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相川七瀬さんが見た 日系社会がつなぐブラジルと日本

2025.12.08

2025年、日本とブラジルは国交樹立130周年を迎えました。今日の友好関係には、苦難を乗り越え両国の架け橋となってきた日系ブラジル社会の功績があります。日本ブラジル友好交流親善大使を務めるロックシンガーの相川七瀬さんが、その歴史といまを見つめました。

日本人街のリベルダーデの盆踊りで熱唱する相川七瀬さん

日本アニメのコスプレを楽しむ若者たち

「デジタルモンスター」「鬼滅の刃」……。繁華街のあちこちに、日本アニメのコスプレ衣装を身にまとった若者たちがいます。

「キャラクターに自分を投影できます」
「アニメから勇気を学びました」

サンパウロ市のリベルダーデ地区は、世界最大級の日本人街として知られています。漫画イラストの露天商やメイドカフェの看板が目に留まります。みんな日本のアニメやポップカルチャーを楽しんでいるようです。

コスプレを楽しむ若者たち

賑わいを見せるリベルダーデの中心部

ブラジルには約270万人の日系人が暮らしています。これは世界最多の数字です。ブラジル日系社会の主要団体の一つ「ブラジル日本文化福祉協会(文協)」の西尾ロベルト会長は「日系社会は強いコミュニティで、ブラジル社会の一部になっています」と語ります。文協はブラジルで日本文化の継承や普及を促進し、日本にブラジル文化を紹介する役割も果たしています。

しかし今、西尾さんはある課題に直面しています。「現在、文協の個人会員は60代が中心です。日系社会をさらに発展させていくためには、若者の参加が欠かせないのですが…」。西尾さんは若者たちのにぎわいを見つめました。

移民一世たちの苦労

リベルダーデに建つ文協のビルの中には「日本移民史料館」があります。1908年の最初の集団移住に始まる歴史を伝える約9万7000点の史料が展示・保管されています。

アーティスト活動の傍ら大学院で民俗学を研究している相川七瀬さんは、大きな関心を寄せて史料館に足を運びました。写真や年表、農耕や暮らしに使われた器具などが並び、苦難を乗り越えてきた移民一世の人々の息遣いが伝わってきます。相川さんは展示物に足を止めては、真剣な面持ちで見入っていました。

「移民の方々は手一つで木を切って開墾し、私たちが想像している以上の苦労をして、生き抜いたのだと思います。その後に何代も続く人たちがいて、今のような日系社会ができあがった。本当にすごいことです」

日本移民史料館を見学する相川七瀬さん

若い世代を巻き込みたい

相川さんは史料館で西尾会長と対談し、現在の課題について聞きました。

西尾会長:日本からブラジルへの移民の歴史は117周年を迎えています。日系団体はブラジル社会に溶け込んでいますが、団体を支える人の数が減っています。

相川さん:若い世代を取り込むためのアイデアや工夫として、今みなさんで考えていることはありますか。

西尾会長:日本の文化に興味を持っているのは、日系人だけではありません。なので非日系の方々も巻き込むようなイベントを開いていくことが大事だと思っています。

相川さん:私は歌手なので、歌やカルチャーで日系社会の発展や友好に、少しでも協力できたらと思っています。

西尾会長:ブラジルでも有名な歌手の相川七瀬さんにそう言っていただき、本当に光栄です。よろしくお願いします。

日系社会の課題について対談で語り合う相川七瀬さんと、ブラジル日本文化福祉協会の西尾ロベルト会長

JICAとの約60年の歴史

JICAとブラジル日系社会には、約60年間に及ぶ協力関係があります。

始まりは1960年代。JICAの前身である移住事業団はブラジルへの移住や渡航を支援するとともに、渡航した日本人移住者のために、入植地の整備や資金融資などで生活の安定を側面から支えてきました。現在は日系社会と連携して両国関係を深めるため、日系社会への支援事業を行っています。

