能登半島地震を通じて

2024.03.27

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人事部 開発協力人材室 望月 翔太

 令和6年能登半島地震により亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げますと共に、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
 2024年1月末から約2週間、能登町で震災ボランティアを活動してきました。このブログでは、被災地での活動で何を感じたかをお伝えできればと思います。

令和6年能登半島地震

 2024年1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登半島で最大震度7の揺れ、地震の規模を示すマグニチュードは7.6を観測する地震が起きました。阪神・淡路大震災を起こした兵庫県南部地震や熊本地震よりも大きな地震で日本海側の広い範囲で津波も観測され、建物や道路などにも甚大な被害が確認されました。能登では耐震化が進んでいない古い木造家屋が多く、激しい揺れで倒壊が相次いだため、家屋の下敷きになり亡くなられた方の割合も多い災害となりました。

JICAによる災害ボランティア派遣

 JICAでは研修員受入事業や草の根技術協力事業などでこれまで協働してきた地域パートナーとの信頼関係を維持・強化すること、また国際協力に関する問題解決の知見、技術、人材を保つために、同地域の自治体、関係団体への支援を行うことを目的とする災害ボランティアとして、職員を現地に派遣することになりました。当時、青年海外協力隊事務局に所属していた私は、既に派遣されていた1名の後任として能登半島に入ることになりました。公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)および社会福祉法人佛子園と連携し、能登町を拠点に災害ボランティアとして避難所運営を支援したほか、被災自治体の現状確認や在留外国人の状況を把握することで、今後の被災地の復興段階でどんな協力が必要になるかの確認等をおこないました。

被災地での活動

 金沢から能登町への車での移動は、通常なら約2~3時間のところ、約5時間かかりました。地震の影響で能登半島へ繋がる道が限られているためです。

崩れた道路

 寝泊りする拠点では、ブルーシートを敷いた床の上に厚さ2㎝ほどのマットを敷いて寝袋で睡眠をとり、食料は持参したものや、受入先パートナーがご準備下さったレトルト食品やカップヌードル、缶詰食品が中心という生活環境でした。最初の朝を迎えた寝起き直後は背中が動かず、日々柔らかいベッドで寝ていた私は「これは大変だ」と苦汁をなめることになりました。震災直後多くの人が駆け付け寝泊まりした避難所では、床の上に直に横になって過ごすことが多かったと聞きます。寝ても疲れが取れない環境を身をもって感じました。また、雪が降る北陸の寒さを考えると、被災地の方々へのストレスがどれほどかかったかを再認識しました。

寝床の様子

 活動中、能登町内を歩き回り、被害の大きさも改めて実感しました。地面はひびが入り隆起し、建物は半壊・倒壊するなど、自分の目で直接見る初めての光景がそこにはありました。特に津波の被害を受けた白丸地区は言葉を失うほどでした。「もし自分がここにいたらどのような行動ができただろう。どんな気持ちだったのだろう。」と、海と山が近くにある静岡で育った私は考えるだけでも恐ろしい気持ちになりました。

津波の被害を受けた白丸地区

私が従事したボランティア活動は大きく分けて、「避難所での対応」、「能登町にいる在留外国人人材の確認」の2つです。初めて被災地ボランティアを経験する私は、日々変化する状況のニーズに対応していくことで精一杯でした。

炊き出しの様子

 在留外国人の調査では、避難所や役場の方々から情報を集め、雇用主である企業へ連絡しご本人たちにヒアリングをおこないました。実際に会った方々は全員「危機的な状況にない」こと、受入先がケアをされていることが分かり安心しました。他方で、緊急時の外国の方への情報伝達やニーズ対応については課題が残ったようです。もし普段から、在留外国人の方々と町の人たちとの交流があれば、よりスピーディに、被災後の彼らのケア、情報把握もできていたのかもしれません。地域の在留外国人を繋げ、相互理解を促していくことはJICAとしてできる重要な役割なのではないかと感じました。

左:望月

これからの協力のあり方

 2週間弱ではありますが、被災地で、情報を把握し、ニーズに対応することで「JICAとしてお役に立てる部分が確かにある」と感じました。私が青年海外協力隊としてスリランカで学んだ「現場で対応すること」の大切さは、途上国だけでなくどこでも大事だと感じています。また、今回学んだことを個人レベルではなく、JICAとしての知見・経験として蓄え、災害が起きた際に「JICAとして何ができるのか」を組織内に留めておく必要があるのだと感じます。
 現地でのニーズは日々変化していますが、サポートが必要な状況は変わらず、避難所で生活している人たちやサポートを必要としている人たちの日常生活は未だ完全には戻ってきてはいません。阪神淡路大震災や東日本大震災を経験してきた日本として、開発途上国で緊急援助をおこなってきたJICAとして、何ができるのだろうか。引き続き国内の課題にも寄り添うことで、「誰一人取り残さない」世界への実現へ、開発途上国の抱える課題へのアプローチも見えてくるのだと思います。

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