感じるのは世界のことを自分事として考えられるようになったことです。協力隊に参加するまでは、ニュースや新聞でみることを、どこかの遠い国の知らない人たちの問題と思っていましたし、中東地域と聞くと「紛争」や「テロ」など危険なイメージが先行していました。しかし、ヨルダンで暮らす人たちに親切にしてもらったり、歴史や文化、想いに触れたりすることで危険なイメージを持っていた自分が恥ずかしく思うほど偏見を持っていたことに気づきました。そんな経験から、知ることで見える世界は大きく変わり、知らないままで終わることがもったいないと思い、いろんなことに興味の幅を広げるようにしています。今の仕事でも、来館者に世界へ目を向けていただくため、知ることからはじめていくことの大切さを伝えていきたいと思っています。

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近所の小学校にて

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なごや地球ひろば イベントの様子

JICA海外協力隊として「海外の開発途上といわれる国が抱える課題にボランティアとして取り組むこと」と、「日本の自分が育ってきた場所や住んでいる地域の課題に取り組み元気にすること」は遠いように感じる人もいらっしゃるかもしれませんが、共通する点を教えてください。

ヨルダンで活動している中で、日本の知識や技術で課題を解決しようと、伝えることや教えることに注力してしまい、どこか上から目線になっていることに気づきました。活動の成果をあげることばかり考えて自分の意見を押し付けていたのかもしれません。異なる環境や文化、考えを尊重し、ともに解決策を共有していくことが解決の糸口になるのでは?と考えるようになってから活動の方針を大きく変えました。次第に同僚も私の考えを認めてくれるようになり、活動が軌道に乗っていったことを思い出します。現在は、外国人居住者の多い中部地域で異文化理解や多文化共生を進めるため、「なごや地球ひろば」の来館者だけでなく、地域の学校やセミナーに出向き、外国人として海外で生活した体験を伝えています。異なる価値観をお互いに認め合い、同じ目線になってともに解決していく姿勢はどちらにも共通する大切なことだと思います。

私は、社会人になってから海外に興味をもち、これまでに好きで続けてきたことや興味があって深めてきたものが国際協力につながりました。みなさんも得意なことや続けられることを伸ばしていってください。それがいつか世界を変える力になっていくと思います。

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幼稚園のお遊戯会

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児童養護施設で日本文化を伝えるイベントを開催