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ケニア協力隊派遣60周年

2025.12.22

サムネイル
ケニア事務所 所長 晋川 眞

1966年にケニアに初めてのJICA海外協力隊が派遣されました。それ以来、派遣は継続的に行われ、今年の8月時点で累積1,828名の隊員がケニアに派遣されています。今回は、派遣が始まったばかりの頃の隊員たちのエピソードを少しご紹介します。

象とキリマンジャロ、ライオンの群れ、キリンとナイロビ、ヌーの群れ、カバの昼寝

ケニア海外協力隊派遣60周年―エピソード1

1969年、松本公夫さんは、青年海外協力隊の建設機械隊員として派遣されました。しかし、現地では自動車整備工の育成を行うことになり、結果として50名もの整備工を育成しました。

派遣先はケニア北部の都市マルサビット。活動の任地は、マルサビット近郊の砂漠地帯に位置するエチオピアとケニアを結ぶ道路建設現場でした。故障時に迅速な修理を行うため、整備士が現場に帯同する必要があったためです。
道路が30km完成するごとに全員で移動するため、住居は主にテント。蛇やサソリは日常茶飯事で、夜には猛獣も出るため、外出は禁止されていました。

マルサビットでの任務を終えたあとは、ケニア南部の港町モンバサにある職業訓練所が新たな任地となりました。そこでは自動車整備を教える業務に従事し、趣味としてバレーボールの指導も行いました。一人でさまざまな課題に向き合う中で、気付けばケニアに6年。日本語もうまく出てこなくなったそうです。

帰国後は議員秘書や企業での海外研修員受け入れなどに携わり、現在80歳。今も幅広くアフリカと関わり続けています今でも日本で、アフリカ人らしき人を見ると、つい声をかけてしまうとのことです。
現在活動している隊員へのメッセージをうかがうと、「無理するな。郷に入ったら郷に従え」と、温かく力強い言葉を届けてくださいました。

指導風景

山梨学院大のランナーと松本さん

―エピソード2

1979年、中山緑みどりさんは理数科教師隊員として、ケニアのアワシにある高校に派遣されました。任期後半には、現地高校の校長に任命されます。中山さんは幾重もの葛藤や課題を抱えながらも、学校運営上の課題に向き合い、尽力されました。

「ケニアの私の学校では、オフィスで威張れるのが“ビッグマン”だと考えている生徒が多い。体を動かし、汗を流して働くのは、試験にパスした者の仕事ではないと思い込んでいる。そして学んだ知識を活かさず、個人的な利益を優先する。権利を主張する一方で、業務上の責任や義務の履行が十分でない場合も多い。でも、学校教育は政府主導で始まってから、まだ13年しか経っていない。これから先はまだ長く、少しずつ充実していくことだろう。楽観的に考えることを、私はケニア人から学ばせてもらった」

この報告書を読むと、とても45年前の記録とは思えないほど、今に通じる課題だと私は感じました。現在が、昔と比べて少しでも良くなっていることを願っています。

―エピソード3

白鳥くるみさん、1978年、家政隊員としてケニアのムランガに派遣されました。帰国後は、社会貢献活動のために設立した団体の代表として、日本人がアフリカへの関心(国際理解)を高め、アフリカと日本双方の活力につながるよう、多岐にわたる取り組みを進めています。
学校教育教材を既に15冊も出版され、毎年、アフリカを訪問する精力的な活動家です。

「彼らがおかれている環境や文化を理解し、自分が変わることで、信頼関係が築けたような気がする。衣食住や言葉、アートなど、生活に密着した視点からアフリカの多様な実態を伝えていきたい」と力強く語られました。

指導風景

アフリカ理解プロジェクト

―エピソード4

最後にご紹介するのは、小疇浩さんです。1981年から、食品加工隊員として、ケニアのジョモケニアッタ農工大学(JKUAT)に派遣されました。帰国後は専門性に磨きをかけ、JICA専門家として再度JKUATに着任し、足掛け12年もの間、同大学の人材育成に携わりました。現在も、JKUATで実施するJICAプロジェクトで、チーフアドバイザーとして尽力されています。

「採用した教員が学位を取り、学部長になり、生徒が集まり、大学として形が整ってきた。学校内の意見の対立や調整が必要な場面に関わることもあったし、教育省から政策的な助言を求められることもあった」

JKUATの黎明期から伴走者し続け、現在は帯広畜産大学の名誉教授でもある小疇さんは、JKUATの発展に真摯に向き合っているお一人です。

指導風景

駒ケ根訓練風景(1981年)

これからも

60年という長い年月、歩みを止めずに続いてきたJICA海外協力隊の歴史は、ボランティア一人ひとりの人生の一部が積み重なってできたものです。
日本人への学びの機会、ケニア人が受け取る新しい知識や刺激、そして、人を介して築かれるケニアと日本の信頼関係が、この先さらに70年、80年と続くことを心から願っています。

ケニアに携わった隊員のみなさん、そして支えてくださった多くの方々に感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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