jica 独立行政法人 国際協力機構 jica 独立行政法人 国際協力機構

救援の最前線、国際緊急援助隊
(JDR) 迅速に、的確に活動する モザンビーク

応急対応、復興・復旧
緊急事態で真っ先に出動するJDR。その幅広い活動を紹介する。


2019年3月、アフリカ南東部のモザンビークを巨大サイクロンが襲った。
日本政府の決定を受けて、JDR隊員たちは現地に駆け付け、それぞれの任務に就いた。

・モザンビークに巨大サイクロン上陸(2019年3月14日・15日)
 死者:603人、被災者:185万人(2019年4月20日 UNOCHA発表)

ベイラ周辺は、大規模な洪水被害に見舞われた。

ベイラ周辺は、大規模な洪水被害に見舞われた。

緊急事態への初動対応

司令塔機能への貢献

被災地には多くの救援隊やNGOが入ってくる。被災地のニーズを調査し、効率的かつ効果的な支援の調整を担うのは、国連機関や被災国政府の役割だ。モザンビークの被災現場では、JDRから複数の日本人がそこに参加して大きな貢献を果たした。

受け入れの窓口である国連災害評価調整チーム(UNDAC)に参加したのは、湊佑介さん。JDRチームに先立って、2019年3月22日に被災地の拠点ベイラ市に入った。湊さんが担当したレセプションセンター(受付)では、入国する救援隊を登録し、被災の状況や各チームの活動内容を貼り出して一目でわかるようした。「センターにあらゆる情報が集まるようにしたので、パソコンを失くした、ドライバーを手配したい、水はどこで買えるかなど、いろいろな人がいろいろなことを聞きに来ました」と湊さんは笑う。

ベイラ周辺。

ベイラ周辺。

さらに、道路が水没して被災地に近づけないため、ヘリコプターなどで空から被害を把握する任務にも就いた。「水没の程度や家の状態を上空から目視し、その情報を地図に落とし込む作業を、イギリスの専門のNGOに依頼しました」。被災の程度が一目瞭然となり、モザンビーク政府や各国チームが活動方針を立てることができた。「消防士としての災害救助経験から、緊急時には情報を〝見える化〟し、共有することがいかに必要かがわかっていました。日本での経験を生かせたと思います」。

各国緊急医療チームの要

各国から派遣された緊急医療チーム間での調整機能を担うのが、緊急医療チーム調整本部(EMTCC)。ここにはJDRから豊國義樹さんと久保達彦さんが派遣された。豊國さんは日本国内で同様の立ち上げ経験があり、派遣の1か月前にJICAがASEAN諸国を対象に行ったEMTCC業務の訓練にも参加していた。「最初の仕事は情報の可視化でした」と豊國さんは言う。「EMTCCのスタッフの頭の中にしかなかった情報を引き出して、被害状況や、各国緊急医療チームの活動地・規模を地図に書き込み、一目でわかるようにして貼り出し、本部機能を整えていきました」。

一方、久保さんは世界保健機関(WHO)が承認した災害医療情報の標準化手法(MDS)(注)を国際的に初稼働させるための技術支援にあたった。MDSを取り入れることで、各国の緊急医療チームが診療した疾病の種類や傷病者数を可視化できるようになる。「今回が世界で初めての稼働でしたので、不安もありました」と久保さんは率直に語るが、MDSを運用する各国医療チームの協力もあり、連日、患者データを数値として保健省に提出でき、緊急医療チームの間での情報共有もしやすくなった。「保健省の局長は毎日テレビでその日の状況を報告しなければならなかったのですが、そのときもMDSデータがとても役に立ちました」。

