【実施報告】2020年度JICA中国 開発教育教員研修アドバンスコース フィールドワーク(広島県・岡山県)

2020年10月12日

ホロコーストを生徒から学び、考える

盈進中学高等学校「ヒューマンライツ部」による絵本の朗読

ヒューマンライツ部員が作成した資料もいただきました

 9月26日(土)に、2020年度JICA中国 開発教育教員研修アドバンスコースの2回目を実施しました。
参加されたのは、過去にJICA教師海外研修へ参加したことのある広島県内の5名の教員の皆さん。
1回目はオンラインでの顔合わせとなったため、対面で会うのはこの日が初めてでしたが、すぐに打ち解けて普段の授業のことや学校の様子を語り合っていました。
そんな良い空気感で初めに向かったのは広島県福山市にあるホロコースト記念館。
館長である大塚信さんがアンネ・フランクさんの父親であるオットー・フランクさんに出会ったのを機に、ホロコーストに関する多くの史料を世界中から譲り受け、1995年に記念館を開館。これまで18万人以上が来館しています。
当日は広島県福山市にある盈進中学高等学校の「ヒューマンライツ部」の生徒による説明を受けながら館内を見学しました。
ヒューマンライツ部の皆さんが館内案内をするのは、コロナ禍の今年度では初めてとのことで、緊張しながらも丁寧に説明をしてくれました。
部員の皆さんによる説明に加え、当時の様子をうかがい知ることができる資料の数々を、先生方は時間の許す限り熱心に眺め、質問を繰り返していました。
大塚館長やヒューマンライツ部の皆さんが語る「平和を祈るだけでなく、平和を創るために行動してほしい。私たちも行動していきたい」という言葉から、私たち自身の使命にも気づかされました。
そして、ヒューマンライツ部で活動する中高生をはじめとする若い世代の存在は、未来への希望でもあると強く感じました。

長島愛生園でハンセン病患者が過ごしてきた日々を辿る

愛生園に到着した患者が最初に過ごした建物の内部は当時のままでした

 ホロコースト記念館の次に向かったのは岡山県瀬戸内市にある長島愛生園。
ハンセン病患者を隔離するための施設として誕生した当園は、現在、ハンセン病の後遺症による身体的な障害がある方が生活する場として、また、ハンセン病のことやハンセン病患者が受けてきた差別について多くの人に知ってもらうための場として大きな役割を果たしています。
学芸員の田村さんによる解説を受けて、展示資料を見学した後は島内にある建物や慰霊碑を巡りました。島内に残存する施設は当時のままの姿を保ち、来園者に無言で多くのことを語りかけます。
「広島や長崎が羨ましい。被害を語り継ぐ2世、3世や語り部がたくさんいる。私たちにはそのような人材がほとんどいない」。
ハンセン病患者として長島愛生園で過ごした語り部の方のそのような言葉を聞くと、当時の政策や現在の私たち自身の関わり方を問い直さずにはいられません。
身近な場所で実際に起きていたこと、世界の問題や開発途上国の課題には関心を持ってきたのに、自分が暮らす中国地方での悲しい歴史を今まで知らなかったこと。
短い時間の滞在でしたが、先生方はこれまでのこと、そしてこれからの自身の取組みや活動について、真剣に考えていました。

ホロコーストとハンセン病、共通点はどこにある?

感想を共有し、ホロコーストとハンセン病の共通点、相違点を整理

 ホロコースト記念館と長島愛生園の見学終了後、一日の振り返りと今後に向けての話し合いを行いました。
先生方からは「もっと知りたい」「自分がそれほど関わっていない内容について、たくさん語ってくれる人がいるありがたさを感じた」「実際に現場に来ることの大切さを改めて感じた」などの声が聞かれました。
感想を共有した後は2グループに分かれて、今日学んだ課題の共通点を整理しました。
ユダヤ人もハンセン病患者もずっと前からいた存在なのに、当時の政策で存在をクローズアップされ、一定地域に収容され、自身のアイデンティティである名前を奪われる・・・。
共通点を整理していく中で、現在のコロナ禍で見られる動きの中には、かつてのホロコーストやハンセン病患者の隔離措置と通じることがあるのではないか、という意見も出ました。
多文化共生を学ぶための本研修に参加している自分たち自身にも、差別心の萌芽は確実に存在する、そのことに自覚的である必要性を最後に認識しました。
本研修の学びを子どもや他の多くの教員に還元できるように、今後の研修プログラムにおいても、「実際に現地を訪れ、多くの方の声を聞く」ことを大切にしていきたいと思います。

                                   報告:広島県国際協力推進員 羽立大介