2003年2月 ベトナム・中国におけるSARS

謎の肺炎SARS制圧に専門家チームが取り組む

2003年2月23日、上海・香港を経由してベトナムのハノイに到着したアジア系米国人男性が、原因不明の急性かつ重症の呼吸器症状を示し、2月26日ハノイのフレンチ病院に入院、3月5日に香港の病院に緊急移送されましたが、原因特定ができないまま3月12日に死亡しました。その後、3月12日までにフレンチ病院の26人の医療従事者と職員が、先のアジア系米国人と同じ症状で入院しました。

世界保健機構(WHO)は、この疾病を「重症急性呼吸器症候群(SARS:Severe Acute Respiratory Syndrome)」と命名するとともに、3月15日には史上初めて「緊急注意喚起(Global Health Alert)」を発し、世界的な注意を呼びかけました。

しかし、国際社会の関心がイラク戦争に向けられているさなかのことで、世界的な注目は集まりませんでした。このような状況の中、日本政府は3月13日、ベトナム政府からの要請を受け、翌14日には早くも緊急援助隊専門家チームの派遣を決定しました。

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感染防御機材を供与するベトナムSARS専門家チーム

緊急援助隊専門家チームの第一陣は、SARS感染者が拡大していた3月16日にハノイ入りし、ベトナム保健省やWHOと緊密に連携しつつ、日本の無償資金協力で建設されたバックマイ病院で、SARSの発生状況についての情報収集・分析、患者の治療方針と感染防御体制についての助言・指導を行い、感染防御機材を供与しました。

専門家チームの活動期間中、世界中にSARSが拡大していましたが、ベトナムでは感染者の増加が抑えられていました。そして、4月28日にはベトナム保健省がSARS制圧を宣言し、WHOも同日、ベトナムを域内感染国リストからはずしました。

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北京SARS専門家チーム

この緊急援助隊派遣は、JICAの災害援助の歴史のなかでも、初めての新感染症に対する専門家チーム派遣でしたが、迅速な派遣と、当時まだ正体不明だった謎の肺炎に挑んだチームの医師らによる適切な指導・助言が功を奏しました。ベトナム保健省からは「私たちが一番苦しく、支援を必要とした時に、日本はサポートの手をすぐに差し伸べてくれた」と感謝されました。

その後、中国でも毎日100人前後のSARS感染者が発生し、中国政府の要請(同年5月9日)を受けて、国際緊急援助隊の専門家チームが中国にも派遣されました。専門家チームは、北京の日中友好病院において、ベトナムでの成果をふまえた活動を行いました。

これに対して、中国側からはSARSが猛威をふるう中、感染のリスクを抱えながらの専門家チームの活動に敬意が表されました。

日本の対応:
【ベトナムSARS】
  • 専門家チーム:
    1陣(3名):3月16日〜3月25日
    2陣(3名):3月26日〜4月1日
【中国SARS】
  • 専門家チーム:4名
    5月11日〜5月16日