【JICA海外協力隊インタビュー】吉川浩史さん(フィリピン/きのこ栽培/1966年3次隊)高知県とフィリピン・ベンゲット州を結ぶ人生の物語~前編~
2026.03.30
本記事は、二部構成でお届けします。今回は前編となります。
青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)の活動をきっかけに、半世紀以上にわたり高知県とフィリピン・ベンゲット州を結ぶ架け橋となってきた人物がいる。高知県須崎市在住の吉川浩史(よしかわ ひろふみ)さんである。1967年、きのこ栽培の青年海外協力隊としてフィリピン・ベンゲット州に派遣された吉川さんは、帰国後も両地域の交流を支える中心的役割を果たしてきた。2025年、吉川さんの後押しを受けて締結した高知県とフィリピン・ベンゲット州の姉妹県州協定は50周年を迎えた。幼少期から青年海外協力隊時代、そして帰国後の活動に至るまで、吉川さんが歩んできた道をたどる。
吉川浩史さん(フィリピン/きのこ栽培/1966年3次隊)
青年海外協力隊としてフィリピン・ベンゲット州で活動後、海外技術協力事業団(現在のJICA)に就職。退職後には高知県須崎市長も務めた経験も持つ。その後、ベンゲット州を含む海外から農業研修員の受け入れを行う、くろしお農業振興協同組合を設立。現在は、高知県ベンゲット州姉妹交流推進会議会長を長年にわたり務めたほか、高知県協力隊を育てる会会長としても国際交流に尽力されている。
フィリピン共和国北部ルソン島の山岳地帯に位置するベンゲット州。首都マニラから約250㎞で13の町から構成されている。州内に位置するバギオ市は、ルソン島北部最大の都市で避暑地としても有名。高地特有の涼しい気候による農業、とくに野菜生産が盛んな地域として知られている。
位置:フィリピン北部ルソン島内部の山岳地帯。首都マニラから約250㎞離れている。
人口:460,683人(2020年)
州都:ラ・トリニダッド
産業:農業が盛んで、マニラ首都圏への野菜供給州としての地位を確立している。木材を産出し、金や銅など地下資源にも恵まれており、他には、手細工、木彫り、家具作りといった産業がある。
高知県の小さな地主の長男として1944年3月に生を得た。幼い頃、特に心を奪われたのは漫画などではなく地図だった。ページいっぱいに広がる世界を眺めながら、「高知の対岸にはアメリカ大陸がある」——そんな想像を巡らせていた。幼いながらも海の向こうを強く意識し、次第にそのまなざしは“海外”へと向かっていった。地図の向こうに広がる未知への憧れは、“海外移住”という夢となり、その後の人生を形づくる原点となったのである。
小学校高学年の頃から自分で学費を稼ぎたいと考えるようになり、中学2年生のとき、父親の本棚で偶然見つけた椎茸栽培の本をきっかけに椎茸づくりを始めた。高校2年生の時には、ついに初めての収穫を迎える。当時の様子について吉川さんはこう振り返る。
「収穫した椎茸を入れた木箱と鞄を抱えて朝一番の汽車に乗り、市場に椎茸を出荷していました。そのまま学校へ登校し、授業後に市場へ戻って売上金を受け取ってから帰宅していました。楽しかったですよ。他にそんな生徒はいませんでしたけどね。」
大きな転機は、書店で手に取った『海外拓殖秘史』という一冊の本だった。その本の著者こそ、後に人生の師となる東京農業大学の杉野忠夫教授だった。この先生のもとで学ぶ以外に大学の選択肢はないと信じ、高校3年になると手紙でのやり取りが始まった。東京農業大学に進学後は、1年間の農家への住み込み、空手部、海外移住研究部など学業以外にも積極的に取り組んだ。卒業論文では日本にマッシュルームが導入された背景を調べるため、全国を回りながら調査した。
大学卒業後は、沖縄で椎茸栽培の調査を依頼され報告書を作っていた。調査を終え、母校である東京農業大学の教授を訪ねたところ、思いがけない話があった。「海外技術協力事業団(現在のJICA)の青年海外協力隊事務局から、フィリピンできのこ栽培の募集が来ているが応募しないか」と声を掛けられたのだ。
1967年3月、きのこ栽培の青年海外協力隊員として、フィリピン・ベンゲット州に赴任した。ベンゲット州は標高が高く、「フィリピンのサラダボウル」と呼ばれるほど温帯野菜の生産が盛んな地域だ。一方で、野菜畑の拡大に伴い山肌の木々が伐採され、土壌が流失しやすい環境になっていた。椎茸栽培には欠かせない原木が不足しており、吉川さんは早い段階で現実を見極める。そこで目を向けたのがマッシュルームである。マッシュルームであれば、原木を必要とせず、稲わらを使った菌床による栽培が可能だった。さらに、収穫後に役目を終えた菌床は廃棄せず、そのまま堆肥として野菜畑に還元することができる。当時を振り返って、吉川さんはこう語る。
「青年海外協力隊の活動は全て楽しかったです。最初から何でもスムーズにいくとは思っていなかったし、苦しいとも感じませんでした。私にとって青年海外協力隊での経験は、今につながる原点そのものです。あの場所に行かなければ、今につながる大切な学びや人とのつながりは生まれていなかった。」
青年海外協力隊での経験が、その後の歩みを大きく形づくる原点となった。ベンゲット州での活動は、吉川さんにとっても、そして受け入れ先にとっても、今なお大切な意味を持ち続けている。
~後編に続く~
吉川さんご自身による自叙伝はこちら
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関連リンク
・フィリピン・ベンゲット州 – 公益財団法人 高知県国際交流協会