JICAブラジル事務所の宮崎明博所長が語ります。

「ブラジルが農業大国になった背景には、日系農家の活躍がありました。初期の移住者は多くが農業従事者でしたが、JICAは彼らの営農支援を含めたブラジルへの開発協力を行い、その結果ブラジルは大規模な大豆生産が可能となり農業大国になりました。その恩恵は日本の食卓にも届いています。また、日系人の活躍は日本企業のブラジル進出にも貢献しているのです」

日系人の歴史と貢献について語るJICAブラジル事務所の宮崎明博所長

日系のリーダー人材育成や病院支援も

日本とブラジルそれぞれに貢献し、架け橋としての役割も果たしている日系社会を、JICAはさまざまな形で支えています。その一つが、日系社会のリーダーとなる人材の育成です。

ブラジルには47都道府県の県人会があります。三重会館の料理教室を訪ねると、三重県人会婦人部長の宮崎マルシアさんがお好み焼きの作り方を教えていました。JICAが横浜で開いた日系団体活性化の研修に参加し、日系社会のリーダーの一人としてそこでの学びをブラジルで広めています。「食とは文化であり、記憶であり、アイデンティーなのだと学びました。教室では食を通して日本の文化を伝えています」

三重県人会婦人部の料理教室

さらに、JICAは日系病院も支援しています。新型コロナウイルスが世界に蔓延した際は、日伯友好病院の運営に協力しました。

岡本セルジオ院長が話します。

「コロナ禍で機材の投資計画に見通しが立たなくなった時も、地域医療を続けることができました。ポストコロナ禍でも支えられました。JICA、日本政府、日本国民の皆さまに大変感謝しています」

日伯友好病院で稼働している、日の丸とJICAのマークが入った医療機器


マツリダンスで心を一つに

2025年9月、リベルダーデ広場で「第1回リベルダーデ盆踊り」が開かれました。一番の注目はブラジルでも大人気の相川七瀬さんのステージ。一目見たいと集まった人々が会場を埋めました。

ブラジルでは盆踊りの振り付けにストリートダンスの要素を採り入れた「マツリダンス」という踊りがあります。相川さんのデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」は、その楽曲として20年以上愛されています
ステージに相川さんが登場すると、観客から大きな歓声が上がりました。人と人、日本と世界をつなぐ思いを込めた新曲「ワッショイ」や、「夢見る少女じゃいられない」を熱唱する相川さん。ステージの下では、日系団体の盆踊りメンバーがはっぴ姿で踊っています。

「最高でした」「日本のことがもっと知りたくなりました」。若者たちが興奮気味に話しました。西尾会長は手ごたえを感じたようです。「とてもエネルギッシュで愛情を感じる歌でした。日系社会だけでなく様々なコミュニティが一つになれました」

「歌で日系社会に協力したい」と西尾会長に伝えていた相川さんも、満面の笑顔です。「音楽は国境を越えると言いますが、自分の曲が国境を越えるとは思っていませんでした」

リベルダーデ盆踊りでのマツリダンス

相川さん「ブラジルへの興味広げたい」

今回の旅で、日系社会への理解を深めた相川さん。

「日本文化がブラジルでここまで採り入れられ、それぞれが融合してまた新しい文化に進化している姿を見られて、日本人として本当に嬉しいというのが率直な感想です。そしてその背景には120年近く前に海を渡って来た方々がいて、彼らが一つ一つ積み上げていった時間の中で勝ち得た信頼がブラジルの中で根付いていることに感銘を受けました」

同時に、両国の未来へ向けて、こんな思いを強くしたといいます。

「ブラジルでは非日系の方々にも日本のカルチャーが受け入れられています。でも日本ではブラジルのことがそれほど知られていません。国交130周年から150周年、その先へと進んでいく中で、日本からブラジルへの興味や理解も広がっていってほしいですね」

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