ヨルダンで出会った女性たちと、私が抱いた問い
2026.06.05
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- JICAヨルダン事務所 井澤仁美
2026.06.05
JICAに入る前、日本で障害のある子どもたちの療育に携わっていた頃、私は「社会参加」という言葉を深く意識することはありませんでした。目の前の子どもが将来少しでも生きやすくなるように、その子にできることを一つずつ増やしていくことに精一杯だったからです。
「社会参加」という言葉の背景にある「環境」や「社会の条件」について考えるようになったのは、ヨルダンでの経験がきっかけでした。
JICA海外協力隊としてヨルダンの難民キャンプにある障害児施設で勤務したときのことです。施設には十分な予算がなく、若い女性ばかりの同僚たちは、ボランティアとして子どもたちの学習や療育の場を支えていました。学校を卒業したばかりで専門的な知識や経験が十分とはいえない中、それぞれが試行錯誤しながら子どもたちと向き合っていたのです。
そうした日々の中で、彼女たちの暮らしに触れる機会もありました。彼女たちは一人で外出することが難しく、父親や男兄弟に付き添われるのが当たり前の生活。学校を卒業後、短期間働いて結婚し、家庭に入る――そんな人生の歩みが、ごく自然な選択肢として語られていました。
あるとき、 施設で女性スタッフのみでの国内旅行を企画しました。 その計画をきっかけに家族との考え方の違いが顕在化し、結果として仕事を続けることが難しくなり、退職に至った同僚がいました。私にとっては戸惑いの連続でしたが、彼女たちは家族と離れて一人で暮らす私を「かわいそう」と言いました。自分にとって“当たり前” だと思っていた生き方も、別の文化の中では違って見えるのだと気づかされた瞬間です。
筆者が活動していた難民キャンプの様子
同僚と一緒に子どもを教える筆者
ヨルダンでの経験を振り返ると、一つのイメージで語ることはできないと感じます。現在、首都で一緒に働く同僚の中には、ヒジャブ(髪を覆うイスラムのスカーフ)を着用しない女性も多くいますし、一人で海外出張に出る姿も珍しくありません。
一方で、ヨルダン政府の行政官や専門家に日本に来てもらい、日本の技術や考え方を研修する事業を実施する際には、女性が参加するために家族の許可が必要とされる場面にも出会います。また、子育ては女性の役割だという前提が、自然に共有されていることもあります。
進んでいるように見える側面と、そう単純ではない現実。その両方が同時に存在していることを、日々の業務の中で実感しています。
ヨルダンの首都で最も人口の多い都市、アンマンの街並み
障害のある子どもたちと関わる中でも、考えさせられる場面がいくつもありました。例えば、9歳になるまで教育の機会が得られず、その年齢で初めて施設に通い始めた軽度知的障害のある女の子や、車いすを使用する女の子が階段を上らなければ外に出られない住環境――そうした現実を目の当たりにしました。こうした経験から、学ぶことや外出することを含めた「社会参加」とは個人の努力だけで実現できるものではない、という考えが、実感を伴って芽生えました。さらに、これまでに出会ってきた女性たちの暮らしを思い返すと、自分の意思で行動を選ぶといった目に見えにくい側面においても、社会参加はさまざまな制約の影響を受けていることに気づかされました。
それぞれの社会には、それぞれの前提があります。何が自然で、何が当たり前とされるかは、育ってきた環境や価値観によって異なります。そうした違いがある中で、女性であることと障害があることが交差する場面において、「自分で選び、決める」ことはどのように可能になるのか。この問いは、今も私の中に残り続けています。
本邦研修に参加した研修員の帰国後の一般公開セミナーにて
現在、ヨルダン事務所で総務や調達、広報などの業務を担当する傍ら、私自身の関心として、女性障害者の社会参加をテーマに大学院で研究を続けています。ヨルダンの複数の地域を対象に、女性障害当事者やその家族へのインタビューを行い、それぞれの生活の中で語られる経験に耳を傾けています。教育機会、家族関係、宗教観、地域社会とのつながりといった要素がどのように重なり、選択の幅に影響を与えているのかを丁寧に見つめています。 日々の業務は、国際協力の現場を支えるための地道な積み重ねです。その一方で、かつて出会った過去の経験は、今も私の思考の出発点であり続けています。
国際協力の現場に身を置きながら、問いを持ち続けること。その往復の中に、私なりの関わり方があるのではないかと感じています。