「萩ツアー」(地域理解プログラム「日本の近代化・産業革命遺産を学ぶ」)

6月26日(日)山口大学に留学中の研修員8カ国(バングラデシュ、エリトリア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ネパール、ソマリア、トンガ)17名が、山口県萩市にて日帰りのスタディーツアーを行いました。宇部市の常盤キャンパスで学ぶ5名は、9時30分に新山口駅集合、山口の吉田キャンパスで学ぶ12名は10時に吉田キャンパスに集合。COVID-19対策の検温後、バスに乗車しました。

2022年6月29日

萩・明倫学舎

バスで萩・明倫学舎に到着

2015年世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」は8県11市の広域に点在する23資産で構成されていますが、内、5つの構成資産が萩に存在しています。
今回のツアーは、研修員が日本の近代化・産業革命遺産に触れることで、日本の近代化に関する知識を増やし、各々の専門分野の理解についても、深化を図ってもらう事を目的として実施しました。
最初に萩・明倫学舎内にある「世界遺産ビジターセンター」を訪ね、これから訪問する各施設の位置づけや概要を把握しました。

「恵美須ヶ鼻造船所跡」

恵美須ヶ鼻造船所跡

昼食をはさみ、一行は、世界遺産の一つである「恵美須ヶ鼻造船所跡」に向かいました。ここからは(一社)萩市観光協会の専属ガイドの平野様にガイドをお願いしました。説明は「ガイドレシーバー」を使い、日本語から英語の通訳を介して行われました。
「恵美須ヶ鼻造船所跡」は幕末に萩藩が西洋式帆船を建造した施設の跡で、現在も当時の規模のままの石造堤防が残っています。造船所や船の建造にあたっては、ロシアやオランダの技術を移入し、全長25メートルの「丙辰丸(へいしんまる)」と全長43メートルの「庚申丸(こうしんまる)」という2隻の西洋式軍艦が建造されました。
参加した研修員からは「造られた船が見たい」「今、船はどこにあるのか」との声があがりましたが、この2隻は幕末の戊辰戦争でも使われたものの、破損もあり、現存はしていないとのことでした。

「萩反射炉」

萩反射炉で記念撮影

次は「萩反射炉」の見学です。反射炉とは、西洋で開発された金属溶解炉です。江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために、鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みました。
現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。一時期、試験的に操業され金属の溶解実験が行われたとの記録が残っており、萩反射炉は試作的に築造されたと物だと考えられているようです。日本が西洋の科学技術に追い付こうと、試行錯誤していた事を象徴する遺構です。
実はこの反射炉の建設が始まる時点で、既に佐賀藩は反射炉を完成させており、萩藩は佐賀藩から情報を得ようと試みたものの、何度も依頼した結果、佐賀藩が認めたのは、外観のスケッチだけであったとの事でした。研修員は幕末における日本の各藩の微妙な関係性を知りました。

「松下村塾」

松下村塾をのぞき込む研修員

「松下村塾」は、長州藩校明倫館の師範を務めた吉田松陰が講義を行った私塾です。木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの建物ですが、塾生の中からは、後に総理大臣を務める、伊藤博文、山縣有朋など、産業化に貢献する人材を多数輩出しました。
松陰は身分や階級にとらわれず志ある人材を塾生として受け入れ、自身が書物を通じて学んだ、世界の地理、歴史や工業技術の重要性等について、塾生に説いて聞かせたとのこと。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあり、当時の様子を思い起こさせます。
マレーシアの研修員、ミラハ・ダハリさんは、「多くの才能ある人材を明治維新に駆り立てた、吉田松陰先生のストーリーが好きです。」と話してくれました。身分にとらわれず志ある人材を塾生として受け入れた松陰先生の先見性に心を動かされたようでした。

「萩城下町」

萩城下町散策

「萩城下町」も世界遺産の一つとして登録されています。萩は地理的に朝鮮半島と距離が近く、江戸時代には海運の要衝でした。旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、商家をはじめ、中級の武家屋敷や医者の家などが軒を点在していました。現在でも町筋はそのままに残り、階層化された当時の封建社会の面影をとどめています。
当日は時間の関係もあり、建物は外観のみの見学でしたが、研修員達は江戸時代末期の人々の生活を想像しながら、白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みを散策し、昔の日本への束の間のタイムスリップ楽しみました。

スタディーツアーを終えて

今回のツアーで見学した遺産は1850年代の物が中心でした。その後、1867年には大政奉還があり、その翌年の1868年には、元号が「明治」と改められます。萩は「日本近代化の原点」といえる場所であり、残されている産業遺産からは、当時の人々の試行錯誤と情熱の跡が感じ取れました。
また、ツアーを通して、幕末から明治にかけての日本の発展の背景には、海外からの先進技術の導入に加え、海外視察や留学から帰国した人材の多方面での活躍があったことを知ることができました。現在、日本に留学中である研修員達も大きな刺激を受けたと考えます。
最後になりましたが、お世話になりました「萩・明倫学舎」、(一社)萩市観光協会の皆様にあらためて御礼申し上げます。