支援が届いていない村へ

UNDACやEMTCCが現地での受け入れ態勢を整えるなか、2019年3月29日にはJDR医療チーム(1次隊)が到着した。モザンビーク駐在経験があったJDR事務局の中瀬亮輔さんは、それに先んじて現地に入り準備にあたった。保健省からの要請は、まだ支援が入っていないグアラグアラ村での活動。日本チームの経験を買われての指名だ。「被災地に入ったのは、被災から2週間後。医療サービスはまったく届いていなかったので、診療所を設置するとすぐに多くの人たちがやって来ました」と中瀬さんは語る。

毎日100人近くにのぼった患者のデータ管理はJDRが開発した電子カルテシステムで行われた。隊員はMDSに沿って定められた年齢や性別、外傷・疾病の種類、処置などの項目をタブレットに入力。定時にそのデータを日報としてまとめEMTCCにメールで送信するだけだ。「これまで、カルテは紙で、データの集計に深夜までかかっていたので、格段に作業が楽になりました」と中瀬さん。日中は40度を超え、テントでの野営生活は環境的には厳しかったが、MDSも活用され、EMTCCからも随時情報が提供され、近くの地域で活動するアメリカのNGOとの連携もうまくいった。

「今回は全体調整をするUNDAC、EMTCCと、現場で活動するJDRの医療チームとで複層的な支援が展開でき日本の技術や知識を活用できました。これからも経験を重ね、日本の緊急支援への信頼を高めていきます」と語る中瀬さん。今、モザンビークでは緊急の支援は終わり、復興に向けたJICAの協力が始まっている。

モザンビークでの国際調整の枠組みと医療チームの活動

全体調整

・モザンビーク
 国家災害管理局 現地対策本部

・UNDAC
 被災国の要請により国連を通じて派遣される災害対応調整のエキスパートによるチーム。被災地で司令塔的な役割を果たす。今回は、アジア地域からただ一人参加(国連関係の職員を除く)した湊さんを含む19人が派遣された。

レセプションセンターで各国の救援隊の受け付けにあたる湊さん。

レセプションセンターで各国の救援隊の受け付けにあたる湊さん。

医療部門の調整

・モザンビーク
 保健省 現地対策本部

・EMTCC
 WHOが支援して被災国の保健省が設置し、各国医療チームの活動地の割り当てや診療情報の収集・分析などを行う。日本からは厚生労働省の災害派遣医療チーム事務局の豊國義樹さんと産業医科大学准教授(当時)の久保達彦さんが参加。

誰でも情報が得られるようにEMTCCの本部を整えた。

誰でも情報が得られるようにEMTCCの本部を整えた。

各国からの緊急医療チーム

・JDR医療チーム
 1次隊27人、2次隊24人を派遣。活動したのはベイラ市から陸路で3時間ほどのブジ郡グアラグアラ村で、同村への支援は日本からの医療チームが初めてとなった。患者の多くは呼吸器系の感染症や下痢を発症。さらに他地域でコレラの流行の兆しがあり、同村でも対応が必要となった。

診療にあたる医師。

診療にあたる医師。

診療が終わるとその日のデータをすぐにメールでEMTCCへ送る。

診療が終わるとその日のデータをすぐにメールでEMTCCへ送る。

モザンビーク派遣タイムライン

2019年3月20日から
2019年4月13日まで
UNDAC要員
2019年3月27日から
2019年4月16日まで
専門家チーム(EMTCC)
2019年3月28日から
2019年4月10日まで
JDR医療チーム(1次隊27人)
2019年4月5日から
2019年4月18日まで
JDR医療チーム(2次隊24人)

(注)日付は日本発着を示す。

モザンビーク派遣タイムライン

モザンビーク派遣タイムライン

モザンビーク

国名:モザンビーク共和国
通貨:メティカル
人口:約2,967万人(2017年世界銀行)
公用語:ポルトガル語

アフリカ大陸の南東部に位置し、インド洋に面する国。1975年、ポルトガルから独立。1992年に内戦が終わり、資源や観光などの開発が進む。2019年3月、大型サイクロン「イダイ」が港町ベイラを中心とした沿岸部を襲い、多くの被災者がでた。

首都:マプト

首都:マプト