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2021年度 5次隊
グアテマラ/野球
市川 修平さん(愛媛)
衝撃
私が協力隊を志したきっかけは単純です。高校生の時にとある先生からマーシャル諸島共和国にJICA海外協力隊として派遣されていた話を聞いたことがきっかけでした。
数々の刺激的なエピソードに、その時の市川少年は「めちゃくちゃかっこいいじゃねえか!」と衝撃を受けたことを今も覚えています。大学生になりJICA海外協力隊に応募するまで、心のなかにはいつもそのときの興奮がありました。
訓練所時代
グアテマラ同期たち
コバン隊のみんな
マヤの国からこんにちは
時は遡ること2012年、とある都市伝説界隈では、マヤの予言と称して世界滅亡説が囁かれていました。当時中学2年生だった市川少年は、多感な時期だったということも重なりそのマヤ予言に心を踊らせていましたが、もしその予言が当たっていたなら私のJICA海外協力隊としての2年間はなかったでしょう。それから10年後の2022年、私はそのマヤ文明が栄えていたグアテマラ共和国という国に足を踏み入れます。
アメリカ大陸中部、いわゆる中米国の一つであるグアテマラ。メキシコの南部に位置しマヤ文明の遺跡や火山、コーヒーの栽培などで有名です。公用語はスペイン語ですが、22ものマヤ語族が日常的に各地域で話されています。現在でも国民の半数以上はインディヘナと呼ばれるマヤ系原住民で、手つかずの自然、文化が多く残っています。
首都のグアテマラシティから車で約5〜6時間、国土のおよそ中心に位置する、標高1,320mにあるアルタ・ベラパス県コバン市というところで2022年5月から2年間、私は野球のコーチをしてきました。コバン市はグアテマラ国内で3番目に栄えている都市といわれており、人口は20万人を超えています。コーヒーやスパイスのカルダモンの産地として有名であり、自然も豊かです。
鬱蒼としたジャングルに突如現れるティカル遺跡
コバン市で栽培されているコーヒー豆
インティヘナの女性たち
彼らから学んだもの
私は2代目のボランティアとしてアルタ・ベラパス県野球協会に派遣されました。2人目ということもあってか配属先の人たちはとにかく優しく友好的で、活動以外でも多くの手助けをしてくれました。特に言語面ではスペイン語のほとんどを彼らから学んだので、「なんでお前はグアテマラ人みたいな喋り方なんだ?」とよく現地の方々に言われました。
要請内容は県内野球チームへの巡回指導と野球の普及活動。
しかし新型コロナのパンデミックの影響で県内のチーム数は一つになっていました。
山々に囲まれた中、ぽつんとある原っぱが私達の練習場です。グラウンドには野良犬や牛、ときには馬が駆け回っていました。サンホセ・ラ・コロニアと呼ばれる地域で、周辺には伝統的な暮らしを続けているインディヘナの方々が多く住んでいます。
野球の練習は日曜日を除いた週6日行われ、生徒の多くは近所から歩いて通っていました。6歳〜18歳の子どもたちが主に参加し、すべての年代で合わせて約100名ほどの選手が登録されていました。ほとんどの子供が試合すら見たことがない状態で野球を始めます。裕福な家庭の子供は少なく、多くの選手は家族の仕事を手伝いながら暮らしています。そんな環境の中でも「楽しいから」という理由で多くの子供達が野球の練習にきていました。
私は野球を「教える」という立場でしたが、実際は彼らから多くのことを学びました。中南米の野球についてはもちろん、人生や家族の在り方など、日本では考えたこともないようなことを多く学びました。生徒や同僚、友人など、多くの人に支えられ、今では彼らのことを家族のように感じています。きっと彼らなしでは私の2年間はとてもつまらないものになっていたでしょう。
一度グアテマラの友人に「なぜグアテマラ人はいつも楽しそうなんだ?」と聞いたことがあります。
すると彼は笑顔でこう言いました。
「悲しさを知っているからさ」
人生の中で悲しみを感じることがいろいろな場面であります。グアテマラ人はそんな日常の中で感じる悲しさを知っているからこそ、人にやさしくでき、寄り添い、明るく、そして強く生きられる。彼らの根底にある優しさ、そして強さを思い知った、そんな一言でした。そしてそんな彼らの役に立ちたい、彼らのようになりたい。私はそう強く思いました。
