今世界が注目する「中央アジア」 その潜在力と知られざる日本とのつながり
2024.06.06
中央アジアと聞いて、そのすべての国を答えられる人は少ないかもしれません。実は、旧ソ連から独立したこの地域の国づくりに、日本はこれまで深く関わってきました。そして、豊富な資源や物流面からも注目を集める中央アジアと日本は今年、初の首脳会合を開催する予定です。そんな中央アジアと日本の知られざるつながりを紐解きます。
近未来的な景観のカザフスタンの新首都アスタナ。JICAによる都市計画作成支援のもと、基本設計を手掛けたのは建築家の故・黒川紀章氏。(Photo:evgenykz/Shutterstock.com)
中央アジアとは、ユーラシア大陸の真ん中に位置するカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの5カ国を指します。1991年、ソ連崩壊時に独立を果たした国々です。その翌年、日本はいち早く中央アジア5カ国と国交を樹立し、93年には、社会主義から市場経済の民主主義国へと生まれ変わるための開発協力に着手しました。
「当時、市場経済へと移行する国々に対するビジネス面での期待や、旧ソ連の国々との関係も深めておきたいといった背景もあり、世界に先駆けて、日本は中央アジアとつながっていったのだと思います」
そう語るのは、JICA東・中央アジア部専任参事の田邉秀樹さんです。約25年にわたり、主に中央アジアの開発協力に携わってきました。1999年にJICAが中央アジア初の現地事務所をウズベキスタンに開設した時は、初代所員として奮闘しました。その際、忘れられないエピソードがあると言います。
JICAきっての中央アジア通であり、2017年にJICAタジキスタン事務所が設置された際は所長として赴任した田邉さん
「赴任してすぐ、まだ様子もわからず緊張しながら首都タシケントでタクシーに乗りました。運転手にどこから来たかと聞かれたので、日本からだと答えると『日本人を乗せたのは初めてだ。これで友人に自慢できる』と大喜びだったんです。日本人からみると馴染みの薄い国にも関わらず、こんなにも親しみを持ってくれるのか、と嬉しくなりました」
中央アジアの国々は総じて親日的と言われていますが、その理由の一つにウズベキスタンでは過去の戦争においてこんなエピソードもあります。第二次世界大戦後、ソ連によって捕虜となった多くの日本兵や民間人が中央アジアに抑留され、強制労働に従事させられました。その際に建設された一つが、タシケントにあるナボイ劇場です。捕虜の身でありながら毎日懸命に働く規律正しい日本人の姿に胸を打たれたタシケント市民が、差し入れすることもあったとか。そして、1966年にタシケントを襲った大地震で、街が壊滅状態になってもこのナボイ劇場は倒壊せず、日本人の勤勉さや技術力を高く評価する話として、ウズベキスタンで語り継がれているのです。
「先人たちが積み重ねてきた日本と日本人に対する好意的なイメージを崩さず、その信頼をさらに高めていけるような仕事をしていきたい、と強く感じたことを覚えています」。田邉さんは当時を思い起こします。
今もタシケントの市民に親しまれているナボイ劇場
その外壁には、建設に携わった日本人の功績をたたえる言葉が刻まれている
日本と豊富な資源を持つ中央アジアとの関係は、その後さらに深まり、2004年には「『中央アジア+日本』対話」が始まります。日本が触媒となって中央アジア5カ国間の協力を促進し、自立的な発展を支える取り組みです。
「独立後、5カ国それぞれ経済発展のベースや改革の度合い、政治的な事情が異なり、ともすればバラバラになる懸念がありました。その一方で、ロシアや中国に挟まれたこの地域は、域内の協力と連結を強めたいという思いもあります。そんな中、日本が触媒としての役割を果たそうとしたのです」
日本が世界に先駆けて着手した中央アジアの域内協力や連結性強化に向けた支援は、20年目を迎えた今、大きな意味を持ち始めています。石油・天然ガスなどの豊富な資源に加え、中央アジアが持つ経済成長へのポテンシャル、米中対立やウクライナ戦争などの国際情勢を受け、中央アジアの地政学的な重要性に注目が集まっているのです。経済制裁下のロシアを通過せずに中央アジアと欧州をつなぐ「カスピ海ルート」への期待も高まっています。
