長期研修員(エリトリア国)インタビュー

2020年10月30日

アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブプログラム(2018)で島根大学総合理工学研究科に9月末まで2年間在籍されていたGIRMAY Iyassu Mekonnenさんに日本での生活を振り返っていただきながら、母国について教えていただきました。

ご自身について教えてください。

名前:Mr. GIRMAY Iyassu Mekonnen
国籍:エリトリア国
大学:島根大学 総合理工学研究科
日本滞在期間:2年

2005年に地球科学の学士号を取得して以来、エリトリアのエネルギー鉱山省に配属され、政府や外国の国際企業などで探査地質学者として働いていました。
2018年後半、JICAのプログラムに参加する機会を得ました。

日本は効率的な産業・先端技術が発展した国であり、トップクラスの大学があります。
また、環境問題と持続可能な開発目標において主導的役割を果たしていることも知られています。
私は日本の大学への留学から多くの恩恵を受けることができると強く信じて、島根大学で環境地質学を専攻し、2020年9月25日に修士号を取得しました。

エリトリア国について教えてください。

Zara鉱床

Injera(インジェラ)

私は東アフリカにあるエリトリア出身です。西はスーダン、南はエチオピア、南東はジブチ、東は紅海に囲まれており、西側諸国・アジア・アフリカ間の貿易ルートです。
30年間の独立戦争後、1991年に独立した若い国です。

面積は、124,000平方キロメートル、海岸線1200km、350の島々があり、汚染されていない海には多くの海洋生物が生息しています。
地形的には、紅海沿岸の東部低地、中央高地、海抜120mから2500mの西部低地で構成されています。
降雨量は不安定で、低地では年間平均が400mm未満であるのに対し、高地では500mm~1000mmです。
低地では雨不足により干ばつが問題になりますが、その他の自然災害はありません。

エリトリアの人口は約500万人に達し、9つの異なる言語を持つ9つの民族が含まれていますが、アラビア語や英語がビジネスや教育の場で使用されています。
キリスト教とイスラム教の2つの主要な宗教があり、割合はおよそ半々だと思います。
宗教・宗派の違いで争うことはなく、お互いの祝日を祝い、見事に調和・共生しており、この点をとても誇りに感じています。
エリトリア人は働き者で、人を信じること、助け合い、支えあって生活することを大事にしています。


(エリトリア国の主な産業は何ですか?)
金、銅、亜鉛などの鉱物です。低地は乾燥しているため農業には適していません。
写真はエリトリアのZara鉱床です。
以前、働いていた場所でもあり、島根大学での研究・調査活動のために一時帰国した際にも訪れた場所です。
鉱物に関しては、探鉱段階にあるいくつかの実証済みの鉱床があり、さらに広大な未探鉱の有望なエリアがあります。

私はデバルワで生まれ育ちました。
デバルワは首都のアスマラから南約30kmに位置し、古都であり、銅が産出されることで知られています。
デバルワと、日本の鉱業会社との関係について少しだけご紹介させていただくと、デバルワでは、1970年代半ばにイタリアの次に、日本の鉱業企業によって近代的な鉱業が設立されました。
この日本とエリトリアの関係は、私が日本に留学したいと思ったきっかけにもなっています。


(エリトリア国の伝統的な料理を教えてください。)
Injera(インジェラ)という写真のような柔らかいクレープのような生地にカレーをつけて食べます。写真にはマトン(羊肉)料理が乗っています。

日本での暮らしはいかがでしたか?

皇居

宮島の弥山

日本では、島根県松江市でほとんどを過ごしました。
穏やかで平和で美しく歴史的な場所でした。
特に、宍道湖には、リラックスするため夕日を眺めによく行きました。島根大学は、研究室が充実していて、地質学を勉強するには最適な場所でした。

また、大学では協力的で知識が豊富で、やる気を起こさせてくれる素晴らしい先生にも出会うことができました。
日本の大学に入学するための選考を通過できた時、非常に嬉しかったですし、日本に居られることにとても幸せを感じていました。
日本では日本企業や世界各国からきた留学生、日本人学生とのつながりを築くことができました。
歴史的な場所を訪れて、学ぶことが好きなので、東京、広島、愛知を訪れたり、日本人の友達と一緒に鳥取県の境港、島根県の石見銀山・たたら製鉄などを訪れたりして楽しみました。


(カルチャーショックは受けませんでしたが?)
来日前から、エリトリアで日本のニュース番組を観ていましたし、滞在中は日本人の友人とほとんどを過ごしていたので、日本の生活に慣れるのに時間はさほど時間はかかりませんでした。
日本に来てしばらくの間、箸の使い方に苦労したくらいです。

好きな日本食を教えてください。

松江博物館

いろいろな日本食を試しましたが、魚のフライや蟹などの魚介類がとても美味しかったです。
日本に来て、人生で初めて蟹を食べました。
母国にも蟹はありますが、サソリのように見えてしまい、食べたことがありませんでした。
しかし、鳥取県の境港を訪れたときに食べた蟹がとても美味しくて驚きました。
他は、母国でもカレーを食べるからでしょうね、日本のカレーライスは好みの料理でした。

日本で印象に残っていることがありますか。

島根半島

最も印象的だったのは、JICA東京での日本の歴史についての講義です。
その講義では、日本が直面した困難と、その後の発展について学びました。
講義資料には“Japan rises from Ashes”と書いてあったのですが、これは私にとって非常に大きなメッセージでした。
方法やタイミングは違いますが、私の母国にも同じような歴史があります。
この講義は、主に技術的な点において、日本の達しているレベルに辿り着くために、私たちが今後どのように努力しなければならないかということが分かる、非常に前向きで励みになる内容でした。

日本の皆様にメッセージをお願いします。

島根大学にて

島根大学の教授や友人をはじめとする、愛情深く思いやりのある日本の皆様にさよならを言うのは非常に辛いです。
そこで私は、敬意を表して、「だんだん」と言いたいです。
「だんだん」は島根の方言で「ありがとう」という意味です。日本人の友人との間で使っていた方言であり、私の好きな日本語です。

帰国後は、日本とエリトリア国間の鉱業・エネルギー・環境の分野におけるビジネス関係を最高レベルに引き上げるために全力を尽くします。
最後になりましたが、JICAとJICEの関係者の皆様にも感謝申し上げます。