チームのみんな
友達のオカンの誕生日
グアテマラのアニキたち
1人でも多くの子供達に選択肢を与えたい!〜僕の2年間〜
コバン市で野球を教え普及していく中で、私は一つの目標を持つようになっていきました。それは
「一つでも多く子どもたちの選択肢を増やすこと」
どういう意味か。
例えば日本には沢山の選択肢があります。プロ野球、プロサッカー、プロバスケ、プロテニスなどその他多くのスポーツや、ミュージシャン、アーティスト、俳優などの芸術、医者や宇宙飛行士まで、夢を叶えることは難しくても夢を持つことができる環境は整っています。それは日本のどの地域に生まれてもある程度は選択肢があります。
なにかを始める選択、続ける選択、諦める選択。
これらがある社会を、私は自由な社会だと思います。
一方グアテマラの地方に住む人々には多くの選択肢はありません。多様な夢を持つことがそもそも難しく、少ない選択肢から選んでいくしかないのです。
私は野球を通じて、一つでも多く子どもたちに選択肢を見つけてほしいと考えました。別にやるのは野球じゃなくてもいいけど、野球でもいいじゃない。そんな感じです。野球という一つの「選択」を増やすため、配属先の同僚たちと行ったことや、JICAボランティアとして行ってきたことは以下のような感じです。
・JICAの「世界の笑顔プログラム」を利用し、コバン市へ野球道具支援
・ポスター制作、配布
・各学校への野球の普及
・SNSでの普及活動
・日本人プロ野球選手による野球教室の開催
・日本対グアテマラ国際親善試合
・日本の高校生、大学生へのJICA海外協力隊講義
・アルタ・ベラパス県内での日本文化紹介、野球紹介
・指導法、練習の改善や各選手の能力の数値化
これ以上のことを含む、多くのことを行ってきました。
一人だけではできなかったことも、彼らと心を通わせ協力することでより多くの成果を得ることができました。特にコバンで日本人プロ野球選手の野球教室を開いた際は多くの選手達が「プロ野球選手になりたい」と口々に言っていたことを鮮明に覚えています。私の存在が少しでも彼らの選択を広げることにつながっていれば、これ以上に嬉しいことはないでしょう。
日本人プロ野球選手による野球教室
世界の笑顔プログラム
学校への巡回活動
野望と挑戦
私は現在日本に帰国し、とあるプロジェクトを進めています。それはコバンで出会った一人の選手、メヒアに日本へ来てもらい、プロ野球選手を目指してもらおうというものです。
「いつかプロ野球選手になって、家族や自分の人生を豊かにしたい。」
そんな彼の一言に私の心は強く動かされました。
彼には野球の才能も情熱もありますが、コバン市のような地方都市では十分な施設もグラウンドもプロチームもありません。貧困や環境を理由に夢を追いかけられない現状を変えるため、現在はクラウドファンディングで費用を集めており、多くの賛同者から支援や応援メッセージを頂いています。
このプロジェクトが成功すれば、グアテマラ人で初めて日本のプロ野球選手になった選手としてメヒアは歴史に名を残すことになるでしょう。
一方で彼にはグアテマラに帰り日本で学んだ野球を広めてもらい、グアテマラの野球が発展するために寄与してもらおうと考えています。それはグアテマラの野球、子どもたちにとってきっと大きな影響を持つことになります。コバンの子どもたちが日本のプロ野球選手を見て「プロ野球選手になりたい」と思ったように、彼を見て「プロ野球選手になりたい」と思うようになる未来を想像しています。そうなれば私の目標である「一つでも多く子どもたちの選択肢を増やすこと」は達成します。メヒアはその選択肢の一つを選び取ろうとしているのです。彼の存在がグアテマラの未来を大きく変える可能性を持っていることを私は信じています。
メヒア一家と私
メヒアの挑戦
支え、支えられ、決して楽しいだけの2年間ではありませんでしたが、沢山の人と出会い、家族や兄弟と呼びあえるような人にも出会いました。私の目標や夢を真剣に聞いてくれた彼らには感謝しかありません。
やりたいことをやりたいと言える環境、憧れを目標にできる社会を作っていきたいです。
そんな、誰でも夢が持てる世界を。
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