そのような背景から、昨年来、ロシアやEUをはじめ、中国、湾岸諸国、そして米国やドイツも、中央アジアと初の首脳会議を開催するなど、中央アジア争奪戦ともいえる状況が生まれています。日本は長きにわたり培ってきた中央アジアとの対話をさらに強めるため、今年、初の首脳会議を開催する予定です。
JICAはこれまで中央アジアで、民主的な国づくりや、市場経済化に向けた経済改革、インフラや教育、保健システムの整備など多くの協力を進めてきました。
タジキスタンの首都ドゥシャンベからアフガニスタン国境へとつながる主要幹線道路の拡幅工事。JICAの支援により、周辺国との連結性向上による経済の活性化が期待されている(撮影:久野武志)
中でも注力したのが、人づくりです。「独立前は社会主義のソ連で、モスクワがコントロールする中央計画経済であり、労働者はすべて公務員でした。そこから民間企業をつくり、ビジネスを回していかなくてはいけません。市場経済化には行政官に加えてビジネスプレーヤーの育成が不可欠でした」(田邉さん)
そこでJICAは、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンの日本センターで、起業のイロハから日本的経営までを指導するビジネス研修を開始。何十倍もの倍率の中、選考された参加者らの「学びたい」という熱量は相当だったと田邉さんは振り返ります。現在、ウズベキスタン最大のビル建設会社の社長もここでビジネスを学んだ一人です。この日本センターの卒業生らのネットワークは今、日本企業とのビジネス連携につながるきっかけにもなっています。
2023年12月、ウズベキスタン日本センターで開かれたビジネス研修には、若者が多数参加(ウズベキスタン日本センター ビジネスコース講師:中西昭文氏)
また、外交や行政の面では、将来、国の指導者となる若手行政官に日本の大学院で学んでもらう留学制度を整備。ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンから2023年までに受け入れた人数は826名に上ります。帰国後は、法務大臣(キルギス)や労働・雇用・移民大臣(タジキスタン)、開発庁長官(ウズベキスタン)として男女を問わず活躍するなど、日本と中央アジアの架け橋となる人材が生まれています。
これからの開発協力について、田邉さんは「中央アジア5カ国がお互いに協力し合うことを日本は仲介役として側面からサポートしながら、今後はさらに西側に位置するジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンといったコーカサス地域、そして東側のモンゴルを含めて、内陸アジア全体をつなげる役割を果たしていくことが重要です」と言葉に力を込めます。
内陸国の中央アジアは、地域内の経済成長のためにも近隣地域との連結性を向上していくことが不可欠です。改革の度合いで一歩先を行くモンゴルでも、中央アジアを新しい市場として求める動きがあります。コーカサス経由で欧州とつながるカスピ海ルートを含め、内陸アジア全体を俯瞰する目を持つことが必要になっています。
「中央アジアの人々と話をしていると、日本と一緒に国づくりを進めることを本当に喜んでくれるし、日本の技術や投資への期待も高いんです。日本の協力が役に立っていることを現地の人から気付かされ、本当にやりがいを感じます。やはり丁寧に人と人との関係を築くことが、国と国との関係強化の根本なんです」
そう語る田邉さんは、中央アジアのさらなる成長に向けた協力を見据えています。
オアシス都市から草原、山岳地帯までダイナミックな風景が広がり、多様な文化や歴史を持つ中央アジア、「1カ国を訪れただけでは中央アジアを語ることはできません」と田邉さんが強調するほど観光資源としての魅力もたっぷりだ(撮影:鈴木革[上]、久野真一[下])
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