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インタビュー
赤島良子さん
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氏名:赤島 良子
配属先:国立カルタゴ短期大学 歯科技工士科
任地:カルタゴ
職種/指導科目:歯科技工士/歯科技工士科で座学と実習を担当
派遣期間:1986年4月~1989年7月 -
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コスタリカの印象(印象に残っている人やその理由、一押しの観光地等)
コスタリカでの活動期間中関わった方々は数多くいましたが、やはり3年弱お世話になった下宿先お母さん(故人)Doña Isabel Calderón Navarro が一番印象に残っています。私の人生で出会った女性で義理人情に厚く最も尊敬できる人でした。
下宿は大家族で息子7人(内3人は独立)娘1人子供を持ったお菓子屋さんだった。そして、お母さんが一人で商売を切り盛りしていた。下宿がカルタゴのセントロに近いこともあり、お母さんの知人や親戚がひっきりなしに出入りしていた。初対面の人には私を娘として紹介してくれていた。訪問者には必ずコーヒーとお菓子でおもてなしするよう言われ、私は下宿に居る時は心がけていた。近所の子沢山の家の子供には、放課後お菓子の袋詰め作業を手伝わせてお駄賃をあげていたし、貧しい家の子供には週末に昼食を提供していた。また、育児が困難な親戚の子供を預かり、学校に通わせたりもしていた。
下宿はそれ程裕福でもないのに、損得なしに他人の子供たちに援助の手を差し伸べていた。日本では、けっして出会えることがない素晴らしい家族に出会えたことが一番の宝物です。
思い出の場所: コスタリカ最高峰チリポ山(Cerro Chirripó)標高3,829m
1988年に女性隊員初登頂に成功 (少し自慢) -
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活動内容/業務内容
歯科技工士科で講師として座学と実習を学生におこなう。
着任当初カルタゴ短期大学は校舎を持たず、歯科技工士科は夜間コスタリカ大学歯学部の校舎と実習借りて行われていた為、機材供与できず新校舎の建設が待たれていた。その間にカウンターパートを神奈川県の鶴見大学歯学部の歯科技工士専攻科に送り、日本の最新技術に触れる機会を与えた。
要請内容に記載されていた歯冠修復科(詰め物、被せ物、ブリッジ、セラミックの差し歯等)の新設の準備を行った。
着任して、1年半後に校舎が完成した。その後日本側協力隊が60%(機材)を持ち、大学側40%(建物)で進め4ヶ月で歯冠修復科の落成を迎えることが出来た。
ポストグラデュエイトコースでスタートさせ、一期生の卒業までは担当できなかったですが、現在ではかつての教え子達が講師となり、歯科技工士科を発展させいます。 -
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コスタリカでの経験がご自身に与えている影響
帰国後は地元長崎県の母校の歯科技工士の専門学校で専任教員となり、歯科技工士の教育を行いながら、台湾からの留学生の国家資格取得や台湾の姉妹校の交流事業の担当をした。
また地元大村市とポルトガルのシントラ市との姉妹都市の関係で、ポルトガル語を学ぶ機会があり、市の推薦を受けポルトガルのコインブラ大学に短期留学をさせて頂きました。大村市とポルトガルシントラ市の交流事業ではボランティアでポルトガル語の通訳をしたり、長崎県の依頼でポルトガル語での空港土地買収の書類の作成を行ったりした。
今振り返ると、コスタリカでの学生指導やプロジェクトに取り組んだ経験が、私でも何かやれることがあると確信したし、自信にも繋がりました。
人から必要とされるのは、生きがいと感じます。 -
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コスタリカの皆様に送るメッセージ
A todos en Costa Rica
Regresé a Japón hace 36 años, todavía no puedo devolver mi amabilidad a Costa Rica y me siento arrepentido.
Costa Rica es mi segundo hogar, así que seguiré cuidandao.
Durante mi expresearle mi gratitud.
Por favor, continúa amando la paz y viviendo en armonía con la rica naturaleza.
¡ Yo también disfurutaré el resto de mi vida como Pula Vida y los costarriceses!
カルタゴ短期大学歯科技工士科の新校舎完成後 定礎の前で
カルタゴ短期大学 歯科技工士科 新校舎の前で
カルタゴ短期大学 歯科技工士科 新設歯冠修復科の実習風景
歯冠修復科での指導風景
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